@enoz0201

「桜の樹の下には屍体したいが埋まっている!」

「どうしたの急に」

 かつて地球と呼ばれていた砂漠の星、その中でもアンドロイドが活動できる範囲の中央部に位置し、砂漠から掘り出されたかつての人類の文明の遺産を集めた資料館の、昼下がり。

 この場所に早朝から居座り、珍しく静かに本を黙々と読んでいた彼女が突如として発した台詞に、私は思わずツッコミを入れた。

「どうしたも何も、お前知らねえのか? これはな──」

「知ってるわよ。梶井基次郎でしょ」

 大正の終わり頃から昭和初期にかけて活動した作家、梶井基次郎。今彼女は、「桜の樹の下には」という作品の文言をボロボロの椅子から立ち上がるなり大声で叫んだのだ。

「おお、なら分かるだろ。理由わけなんて聞かなくても」

「分からないから聞いてるの」

「ええー、俺のこと好きだって言うくせにー、全然理解できてなくないっすかー」

「……」

「お、何すか、もしかして怒っちゃってる? やーんこわーい」

「……ええ、怒ってるわよ。心底腹が立つわ」

 何に腹が立つって、自分が彼女に反論する術がないことだ。だって、彼女は事実しか口にしていない。

 私は彼女に好意を抱いてる。というか、それ故に彼女の奇行の動機を言い当てられずにいるのだ。

「……別に、本当は分かってるわよ」

「じゃあ言えばいいだろ」

「言いたくないの。正解を言い当てることで私の想い人がとんでもないアホだと再確認したくないの」

 恐らく、単に響きがかっこよかったとか、そんな感じのアホな理由だろう。彼女はそういう人間だ。物事の浅いところを掬ってきゃっきゃと騒ぐのが大好きな底抜けのアホなのだ。そんなアホを好きになった私と同じくらい救いようのないアンドロイドなのだ。

「……どうせ、作品の解釈すら持ててないくせに」

「むっ」

 そもそも「桜の樹の下には」は、桜のあまりの美しさに不安を感じていた「俺」が、その奥に透視した屍体という悲劇とそれにより完成した憂鬱の素晴らしさを語る、梶井基次郎らしい感覚的な作品だ。普通は右の粗筋(written by 私)を読んだだけで「わけわからん」となるであろうあの小説に対して、彼女が自分なりの解釈を見つけられているわけがない。実物の桜なんてここ百年は見てないし。

「じゃあ、お前はどうなんだよ。作品を知ってるってことは、読んだこともあるんだろ。是非あなた様の解釈をお聞かせ願いたいなー?」

「私のを?」

「うん。得意だろ、そういうの」

 ……ふむ。

 別に彼女は、資料館に入り浸っているからといって私のことを勉強ができる優等生か何かだと思っているわけじゃない。私はちょっと考え込みがちな性格をしているだけの普通のアンドロイドで、できるのは曖昧な笑みを浮かべることくらいだとわかったうえで、自分を馬鹿にした私への当てつけをしているのだ。

 だが、

「ほら、はやく」

 その悪戯っぽい笑みの中にほんの少しだけ含まれた期待はきっと気のせいじゃなくて。

 そして、私は彼女のことが好きだったんだ。

「仕方、ないな」

 だから、私は想い人にいいところを見せようとして、

「美しい生と、グロテスクな死」

「ほう」

「美しく咲き誇る桜の下には、グロテスクに朽ち果てた屍体が隠されている。それって、つまり生と死が表裏一体だってことを表してるように思えるんだ」

「……というと?」

 踏み入れてはならないところに踏み込んで、

「生きてるものは、かつて生きていたものの屍体──肉や植物、土や水から栄養を摂って、最期に死を迎え、そして自分が取り込んできたものと同じように次の世代の生きてるものに吸収される。生があって死。死あっての生。このサイクルがあるからこそ、命には意味があるんじゃないかって」

「……そう、か」

「まあ、あくまで私が特に感じ入った部分を自分なりに言い換えた、ってだけなんだけどね。よくわからなかった部分は無視しちゃってるし──」

「なら、永遠に生きてる俺達の命には、意味がないんだな」

 明るい彼女の奥底にあるやわらかい部分に、手を触れてしまったんだ。

「……え」

「だって、そうだろ?」

 笑みを崩さずに、彼女は言う。

「俺達はアンドロイド。生身の肉体では生きてけないくらい戦争で環境を破壊された地球に適応するため、機械の身体にそのままの人格を移し替えた、たくさんいる存在のうち二人」

 そして、困惑する私を一度経由して、彼女は視線を自分の胸に向けた。

機械の身体ここには、永久機関がある。理屈はアホな俺には理解できないけど、博士は文明が滅びた後も永遠に生きていけるって言ってた。実際、よくわからねえ戦争で人間がほとんど絶滅しちまってから百年くらい経った今でも俺達はここにいる。きっとあいつの言う通り、死ぬことはないんだろうな」

