第32話 シルクハットの男

 ダンジョン近くに住むようになってから3週間ほど経った。秋から少しずつ冬の到来を感じさせる朝の冷え込みが時折見られるようになった。

 晩も冷えてきたので、ケープを羽織っている。小さなマントって感じだ。

 これは特徴的な衣類だったので付与も覚えていて、【飛行】という効果が付いていたものだった。空を飛べるということだ。まあ、その効果はないけど、秋のシーズンに身につけていてもいいかなと思っている。クリーニング中は邪魔になるので、外出する時以外は外しているけどね。



 カシムさんたちの話によれば、ダンジョン攻略には時間がかかるそうで今しばらく住むことになりそうだ。

 一般的には2、3ヶ月は要するというけれど、世界には未踏破のダンジョンも存在するといい、一攫千金を夢見る冒険者たちが年中絶えないようだ。でも、簡単に命を落とすこともある。


 この期間にも多くの冒険者が詰め寄せてきて、今では私が店を出した場所近くにまでテントが張られている状況である。近くには崖があってそこにはものすごい勢いの川がある。さすがにこのあたりにはテントは張ってないようだ。


 ゴボスさんとケージくんは町を行ったり来たり、ここにいる人たちに物資を運んだり、大変な盛況のようである。


「食料も2か月分くらいなら買い込んでいるし、足りなくなったらゴボスさんにお願いして町に連れていってもらえればいいしな。あ、レッド、それは今の温度で触れちゃいけない繊維だよ」


 ぷにぷにっとスライムのレッドが疑問を浮かべるような形になっている。


 ここ数日はレッドが店にいることが多い。

 水溶性の汚れを吸収するブルーと油溶性の汚れを吸収するグリーンに比べると、変温タイプのレッドの出番が少ない。みんな衣類の皺はほとんど気にしていないようだ。

 ダンジョンを攻略する人たちの衣装は魔物に見せるわけでもないのだから、当然か。


 ロウくんからレッドが落ち込んでいるという話を聞いて、どのくらいの温度が調整できるのか、どのような素材が適温なのか、そういうのを一つずつ学習させていた。一度で覚えないこともあるけど、だいたい4、5回くらいで記憶するのだから、私よりも物覚えが良いように思う。

 一般に人間にテイムされた魔物の知性は高いという報告がある。野性のスライムよりも賢いということだ。


「何? これが珍しいの? これは蒸気と言ってね、熱い水蒸気が出せるんだよ」


 私の持っているクリーニング用具に興味を抱いているようで、アイロンがけなんかも観察していた。そのうちにレッドがシュッと蒸気を出せるようになった。


「そうそう、上手だね。水分が足りないところにシュッと蒸気を当てて圧力をかけて皺を伸ばすの。水分と圧力と熱、この3つが大切だからね。レッドもそれを意識すると皺が綺麗になくなると思うよ」


 ぷにぷにからシュッシュという返事に変わっていく。見てて飽きない生き物だな。

 意思表示の一つとして、矢印マークとか、○とか×とか、そういう姿にも変形ができるようになった。器用な身体だ。

 スライムは匂いには敏感であるらしく、ロウくんが離れた場所にいてもすぐに見つけ出せるようだ。だから、迷子にはならないという。


 レッドには、店に昔からあるスーツ一式をアイロンがけする練習をさせていた。

 ハンガーに吊した状態でレッドがスーツに折り目を付けたり、目立たない皺まで蒸気を上手く利用しながら形を整えていく。まだまだ不慣れなところがあるようだけど、回数を重ねるとだんだんと上手になっていった。



 ――コンコンッ


「はーい、すぐ行きます」


 店はオープンしていないので、今は裏口から出入りをしている。ハンナさんやゴボスさんたちは裏口から出入りするので、それ以外の人だろう。

 誰だろうと思って覗いてみたら、男性が一人立っていた。もしかしてヒューバードさんだろうかなんて一瞬だけ思ってしまったけど、そうではなかった。


 鍵を開けて店内に案内をした。

 30代くらいに見えるけど、ちょっと年齢がわかりづらい人だ。ずっと笑顔をたたえている人だ。ちょっと怪しそうに見える。

 何かあったら防犯機能が作動するから問題はないだろう。


「いやあ、どうも。ちょっと綺麗にしてほしいものがあってね」


「私がですか? 今だったらスライム洗浄があると思いますけど」


 まだクリーニングをするとは誰にも言っていないので、ちょっと目の前の男性を訝しげに見つめると、表情を崩さずに説明をしてくれた。


「ええそうです。スライムのマスターの少年からこちらを紹介されましてね」


 まだクリーニング業は始めまいと思っていたけど、ロウくんには手に負えないということなんだろうな。

 

