誰も知らなくてもいい恋の話 4

さつき けい

第1話 『聖域』のエルフ

 

 その日、一体のトレントが枝を震わせながら引き摺って来た獲物は、美しい人族の女性だった。




 エルフの森の、そのまた奥にトレントという魔樹の繁殖地がある。


そこは『聖域』と呼ばれ、森に住むエルフ族であっても滅多に足を踏み入れることはない。


しかし、そこにはエルフの青年が一人だけ住んでいた。


 彼は例外だった。


美形の多いエルフ族にしては癖っ毛の金色の髪も、すこし目尻の下がった深緑の瞳も、くすんだ目立たない色をしている。


幼い頃から「エルフでありながらエルフらしくない」と同族からは嫌がらせを受けていた。


そんなある日、口の悪い大人たちを避け、手を出す子供たちから逃げ惑っているうちに『聖域』に入り込んでしまう。


トレントの根元で眠り込んでしまった幼子を哀れに思い、『聖域』の守護者であるトレントの王は彼を受け入れたのである。


今では、その幼子も立派な青年に成長し、現在は『聖域』の守護者の遣いとして働いていた。




 女性を運んで来たトレントは、困惑するエルフの青年の足元にそれを放り投げた。


「これを、俺にどうしろと?」


エルフの青年は傍に座り込み、人族の女性の顔を覗き込む。


藍色の真っ直ぐで艶やかな長い髪。


肌は日に焼けてはいるが、エルフに負けないほど整った美しい顔立ちをしている。


「え?、俺にくれるって?。 いやいや、こんなもの貰ってもさ」


「う、うう」


「なんだ、生きてるのか」


エルフの青年は心底、面倒臭いと思った。




「んー、これ、あいつらの仲間じゃないの?」


青年は、少し前に何名かの人族の兵士が『聖域』に入り込んでいるのを発見した。


トレントたちと協力して捕らえ、エルフの村の長老に引き渡して来たばかりだ。


 またエルフの村に行くのは億劫だと思い、女性のことは放置しようかと考える。


しかし、ここに置いて帰ってもトレントがまた自分の所に持って来るだけのような気がした。


「まいっか」


青年は見かけは細いが、それなりに身体は鍛えている。


女性を抱き上げて自分の住処に運ぶことにした。




 青年の住処は『聖域』の中でも一番大きなトレント王の根元にあるうろ


結界で隠された出入り口から入って少し下り、暗い通路の奥に広い空間があった。


そこには多少の家具や炊事場、大きなテーブルが中央にあり、様々な道具や紙が散らばっている。


部屋というより、どちらかというと作業場のような感じだ。


 青年は、一つしかない寝台に女性を降ろす。


「ふう」


重くはないが、人族の女性に初めて触れたので緊張が凄い。


「ケガは無いようだね」


青年は精霊たちと会話をしながら、彼女の健康状態を診ていた。




 エルフの森では、精霊たちが丸い光の玉となった姿で現われることが多い。


自然界の魔力の塊である精霊は美しいものが大好きで、自然を愛するのと同じように美しいエルフ族を愛している。


エルフの赤子が産まれると集まって来て、そのうちの一体が契約を結ぶ。


そして自分が庇護するエルフと、ほぼ一生涯を共にするという。


 ただ、精霊は力を貸す代わりに対価として美しいエルフの魔力を要求した。


魔力と引き換えに願いを叶える。


それが精霊契約といわれるもので、通常はエルフ一人につき、力を貸す精霊は一体だけらしい。




 青い光を瞬かせる精霊がエルフの青年の周りを漂う。


先ほどまで女性を診ていた水の精霊である。


「ん?、なんだこれ」


女性の右腕に鈍色の細い腕輪が嵌っている。


エルフの青年がそれを眺めていると、フワリと風が吹き、緑に光る精霊が出現した。


そして、緑色をした風の精霊は興味深そうにフワフワと女性の腕輪の周りを飛ぶ。


「え?、これって魔道具なんだ」


風の精霊はそれを調べたいらしい。


腕輪に触れて魔力を込めると簡単に外れたので、青年は精霊にそれを渡してやった。




 人族の女性は、うっすらと目を開ける。


すぐ側でエルフの青年が何かと会話をしているのが見えた。


何故か、腕を掴まれている。


女性にとってはエルフ族を見るのは初めてではないが、こんなに近くで見ることなど今まで一度もない。


心臓がドキッと跳ねた。


「おや、気が付きましたか」


お互いの視線が合う。


 人族の女性は身体を起こしながら、エルフの青年の手から自分の右手をゆっくりと引き戻す。


周りの様子を窺いながらも青年から目を離さない。


明らかに警戒する様子に、エルフの顔が緊張を纏った。




 今日、エルフの青年は遠くから見ていた。


森に侵入した人族の兵士たちがエルフに襲われた時、女性兵士が一人、静かにその場を離れたのを。


他の兵士たちなどには一切、目もくれない姿が不自然過ぎたので覚えている。


そのまま逃げ延びて森から出たと思っていた。


「あなたは森の侵入者の仲間ですか?」


青年は問うが、女性は黙っている。




 人族の女性からみれば、確かに目の前の青年はエルフの特徴である尖った耳をしている。


しかし、森の戦士といわれるエルフ族の男性にしては小柄で線が細く、まるで少年のようだった。


「ひ、ひとりなのか?、他に仲間はいるのか?」


女性の言葉に青年がため息を吐く。


「それはこっちの台詞ですけど。 まあ、いいでしょう。


さっき人族の兵士を何名か捕らえたので、エルフの村に引き渡して来ましたよ」


戻って来たところで女性を拾ったので、また村に向かうのが邪魔臭いから、こちらに連れて来たと事情を説明する。


 エルフの青年は面倒なので、このまま解放してやると告げた。


「心配しなくても朝になったら森の出口まで送ります」


驚き戸惑う女性に、青年は、


「森はすでに暗くなり始めています。 女性の一人歩きはお勧めできません」


と告げる。


「ここには俺、一人です。『聖域』の守護者に誓って何もしません」


そう言うと、起き上がった女性を作業台のようなテーブルにある椅子へ移動させた。




 そして青年は部屋の隅の台所に向かう。


しばらくして。


「お腹、減ってないですか?」


そう言いながら持って来たのは、香ばしい匂いのする平たいパンと果物や野菜が乗った皿だった。


「これを、私に?」


青年は少し照れたように顔を逸らす。


「いつも一人で作って一人で食べてるので味は保証できませんが」


女性の目の前に皿を置くと、今度はお茶を淹れ始める。


「すべて自給自足で、あなたたち人族からみれば貧相でしょうけど」


お茶のカップの一つを女性に渡し、自分は広い作業台の上を片付け、少し離れて座った。


「俺が作った薬草茶ですが、よろしければどうぞ。


多少は体力が回復します」


そう言って自分の分を飲み始めた。


「あ、いえ、その……」


女性は、それ以上の言葉が見つからず黙り込む。


お腹がぐぅと鳴った。


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