 そこにあるふくらみは、人によって為された再現に過ぎない。仄かな温度を感じる手も、しなやかさを備えた脚も、弾力を持った唇も。

「わ、私、そういうつもりで言ったわけじゃ、」

「いや、いいんだ。アホでもなんとなくわかる。永遠の命なんて、間違ってる。そんなものに意味はない」

 吐き捨てるでもなく、他人にぶつけるでもなく。

 まるで、それを認めたくない自分自身に言い聞かせるように、彼女は声を振り絞っていた。

 ……なんて、馬鹿な。

 自分の愚かさに嫌気がさす。彼女が抱えていた自分の在り方への疑問、それに気づくことなく、あまつさえ「物事の浅いところを掬う」「アホ」と彼女を馬鹿にしていた。その傲慢でもって彼女を傷つけ、知らなくてもよかった事実に直面させている。

 本当にどうしようもないやつだ、私は。許されない罪を、そうと知らずに犯してしまった。

「……」

 だけど。どうしようもなくても、やらなければいけないことはある。

 無意味の袋小路に迷い込んだ彼女に、出口への道標を示す。私自身が、彼女の行く先を照らす松明にならなくてはいけない。

 一瞬だけ目を閉じて、彼女との思い出を、彼女が私にしてくれたことを思い出す。それで覚悟は決まった。

 私は重苦しい沈黙を打ち破り、口を開いた。



「……ねえ、覚えてる? 私達が博士に説明を受けた日」

「……ああ」

「生きる方法を教えてくれたあの人には悪かったけど、正直、希望より絶望の方が大きかったよね」

「……大きいというか、それしかなかった」

 あの時は、絶望のままに決断した。博士から聞かされたこの地球の行く末。人類が滅びる未来。それなりに幸せだった日常が壊れるだろうという、確かな予感。なんとしてでも生き延びたいという願い。家族を置いて自分達だけがノアの方舟への切符を手にすることへの罪悪感。

「そう、だよね。……でも、私、あの人の言ったことでひとつだけ、嬉しいことがあったんだ」

「何が、嬉しかったんだ」

「アンドロイドには、生殖機能が搭載されてない」

 そう。生身の身体から移植した人格が元から持っている、性的欲求を解消するための形だけのものこそ存在するものの、子どもをつくれるようなシステムは私達には備え付けられていない。そもそも、生殖は後世にその生物の情報を伝えていくためにあるのだから、永遠に生きていくアンドロイドには必要ない。

「それのどこが──」

「ねえ。恋愛感情って、何のためにあると思う?」

 彼女の反応を持たず、私は次の問いを投げかける。

「……何のため、って。そんなの、わからねえよ」

「本当に?」

「……」

「生殖のためだよ」

 異性を好きになることは、共にいたいと思うことであり、ひとつになりたいと思うことであり、最終的には相手と自分の遺伝子を受け継いだ次世代の人間をつくりたいと思うことである。その欲求が満たされることで人間は自らの血筋を絶やさないという目的を果たすのだ。

「結局、何が言いたいんだよ」

「つまり、さ」

 一拍だけ、ここで間を置いた。彼女と自分。両方の心の準備を完了するための空白だった。

「私が嬉しかったのは、人類が死に絶え、アンドロイドになった者だけが生き残ること。生き残るアンドロイドに生殖機能がないこと。生き残るアンドロイドが抱く恋愛感情が、全て無意味な快楽に墜ちること」

「無意味な、快楽……?」

「言ったでしょ。人間の恋愛感情は、生殖のためにある。子を残し、遺伝子を残すという、生命としての目的を果たすためにある」

 だから人間の社会において「恋」や「愛」は大事なものだとされる。だから人は時として愛するもののために全てをなげうつ。だから「愛」の物語は美談として語られる。だから人を好きになる気持ちは他の感情を往々にして凌駕する。

「でも、アンドロイドになって生殖機能を失った人間にとって、恋愛感情は意味があるものではなくなってしまう。これまでその意味と価値を保証していた生物としての後ろ盾をなくして、ただ自分の心を満たすためだけの空虚な快楽に墜ちるのよ」

「……」

 彼女は返答に困っているようだ。その沈黙は相手の言っていることが理解できないが故なのか、それとも理解しかけているが故なのか……恐らく、後者だろう。

「それが私にはたまらない幸福だった。だってそうでしょ? アンドロイドになった者は愛という名の無意味な快楽を抱え、生身の人間はすべて死に絶えてこの世からいなくなる。それって、全人類が私達みたくなるってことじゃない」

