白夜の自警団 ―悪鬼と踊る二日間―
西條 迷
一日目
第1話
昔から不運な目に遭うことが多かった。
よく小石に躓くし、登下校中には鳥の糞が降っきたり、それを避けると水溜りにはまったり、電車やエレベーターは狙ったかのように目の前で扉が閉まる。
多少困ることはあるが基本は、なんかついてないなーくらいですむくらいの不運。だったのだが。
「これはさすがについてなさすぎる!」
誰かに助けを求めようにも周囲に人の姿はなく、ろくに荷物を持たずに家を出たので携帯電話も持っていなかった。
「よっと!」
幼い頃から空から降ってくる鳥の糞を避け続けることで鍛えられた瞬発力を持った一希は通路上の桶の上を軽々しい動きで飛び越えた。
しかし背後から一希を追いかけてきたなにかはせっかく避けた桶を蹴り飛ばしながら一希のあとを追う。
浅い呼吸を繰り返す一希はちらりとそのなにかの姿に目を向ける。
屈強な赤い体に、腰には小汚い布切れを巻き頭には二本の立派な角が生えていて、その外見はまさしく鬼と呼ぶにふさわしい姿をしていた。
なぜ絵巻で見るような鬼の姿をした者に追いかけられているのか。それはいつもの小さな不運から始まったことだった。
一希は散歩の最中、予定していた道の電柱に鳥がたくさん留まっていることに気づき、経路を変更することにした。
普段あまり通らない道を進んでいると目の前に野良犬の群れを見つけ、このまま進むと被害を受けると判断してまた道を逸れようとしていると野良犬が一希の存在に気がつき、襲いかかってきた。
それをそばに建っていた家と家の間の狭い隙間に入りやり過ごした一希は隙間から出ようとしたときに軽いめまいに襲われてバランスを崩すと尻餅をつく、ことはなくまるで落とし穴に落ちたかのような浮遊感を感じた。
落とし穴にしては長い時間を、ひゅうっと風の切る音を間近に感じていると腰を打つ。
自分の不運さで落とし穴に落ちたと察した一希はため息をついて立ち上がった。ら、なぜか目の前に鬼がいた。鬼は一希の姿を視界に入れると否応なしに襲いかかった。
桃太郎に出てくる鬼のように棍棒を持っていたわけではないが、片手だけで一希の頭を鷲掴みにできそうな大きな手を振りかざされ、これまた反射的に避けると危険だ逃げろという本能に従っていつの間にか景色の変わった街中を無我夢中で走った。それが少し前のお話。
「うん、やっぱついてないな!」
改めて自身の不運さを感じながら一希は狭い道を駆け抜けていく。
鬼もそのあとを追ってきているが、その大きな図体で一体どうしてこうも器用に狭い道を追いかけられるのだろうか。
そう疑問に思いながら走っていると少し開けた場所に出た。周囲を見渡す、がどうも行き止まりのようだ。
「……やべ」
後ろを振り返ると鬼がいる。完全に詰んでしまった。
この状態を抜け出す方法をよく回るわけではない頭で思案するが、検討すらつかない。それほどに背後の竹垣と目の前の鬼は巨大な存在だった。
「万事休す、ってやつかよ」
鬼がしたり顔でゆっくりと近づいてくる。先程まで逃げていた通路よりは広いものの、畳八畳程度しかない空間では簡単に隅まで追い詰められた。
「俺の不運な生活も十八年で終わりか」
少しずつこちらに伸びてくる鬼の手に覚悟を決めて目を閉じる。できることならもっと普通に死にたかった。鬼に鷲掴みにされて肉片にされる最期なんて最悪以外の何者でもない。
「あくりょーたいさーん!」
死ぬ前に閉じようとした意識の中に、軽やかな口調の声が届く。
「え?」
思わず瞼を上げると、すぐそこまで近づいていた鬼の腕が音も立てずに落ちていた。切り落とされた腕からおびただしい量の血飛沫が上がる、こともなく切り口からぽろぽろと砂のように小さくなって消えていく。
「はい、どーん!」
「うっわ!」
