リフォーム

あべせい

リフォーム



 小さな建売住宅の前で、その家の主らしき男が、道路に背を向け、大きな缶の前にしゃがみ、ごそごそ何かをしている。

 スーツ姿の男が近付き声を掛けた。

「お忙しいところ、すいません」

 しゃがんでいた男が、その姿勢のまま振り返り、

「ウム、なに?」

「この近くでリフォーム工事をしている升立(ますたて)建設の者ですが……」

 しゃがんでいた男は、みなまで言わせず、

「うちは、リフォームは必要ないから」

 前に向き直って、再びごそごそ続ける。

「テレビでもおなじみの、リフォームの升立ですよ」

 主、背中を向けたまま、

「そんなテレビ、見た事もない」

 セールスマンは名刺を取り出し、ぶつぶつと独り言のように、

「テレビCMといっても、UHFだから無理もないか。これ名刺です。一応、そばに置かせていただきます」 

 そう言って、主のそばにあるストッカーの上にそっと置いた。

 名刺には「升立建設営業部 営業3課主任 世胡市浪(せこいちろう)」とある。

 主は、置かれた名刺を横目でチラッと見るが、あとは無視。

 世胡は、主の頭ごしに覗き込みながら、

「失礼ですが、ご主人、なにをなさっておられるンですか?」

 すると、しゃがんでいた男は、ムッとした顔を振り向け、

「見て、わからないか?」

「ペンキを混ぜておられるようですが……」

「だから、壁に塗る塗料を調整している」

「外壁の塗装ですか?」

「うむ……」

「それにしてもお上手ですね。プロみたい……」

「プロだよ。塗装のプロだよ」

「プロの職人さんですか! あなたは、こちらに頼まれて、外壁の塗装しておられる……!」

 世胡はやっと気がついた。

 男は、腹立たしそうに、

「この家のリフォームをしているンだ。見れば、わかりそうなものだがな」

「じゃ、同業ですか?」

「ですか、ダ? ですよ! あんた、セールスに向いてないな」

「そう見えますか?」

「見えるね。商売替えしたほうがいい」

 世胡は、真剣に、

「いい仕事ありますか、ぼくにも出来そうな?」

「なら、この壁を塗ってみな」

「エッ!」

 世胡は、ローラー刷毛をポンと手渡され、思わず受け取るが、跳ねた塗料がスーツにかかりそうになり、飛びのいた。

「これをどうするンですか?」

「見ればわかるだろう。足場は組んでないが、この壁の下から塗って、届かなくなれば脚立に乗って、段々上に塗り上げていく」

「わかりません。おっしゃっている意味が……」

「テストだ。おまえさんに、壁塗り職人の素質があるか、見てやろうというンだ」

「壁塗りのコツは何ですか?」

「大切なのは、待つことだな」

「待つ、って?」

「壁は一度塗った後、もう一度塗る。しかし、重ね塗りの場合、前の塗料がしっかり乾いていないと二度塗りしたのがムダになる。だから、乾くのをじっと待つ。ひたすら待つ。待てないやつは、壁塗りには向いていない」

「じゃ、ぼくは失格です。短気ですから」

「短気でも、やれる仕事はある」

「ぼくは、セールスマンです。みなさんに、リフォーム工事を勧めるのが仕事です」

「おまえさん、わかっちゃいないな。この住宅団地にある住宅は、全部うちがリフォームを請け負っている。よそ者の入り込む余地なンか、ないッ」

「ですが、うちの社の調べでは、この住宅団地を手がけた大手建設会社が倒産したため、補修を行う決まった業者はまだいないと……」

 すると、職人は向き直って、

「その情報は古い、古すぎる。うちの塗装屋が、ふだんから同じ現場で仕事をしている屋根屋、畳屋、水道屋らとユニットを結成して、この住宅団地の自治会とリフォーム工事の契約を結んだンだ」

「それって、ふつう工務店がやることでしょう? いろんなパートの職人さんを手配して、見積もりをとって、日取りや段取りを調整する……」

「その工務店が頼りない。そのうえに、マージンをがっぽり抜かれるから、自分たちでやることにしたンだ」

「でも、柱を立てたり、削ったり、大工仕事が必要なときは、どうなさるンですか」

「あんたは素人じゃないンだろッ。最近の普請は、大工の出る幕はほとんどない。壁も柱もひとまとめにして工場で作って現場に運んで組み立てる。それでも必要なときは、おれたちのユニットが、知り合いの大工に頼む」

