⑦ あるある

家のリビング。

TVの音量を上げ、カフェイン入りの栄養剤を飲み干す。

もう眠らない。

時計は2時半ごろを差している。


夢の恐怖に現実が侵されていく。

覚めない夢の螺旋に飲み込まれていく。


少なくとも今日の仕事が終わり、家に帰るまで眠らない。

コーヒーを飲みながら、自分の状況について考察する。紙に書き出す。


・悪夢を見る

・夢が中々覚めない

・悪夢を繰り返し見る

・寝た気がしない

・疲れが取れない

・ところ構わず寝てしまっているようだ

・眠る前の記憶が断片的にない


「今度医者に見せるか」

夢の内容を書き出そうとして、手を止める。

止めよう、思い出したくもない。


いつのまにか朦朧とした現実より、鮮明に記憶に残る夢、悪夢。


ろくに寝れなくて朦朧としていても我慢はできる。だが、覚めずに繰り返す悪夢には耐えられない。目が覚めないことが怖い。眠ることが怖い。エレベーターが怖い、電車が怖い。悪夢に現実が侵され始めていると感じる。

夢だと思いたい状況が夢でなかったら。

確信が持てない、自分に自信がない。夢だと気づいても目が覚めなければそのまま現実になってしまいそうに感じる。

今自分は起きていて現実世界にいるという確証が欲しい。

カフェインの摂りすぎで動悸がする。


(何かしなくては。)


シンクに溜まった洗い物に目をやる。


(…食器洗い、掃除、丁度いいか)


何も考えず作業で時間を潰そう。

幸い、朝までかけても片付かない程度には部屋が汚れている。


シンクの前に立つ。

蛇口から流れる水で手を洗う。

濡れた手で顔を拭い、髪をかき上げる。


ふと嫌な臭いが漂う。

汚れた排水口、流しの下から漂白剤を取り出し、キャップを外し、戸惑う。


「…デジャヴだ」


少し寒気がした。全く同じことがついこないだあった気がする。


「夢か?」

「寝てるのか?」


部屋を見回す。分からない。

TVの音、机の上は惣菜の殻容器と空き缶、空き瓶で散らかる。


「夢だ、こないだ見た」


玄関の方を見る。夢の記憶が蘇る。

ドアの前で立ちすくみドアノブを見つめる。


耐えられない。ドアノブをガムテープでぐるぐる巻きにする。


頭が混乱する。夢じゃないかもしれない。

カフェインの摂りすぎで動悸がする。


右手で顔をはたく。衝撃が走る。あまり痛くない気がする。分からない。


「夢か?どっちだ」

カフェインで動悸がする。

瞼が重い。頭がボーッとする。

ふらつく足が漂白剤のボトルを蹴飛ばす。


床に流れる漂白剤。

「あぁっ」


焦ってティッシュや新聞紙で漂白剤を拭き取る。

紙に染みた漂白剤で手のひらが濡れる。

手を擦り合わせる。ヌルヌルする。指先の逆剥けに沁みる。

漂白剤を片付け終え、手を流す。


この感覚は現実だろう。そう思えた。

漂白剤が現実世界にいる確証を与えてくれた。


「ふーーっ。落ち着け落ち着け落ち着け。パニックになるな。」

「風呂でも入るか。」


気分転換にはそれが最適であると思えた。

ドアを開ける。

狭いユニットバス。もう長いこと湯船には浸かっていない。


(シャワーカーテン、掃除しないとな。)

黒ずみ、所々カビたカーテンを閉める。


ジャジャッ、ジャーーーーーーーーーーー


お湯が出るまでシャワーを排水口に向ける。

熱いシャワーを浴びるとようやく仕事が終わったように感じる。

熱水がやつれた体を伝う。


ここ数日の自身の状況について考える。

何故こんなに夢に苦しめられるようになったのだろう。

悪夢にうなされるだけならまだいい。

起きたと思っても夢、夢の中で夢を見ているような現象は、

おそらくつい最近になってからのはずだ。

何かきっかけになるような精神的な負担があったろうか。


シャワーを避けシャンプーを手に取る。


「いや、特にないなっ。去年の今頃の方がよっぽどギリギリだった。」


特に大きな原因は見当たらない。

体に思ったより疲れが溜まっているのだろうか。脳みそだけが活発に動いて。


それにしても、今日の帰り道は問題だろう。

会社から駅までの記憶が曖昧になっている。


(夢遊病?なにかそんな類の病名もあったような)


熱水がやつれた体を伝う。


「あれっ、頭洗ったっけ。」


「まぁ、いいか洗えば」


シャワーを避けシャンプーを手に取る。


(一度専門の睡眠外来にかかった方がいいんだろうな)