 男性はアルバートさんという人で、まず目に入るのはシルクハット、そして上下も紳士服で決めており、どこぞの英国紳士かと思われる外見だ。背丈もあって姿勢もよく、仕事のできる人間ってオーラが出ている。服の皺もそこまで目立たない。


 地球からやってきた人もいるから、ワイシャツとかネクタイとかスーツとか燕尾服とか、そういうものはあるらしいことは図書館で調べ物をした時に知っていたけど、この世界で生で見るのは初めてだった。国とか身分によって異なるらしいけど、少なくとも私の生活圏内ではそういう人はいない。

 アルバートさんは紳士ステッキも持ってるけど、これでビシバシと魔物を叩いたりするのかな。冒険者の服装ではないように思える。


「それで、何を綺麗にすればいいんでしょうか?」


「今僕が着ている物全て、といったら驚くかな?」


「いえ、それは特には」


 そっか、とこちらの反応を試しているようなところもあったんだろうけど、アルバートさんの仕事着らしい。

 他にも似たような服ばかりがあって、それは【収納】の効果のある鞄の中に入れていた。全部で4着、今着ているものも合わせたら5着である。


「じゃあ代わりの服に着替えてくださいね」


「うーん、代わりの服は持ってないかな」


 肌着で過ごすつもりだろうか。よくわからない人だ。


「そうですか。だったら、今うちにある衣類の中から選んで着てみてください」


「いいのかい? それらも大切な商品なんだろう?」


「いえ、これらは回収したものを綺麗にしただけで、まだ売りに出してはいないんですよ」


 ハッバーナでの苦い思い出があるのでなかなか売るのは勇気がいることだ。


 いくつか先にこちらで見繕って、別の場所に移動して着替えてもらった。

 おお、黒ずくめの姿からちょっとアンニュイな感じになってしまった。スタイルが良いなあ。この人も冒険者なんだろうか。それにしては動きづらい服装だろうなと思うけど。


「へえ、まるで新品を着ているような着心地だね」


「よろしければそのまま使ってくださっても構いませんよ」


「そうかい。じゃあ、遠慮せずに使わせてもらうよ。ありがとう」


 アルバートさんはシルクハットも一緒にクリーニングをしてほしいようだ。

 驚いたことにこれまでのクリーニングと異なって、全ての衣類の全ての素材をアルバートさんは把握しており、これは本当にありがたい情報だった。中には私も手を出したことのない素材もあって、こちらについては少し時間がかかりそうだ。


「そうですね、1週間ほど時間をいただければ助かります」


「ああ、いいよいいよ、そのくらいで仕上げてくれるんなら」


「それではお待ちしています」


 アルバートさんには他にもクリーニングをした衣類を持って帰ってもらって、しばらく使ってもらうことにした。

 アルバートさんから「いくらだい?」と訊かれたので、おそるおそる「銀貨2枚で」と答えたら、笑みを崩さずに支払ってくれた。価格も決めないといけないんだよな。


「さて、まずはこのシルクハットだな。シルクハットのクリーニングは初めてだから慎重にやっていこう」


 ゴボスさんやケージくんは、ハンティング・キャップを被っていて、一度洗ったことがある。日本では昔の商人や探偵が被ってるあの帽子だ。


 シルクハットは、それに比べるともう少し手を入れてやらないとせっかくの形が崩れてしまう。

 確かにこれらはスライムたちに任せるというのはちょっと抵抗があるかもしれないな。今でこそダンジョンに通う人たちには評判が良くても、一般的にはスライム洗浄には批判的な人も多い。


 雑な処理の問題だけではなく、スライムは汚水や汚物を処理することもあって、野性のスライムを乱獲してそういう場所に放りこむこともあるようで、スライムが不潔で不浄だというイメージも形成されているところがある。冒険者の中にはそんな汚れなんて気にしない人が多いのも事実なんだけどね。


「こいつらにはそんなことさせてないからな」

 

 ロウくんはそう言っていたし、スライム自体は清潔な魔物だと言える。

 でも、アルバートさんの目にはそうは映らなかっただろうし、ロウくんもそういう判断をしたんだろうな。

 いずれにせよ、ロウくんに任されたのなら、私も先生としてきっちりと仕事をしないといけないな。よし、頑張ろう。


 その後は誰も訪れることもなく、処理できるアルバートさんの衣類はクリーニングをして、他には祖父のノートを開いたり、帽子のクリーニング方法についてまとめて、その日は終わった。

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