 世胡は独り言のように、

「大工さんの工務店は、もう時代遅れ、っていうことか」

「セールスするのは勝手だが、無駄骨だな」

「そんなことおっしゃっても、こちらの住宅団地は、東京郊外の丘陵地を新規に開発した住宅地で、全部で800戸近くあります。全部ですか」

「そうだ。自治会が東西南北4つに分かれていて手間取ったが、それぞれの自治会長に、鼻薬を効かせて、まとめた」

「800戸全部!」

「そうだ。取りあえずは屋根と外壁の塗装だ。しかし、各家庭の事情で、ブロック塀が欲しいとか、外壁にタイルを貼って欲しいと頼まれることもある」

「外壁と屋根の塗り替えは通常、築10年から築15年で取りかかります。築15年の塗り替えとすると、1戸に1週間かけたとして、1年でできるのは約50戸、800戸全部塗り替えるのに、15年はかかります。15年たったら、また最初の家から塗り直す……! そうかッ」

「わかったようだな。だから、我々のリフォームユニットは、この先、ずーっと仕事が途切れずに、この住宅団地のリフォームで食っていけるという寸法だ」

「ズルイ、ずるいですよ。自分たちだけいい思いをして……」

「おまえさんも仲間に入れてやろうじゃないか。一口、のるか?」

「ウーム……」

 世胡はその場にしゃがみ、考えこんだ。

 ところが、ハッとして、

「しかし、ですよ。この住宅団地は15年かけて出来あがったわけではないでしょう?」

「何が言いたい」

「ですから、あなたがたのユニットだけで工事をしていけば、最後の家の塗り替えは、いまから15年後になるということです。築15年で塗り替えなければならない外壁と屋根が、実際には15年後の築30年の塗り替えになる。築30年での塗り替えになると、傷みもひどいからそれだけ工事代金も増えてしまう。いや、塗り替えでは対応できず、屋根なら葺き替え、外壁なら壁材の張り替え工事が必要になる可能性が大きい。自治会にはその話はしておられるンですか」

 男は立ちあがって、世胡に向き直ると、塗料を混ぜる長い鉄棒を斜に構えた。

「オイ、おまえさん、言いにくいことをはっきり言うじゃないか」

「そういうつもりじゃ……」

 世胡は、一歩下がった。

「だから、一口乗せてやる、って言っているンだ」

「はい……」

「はい、じゃわからん」

「そんなにおっしゃるのなら、言います。いま思いついたことですが、うちの会社がいま使っている屋根屋、壁屋たちの職人で、ぼくを中心にユニットをつくり、あなた方のユニットと一緒に、こちらの住宅団地のリフォーム工事を行います。すると、工事のスピードが倍以上になって、最後のリフォームを終える家は、築30年ではなく、築20年でのリフォームになり、なんとかリフォームのサイクルが維持できます」