土日に診療を受けられる病院を探す必要がある。

とてもじゃないが休みを取れる状況ではない。

上司の顔を思い出し憂鬱な気分になる。


熱水がやつれた体を伝う。


夢の内容について思いを馳せる。

エレベーター、地下鉄、特にトラウマになるような経験は思い当たらない。


(閉所恐怖症か?いや特にそんなことは今までなかったはず)

(考えすぎか。ただの夢だし。幽霊を見たって訳でもないしな)


そんなことを思うと、つい背後に気配を感じてしまう。

軽く左側を振り返る。何もない。


(頭洗ってる時はよくあるよな。)


「あれっ。」


ふと手を見る。髪を触る。泡はついていない。

熱水が体を伝う。


(シャンプー出したよな?泡立ってないな。そのまま流したか?)


頭皮を触る。よく分からない。

シャワーを止める。シャンプーを手に取る。

頭を洗う。よく分からない。


つい背後に気配を感じてしまう。軽く左側を振り返る。何もない。


ふとカーテンの向こうが気になる。泡のついた手でカーテンを開ける。誰もいない。カーテンを閉める。首の辺りがソワソワする。

軽く左側を振り返る。何もない。

天井を見上げる。換気扇の通気口。シャワーの湯気が吸い込まれていく。


「あれ、シャワー止めたよな。」

視線を戻す。シャワーは止まっている。頭から流れたシャンプーが目に入る。


目に沁みながら、手探りでシャワーを出す。

頭を流す。目が痛い。


ふとカーテンの方が気になる。手探りでカーテンを開ける。

痛む目はぼやけてシャワーの湯気で何も見えない。

口にシャンプーを含んだ湯が流れて苦味を感じる。


「ゲホッ、、ペッ」

口の中を洗い流しシャワーを止める。

口の中がギシギシする。


奥歯に違和感がある。


曇る鏡の前に立ち。口を開ける。よく見えない。

右手で左下の奥歯を触る。グラグラする。


少しゆすると根本を残して奥歯が取れる。


被せ物ごと緑青色に腐った歯が掌で転がる。


口の中がジャリジャリするような気がする。


腐った歯を流しに捨て、口の中を弄る。


歯が腐っている。


人差し指と親指で掴んでゆすると、いとも簡単に歯茎から離れる。

震える指に力が入る。

グジャっと潰れた奥歯が排水口にこぼれていく。


口の中がジャリジャリする。


「ゲホっ、ゲホっ、ペッ、ペッッ」


カランカランと流しの中に転がる何本もの腐った歯。

指で触るとグジャっと潰れて砂利のようになる。


「ゲホっ、ゲホっ、ゲホっ、ゲホっ」

咳き込むたびに口から砂利が飛ぶ。


「ゲホっ、ゲホっ、ゲホっ、ゲホっ」

口の中が砂利でいっぱいなっていく。

息苦しさに顔が熱くなる。


「ゲボッ、グボッ、グボッ」

詰まった配管から押し出されるように、口から砂利が溢れて息ができない。


なんとか顔を上げる。

曇りが取れた鏡には、見るに耐えない恐ろしい顔が映っていた。



汗と動悸に上半身を起こす。

呼吸が浅い、体温が上がる。


いつものベッドの上、口の中の不快感に思わず咳き込む。


「ゲホっゲホっ」


夢の記憶が蘇り、浴槽の横の洗面台へかける。

口を開けて鏡を見る。よく見えない。


右手で左下の奥歯を触る。

特にグラつかない。

ようやく呼吸が落ち着く。


「もう、勘弁してくれよぉ。」


胸を撫で下ろしベッドにもどろうとする。

キッチンの前の人影に気づいて体が固まる。


外したシンクを持って父が歩いてくる。

「ダメだ、掃除中だ」

犬のような生臭さが漂っていた。



パッと目が覚める。

いつものベッドの上。


ただ頭が混乱する。

体がピクリとも動かない。

異様なほど静寂に包まれている。


右側、ベッドが壁についていない方から強烈な気配と恐怖を感じる。

恐る恐る眼球だけを動かす。

なにか大きな誰かが立っている。気が動転する。


ガキィィィィッという強烈な金属音のようなものを感じた。


ガガガガガガガガガガガガガガガッ


周囲の空間が振動するような感覚。

掛け布団は数匹の大蛇が中で暴れているかのように蠢く。

恐ろしい光景に気を失いたくなる。

それでも体は動かない。

轟音と振動、強烈な気配と恐怖に感覚を奪われながら必死に目だけを動かす。

「っぁぁ、、、ぁ、、っ、あ、ぁ、ぁ」


叫び声も上げられない。

夢か現実か、どちらにせよ、覚めない。

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