もう一度聞こえてきた声の主を視界に収めるより早く、目の前に鬼の首が降ってきた。
一希は驚きのあまり腰が抜け、地面に尻餅をついてしまった。一希の目の前に転がる鬼の首は、小さな粒子状になって空中に消えていく。
「あれぇ? お兄さん、だいじょうぶー?」
手や足の先、頭を失った首から小さくなっていく鬼の背後から十五歳くらいだろうか、和風の軍服を纏った少年が姿を見せた。その腰には剣が携えられている。
「あ……えっと、はい。生きては、います」
目の前の脅威が去った一希は気の抜けた返事をする。差し出された少年の手を借り、まだ微かに震える足で立ち上がった。
「お兄さん、向こうの人でしょ?」
「向こうの人?」
「そ、人間が本来住むべき場所」
ついてくるようにと言った少年のあとを追いかけながら説明を受ける。
この世界は本来人間のいる世界とはべつの世界で、どうやら一希はいつの間にかこちら側の世界に迷い込んでしまったそうだ。
「たまにいるんだよねー。迷い込んできちゃう人」
目の前を歩く少年はそう言うとやれやれと首を振った。
「あの鬼、みたいなやつは?」
「鬼だよ、鬼。
「悪鬼? ってなんですか?」
一希は恥ずかしそうに頬をかきながら問いかける。悪鬼という言葉を初めて聞いたのだ、言葉の意味がわからなかった。
「悪鬼ってのはぁ……なんだっけ。なんか悪いやつのことだよー。悪いに鬼って書くの」
一希の問いに答えようとした少年は間延びした声を出すと首を傾げて、最後はめんどくさくなったのか投げやりな返答をした。
「悪い鬼……」
「そーそー。この世界にはこういうの普通にいるから、迷子になってると危ないよー?」
そう言った少年の足が止まる。
「どうかした?」
「センパイに押し付けちゃおう!」
「は?」
一希の問いに答えることなく、少年は駆け出した。いつの間にか目の前の光景は先程まで歩いていた
「なんだこれ……」
薄暗い空を映画のセットのような趣ある木造の建物から漏れる温かな灯りで染めていて、幻想的な光景だ。
昔家族で行った温泉街がこんな建物だったな、と思い出しながら一希が視線を横にずらすと、何十キロも離れた遠方にこの景色には似つかわしくない洋風の城が建っているのが見えた。
周りをよく見てみると、和を感じさせるものから遠方の城のように洋風の建物も入り混じり、ラーメン屋の扉に書いてある文字のようなものが描かれた建物もある。
「こういうのなんて言うんだっけ……和洋折衷?」
和、洋、中。色々入り混じっているのも気にはなるが、それ以上に気になることがある。それは町中を歩いている人たちの装いだ。
「いや、装いっていうか、人ですらないというか」
一希の目の前を堂々と歩く彼らの姿は人の姿に近しい者もいるが、猫耳のようなものや尻尾が生えていたり角や鋭い爪を持った者ばかりで、ここがコスプレ会場ではない限り、人らしい人は一希と少年を除くと一人もいないように見える。
「……って、あの人は⁉︎」
どこかに駆け出した少年の姿を見失ってしまった一希は慌てて和装と洋装のごっちゃ混ぜになった空間に飛び込む。
様々な装いに、様々な建物群。いろんなものがちぐはぐで、それでもうまく噛み合っているように見える中で、一希だけが異端のように混じっている。
町行く者たちは誰も一希に目を留めない。観光地のように人気はあるのに誰もが一希に無関心だった。
「ちょっと、お兄さんちゃんとついてきてよぉ」
どうすればいいかわからず直立したままの一希の襟が後ろから引っ張られる。背後には少し不貞腐れた顔をした少年が立っていた。
「す、すみません……」
人混みに流されないようにと端に寄せられた一希は少年と、襟を引っ張ってきた青年の二人を見て軽く頭を下げた。
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