「おれたちの仕事を横取りしようというのか」

 世胡は、ニヤリッとして、

「横取りじゃないでしょう。一口乗せていただくだけです」

「ウーム……」

 こんどは男がうなった。

「あなた、なに、グズグズ言っているの。それだけの仕事にいつまでかかってンの!」

 突然、声とともに、30代半ばの美しい女性が、ワンピースにエプロン姿で現れた。

「あなた、って!?」

 女性はこの家の主婦らしい。

 家の表札には「戸羽(とば)」とある。

 世胡は男を見つめなおし、女性に向かって、

「この方は、こちらのご主人ですか」

 現れた女性は、つまらないことを尋ねるヤツだとばかりに、

「役立たずの、ね。結婚してまだ1年なのに、わたしはもう後悔している」

「オイ、それはないだろッ。おれだって、おれなりに頑張っているンだ」

 世胡は、2人の会話に割って入る。

「そんなことはどうでもいいンです。奥さん、こちらのご主人が、この赤塚ヒルズ団地のリフォーム工事を請け負っておられるンですか?」

「そうよ。来月から始まる工事のために、自分の家から手始めにやってみようというので手をつけたのだけれど……」

 その女性の顔を見ていた世胡、突然、パッーと顔が輝く。

「奥さん、前にリフォームの升立におられませんでしたか?」

 女性、当然のような顔付きで、

「いたけど、それがどうしたの?」

「奥さん、いえ、百合果さんでしょう?」

 女性は初めて、世胡に関心のある目を向ける。

「そう、百合果。あなたは?」

「ぼくは、入社面接のとき、百合果さんにお茶を出していただきました。そのとき、あなたに一目ぼれして、入社を決意してしまった世胡です」

「世胡さん? 覚えていないわ」

「そうでしょうね。ぼくが晴れて入社して、お話をしようと思っていたら、ぼくの入社後1週間で退社なさったとお聞きして、ガッカリしたンですから」

 主の戸羽が、不愉快そうに、

「オイ、待て、ここに亭主がいるンだゾ。そんな浮ついた話がよくできるもンだ」

 すると、百合果がビシッと、

「あなたは黙っていてッ」

「ハイ」

 戸羽は押し黙ると、壁に向かって大人しく塗装を続ける。

「わたしも会社をやめるとき、『こんど営業に、かわいい子が入ってきた』って噂で聞いたンだけれど、あなただったの……」

「かわいいなんて、言われたことはありません。ぼくはこう見えても、28です」

「わたし、32。バツイチだったから、同じバツイチのこの人で妥協したの」

「ことぶき退社だったンですか」

「このひとが、『こんど壁屋と組んで会社を始める。升立から仕事をもらっていては、いつまでもでっかい稼ぎは出来ない』って、景気のいいことを言うから、乗せられた、ってとこね」

「ご主人は、以前は升立の仕事をなさっておられたンですか!」

「そうよ」

「道理で。この地区を担当させられるとき、営業部長がヘンなことを言ったンです。『赤塚ヒルズ団地に行ったら、料金はいくら下げてもいいから、契約を取って来い。ほかの業者に負けたら承知しないゾ』って。うちの部長は、ご主人を恨んでいるンでしょうか?」

「そうね。あの部長、わたしにもイロ目を使っていたから……」

「すると、部長は、ご主人に、仕事と女性の両方を盗られたって、ことなのか……」

 世胡はそう言うと、百合果をジーッと見つめる。

 改めて、いい女だと思う。戸羽は40才代後半の冴えない男。百合果には釣り合わない。そう、勝手に決め込んだ。

「世胡さんだったわね。どう、升立なンかやめて、うちの主人の仕事、手伝わない?」

「いいンですか!」

 世胡には拒否する理由がない。

「このひと、営業ができないから。この住宅団地の契約だって、ほとんどわたしが、ジジくさい自治会長のお宅に通って、とってきたンだから……」

「4名の自治会長、全員と交渉なさった?」

 百合果は恥かしそうに頷き、世胡を見つめる。

 世胡は、亭主がそばにいることを忘れて、百合果に魂を奪われそうになる。

 ふくよかなボディ、それでいてギュッとしまった腰のライン、男のハートをとろかすような深いまなざし、濡れた赤いくちびる……。

「世胡さん、中に入りなさいよ。中でゆっくりお話しましょう」

 百合果は誘うような視線を世胡に向けてから、玄関ドアの中に消えた。

 主の戸羽は、脚立に乗って外壁の塗装に集中している。

 世胡は理性をなくし、百合果の後に続こうとした。

 そのとき、後ろから、

「ごめんなさい。戸羽さん、お邪魔しますよ」

 世胡が玄関ドアの前で振り返ると、50才前後の男性が、脚立上の戸羽を見上げている。

 髪をきれいに七三に分け、見るからに、会社勤めしかしたことがないような紳士だ。

 戸羽はようやく気がついたようすで、慌てて脚立から降りてきた。

 世胡はドアノブを掴んだ手を、ゆっくり戻す。

「会長、お久しぶりです」

 戸羽は頭に巻いていた手拭いを外して、ペコリとお辞儀をした。

「奥さん、おられますか?」

 紳士はニコリともせずに話す。不機嫌のようだ。

「会長、何か、問題でも?」

「来月からのリフォーム工事だけど、考え直そうかと……」

「待ってください。もう、段取りをつけて……どうぞ、中にお入りください。家内がお相手しますから。さア、どうぞ……」

 戸羽はそう言うと、玄関前に突っ立っている世胡を脇に追いやり、玄関ドアを開き中に向かって、

「オーイ、百合果。この地区の自治会長さんがお見えだゾーッ」

 すぐに、百合果が顔を出す。

「あら、会長さん。いまお宅におうかがいしようかと思っていたンですよ」

 百合果はいつの間に着替えたのか、アイボリーのタイトスカートに同色のシンプルなカーディガンを羽織っている。彼女の美貌が一層、引き立っている。

 紳士は、一瞬戸惑ったようすだったが、

「そうですか。それじゃ、拙宅にお願いできますか?」

 百合果はニッコリして、エスコートされるように、紳士の右腕をとった。

「あなた、ちょっと大切なお話してくるから……」

 戸羽は「あァ」と答えながらも、これ以上ないという不安そうな顔をする。

「あッ、そうだ。百合果ッ」

 戸羽の顔が輝いた。

「世胡クンを連れていけばいい。彼なら、リフォーム全般について、いろいろ専門知識が豊富だから、きっと役に立つ」

 戸羽は戸惑っている世故を手招きすると、自治会長に向かって、

「会長、彼はあの大手リフォーム会社升立の優秀な社員で、こんどうちに出向してくれることになっています。どうぞ何なりとお申しつけください。世胡クン、頼んだから」

 戸羽は世胡の背後に回ると、小声でささやく。

「あの男は家内を狙っている。あとの3人の自治会長はジジイばかりだが、あいつは危ない。しかも、家内のタイプ。うまくあしらってくれれば、一口でも二口でものせてやる。それに、いざというときは、とっておきの手がある」

 そう言って、世胡のプリプリしたかわいい尻をポンと叩いた。

「とっておき、って?」

「行けば、わかる」


 その自治会長は「早枝(はやえだ)」と言い、その赤塚ヒルズ団地の用地全部を大手開発業者に売却した、桁外れの大地主だった。

 東地区のなかでも最も日当たりのいい場所に、他の家屋が小さな建売物件であるのに対して、唯一3倍の規模を持つ注文住宅に暮らしている。

 収入は、賃貸マンション3棟分の家賃。十分過ぎる暮らしだ。

 百合果と世胡が通された応接室は、30畳の広さがある洋間で、調度、飾り付けともにゴージャスな装いをしている。

 百合果と世胡が、イタリア製の革張りソファに並んで腰掛けると、早枝は「お茶を用意してきます」と言って、姿を消した。

 百合果は、

「カレ、男ヤモメなの。奥さんが去年亡くなって、不自由しているみたい。あとの3人の自治会長は、この会長の息がかかっているから、この東地区会長のご機嫌を損ねると、すべて丸つぶれになるわ」

 百合果は、なにがうれしいのか、クスッと笑う。

「お手伝いさんは、いないのですか?」

「いたわ、2人も。男だけど」

「男性ですか」

「大学に行っているお嬢さんが、父親が妙なコトになったら困るといって、女性の家政婦は寄せつけないの。だから、会長は自然、男性のハウスキーパーを嫌って乱暴に当たるから、いつの間にか、だれも来なくなった、って話」

 世胡は妙に感心して、百合果を見つめる。

 彼女が、結婚1年足らずで「後悔している」と言ったのは、このことかも知れない。

 塗装屋と一緒になる前に、この自治会長と知り合っていたら、彼女の人生は大きく違っていただろう。人の一生は、順序の違いで、こんなにも変わるものか。

 早枝が戻ってきた。花柄のティーカップをガラスのテーブルに並べる。

「ロンドンから取り寄せた紅茶です。お口に合えばいいのですが……」

「会長、いつもありがとうございます。世胡さん、紅茶以上に、このティーカップも高価なのよ。ヴィクトリア朝の1客30万円は下らない……」

「エッ!」

 世胡は慌てて、握っていたカップを皿に戻した。

「百合果さん、その話はもう……」

 早枝がたしなめるように言った。

「でも、会長。わたしどものような者に、このような高価なカップをお使いになることはおやめください」

「百合果さん、前にもお話しましたが、私とあなたの間で、会長はやめていただけませんか」

「しかし、きょうは……」

 百合果は、世胡をチラッと見る。

 世胡は、百合果も邪魔だと思っているのだろうか、とふと疑った。

「それで、お話は何でしょうか?」

「そうでした。つまらない話は早く片付けましょう」

 早枝は、つまらなそうな表情で切り出した。

 赤塚ヒルズ団地は、ほぼ200戸づつ、東西南北4つの自治会に分かれていて、早枝の東地区以外の西地区、南地区、北地区も百合果の夫の外装ユニットが手がけるのだが、西南北の3人の自治会長から、工事料金が違うのはまずくないかと問い合わせがあったのだという。

「早枝さん。それは当然です。早枝会長の東地区は、日当たりも見通しもよく、道幅も広いため、工事がしやすく、はかどるのです。ですから、契約のときもお話しましたように、他の3地区よりも工事代金を5%割り引いています」

「私も西南北の自治会長さんには、そうお話したのですが、私と百合果さんとの間に個人的なつながりがあり、それで……」

 早枝がそう言うと、百合果は心外だと言わんばかりに、

「早枝さん、わたし、あなたと個人的に、何かございますか……」

 早枝をネットリとした瞳で見つめる。

 隣にいる世胡は、そのイロっぽさに、再び理性を失いかける。

「百合果さん、何もありません。ないからこそ、私は……いえ、私が近く百合果さんと一緒になる腹づもりなンだろうと、あらぬ詮索をする人がおりまして……」

 早枝も冷静さを欠いている。

「早枝さん、わたしは人妻です」

 と言ってから、世胡を振り返り、

「世胡さん。ご用事がおありでしたら、お帰りになってよろしいンですよ」

 世胡は百合果の声で、初めて自分の役割を思い出した。

 しかし、早枝が世胡に対して、

「そうです。百合果さんがおっしゃっているのですから、どうぞ、ご遠慮なくお引き取りください。私は百合果さんと内密の話があります。他人がいてはまとまる話もまとまらない。そうですね。百合果さん」

「そう……。世胡さん、あなたとはまた別の機会にお話することができます」

 百合果は冷静だったが、早枝のほうがついにキレた。

「キミがそこにいては、百合果さんと私は話ができない。ちょっと、どきなさいッ!」

 早枝は、百合果と並んで腰掛けている世胡を無理やりどかせ、百合果の横にぴったりとくっついて坐った。

 仕方なく立ちあがった世胡は、似合いのカップルを間近で見下ろす、間の抜けた図柄になった。

「これでいい。百合果さん、工事代金のことは、私があとの3人を黙らせます。黙らせる方法はいくらもある。一晩、熱海に行って、きれいどころを集めて……」

「集めて?……」

 百合果は、体を引きながら、早枝の話に合わせている。

「集めて、こう手を握らせて……」

 早枝は世胡の存在を忘れたかのように、百合果の手をとって引き寄せる。

「早枝さん、それは……」

 百合果は、両手を早枝の胸の前に突き出し、押し戻そうとする。

 調子に乗って行動する早枝に、世胡はついに牙をむいた。

「百合果さん! ぼくは会長にリフォーム工事の段取りをお話する必要があります!」

 早枝が振り向き、

「キミ、まだいたのか」

 世胡を見て、うすら笑いを浮かべている。

「あなたから、ご高説を拝聴しようとは思っていない。それに……」

 急に語調が強くなり、

「百合果さん、って言うのは失礼だろ。奥さんとお呼びしなさいッ!」

 世胡はこの一言に、カチンと来た。

「なんだとォ! ぼくと百合果さんは去年まで同じ職場にいたンだ。ぼくがいまここにいるのは、百合果さんとの出会いがあったからなンだ。きさまのような、欲ボケ、色ボケジジィに何がわかる!」

「キミ、なにを言っているのか、さっぱりわからん」

 世胡は自分でも、何がこうさせているのか、わからなくなった。

「ここは私の屋敷だ。出ていきなさい。キミのような若僧のいるところじゃない」

 早枝は、傍らにあるスマホに手を伸ばす。

「何をする気だ。警察に電話するのか。おもしろい、やってみろ!」

 世胡は自分のどこにそんな勢いがあったのかと驚くほど、口が滑らかにまわった。

「早枝さん、電話はおやめになって……」

 百合果が、スマホを持つ早枝の手を押さえた。

「そうですね。こんなことで、いいムードを壊したくない。ないが……」

 早枝はそう言って、百合果の手を握り返し、再び、引き寄せに掛かる。

「おやめください。わたしには夫が……」

 その瞬間、ピカーッと何かが光った。

 世胡が光った方を振り返ると、百合果の夫の鳥羽がデジタルカメラでシャッターを押し続けている。

 早枝は、闖入者が戸羽と知ると、

「あなた、その写真をどうするおつもりですか!」

 と不安そうに見つめる。

 世胡は、戸羽の狙いを察したのか、

「警察より、お嬢さんに見せれば、もっと効果があります」

 すると、百合果が、

「あなた、少し早いわ。もう少し待って、いよいよというときに出てくるの。いつもそう言っているでしょ……」

「それが待てなかった」

 すると、百合果が、呆れ果てたという表情で、

「塗装屋が待てないで、どうするの」

                 (了)

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リフォーム あべせい @abesei

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