 はっと息を飲む音を人間の鼓膜にあたる部分に焼き付けながら、私は平和だった時代の地球を思い出す。



 そこには、意味がある恋愛をしていた人が山のようにいた。子どもを授かる夫婦が星の数ほどいた。男と女が愛し合って生まれたものが、両親と同じように新たな世代をつくりだしていた。無責任に産むだけ産んで、あとは何もしないような人もいたけど、子どもをつくれない私達よりはマシだと思った。

 レズビアン、ゲイ、百合、ホモセクシュアル──同性愛者。そういった人の恋愛感情は、生物としての目的を果たすためにあるものではない。愛する人と自分の間で子どもをつくることができないのだから、恋愛感情が本来抱えている生殖という意味を手放してしまっている。その想いの背景にある事実は、自分の心を満たしたいという欲望だけ。

 私には、そう思えて仕方なかったのだ。幼い頃から抱えていた自分への疑問が、少しづつ形になった終着点がこの認識だったのだ。誰に言われたわけでもなく、自ずから、こんなふざけた結論に至っていたのだ。生物の生存戦略として、どういう状況になっても対応できるよう種の多様性を持たせようとした結果がそういった雄雌以外の恋愛関係を生みだしている。他の生物でも同性愛はありうる。そんな意見もあったが、この現代で「遺伝子を後に残す」とかの明確な形で生殖に結び付いていない以上、現代を生きる私の根本的な認識を変えるには至らない。生まれ落ちてから刻み付けられてきた自己への否定は、そう簡単には救われない。

 勿論、私には彼らの生き方を嘲るつもりもないし、時代は彼らを受け入れていた。そういったものを差別していた遠い過去とは違い、彼らの個性を尊重し、多様性を受け入れていた。その対応は間違いなく正しいものだ。増えすぎた人間が地球を圧迫し、人間が普通の生物の域を超えていた現代に、恋愛感情の意味だとか子どもをつくる意義だとかは古臭いものだとも理解していた。何かひとつの価値や意味を絶対視するのでなく、様々な生き方や人生があって然るべきである。それが人類が長い葛藤と争いの中で辿り着いた唯一の真理なのだ。

 ただ、たまたま周りの人にそういう理解がなかっただけ。私が考えすぎな性格で、思考がネガティブな方向に向きがちだっただけ。ある思い込みに囚われたら、なかなか抜け出すことができなかっただけ。

 でも、どうしても劣等感を感じざるをえなかった。意味のある恋愛ができる大多数と、同性しか好きになれない自分。その狭間は海よりも深く、その距離は星よりも遠い。誰かに好意を抱く度に、「自分の心を満たしたいだけでしょ?」と心のどこかから声がした。

 だから嬉しかったんだ。全人類が生殖機能を捨てる。恋愛感情の根底にある生物的衝動を放棄する。子どもをつくれなくなる。子どもをつくらなくなる。ただ自分の心を満たすためだけに、快楽のためだけに他者を好きになり、愛するようになる。──まるで私達のような、無意味で無目的な恋愛をするようになる。



「そうなれば、私達は自分の好きって気持ちを引け目に感じる必要はなくなるでしょ。今や全人類が等しく、どこにも理由を持たない、生殖機能のなごりを抱えてるんだから」

「……それで、いいのか」

 彼女の声は震えていた。

「みんなが俺達と同じになって、その先に何があるんだ?」

 どこにも救いを求められない自分自身の魂の容れものボディに恐怖を感じるように、震えていた。

 ……そうだ。みんな同じになろうと、根本的な問題は解決しない。私達の想いの空虚さを埋めてくれるものは、この世界のどこにだって存在しない。私達の命に意味がないという事実は揺るがない。私が彼女に気づかせたのは、アンドロイド化がもたらす、ほんの些細な変化に過ぎない

 でも、違う。彼女はわかっていない。そのちっぽけな違いが、私達にどれほど大きなものを与えてくれるのかを。

「……ねえ。私のこと、好き?」

「……は?」

「私のこと、好き?」

 普通の恋愛に劣等感を感じない。男と女の関係に引け目を感じる必要がない。

「……す、すす、好きだけど」

 それはつまり、思いのままに、快楽のままに、恋愛感情を貪ることができるということだ。自分たちだけ、という後ろめたさに出会うことなく、どうしようもない気持ちに心と身体を任せ、どうにもならない運命を一時的に忘れられる。

「私も、好きだよ」

「っ……!」

 ──偽物の唇は、柔らかい感触がした。

「……な、なんだよ!」

 顔を真っ赤にして逃げ出そうとする彼女を、腰に回した腕でこちらに引き寄せてから、私は耳元で囁く。

「だから、一緒に快楽に耽ってあげる。未来を忘れさせてあげる。無意味で無目的で空虚で楽しくて気持ちよくて気持ち悪くて心が満たされる、そんな日々を隣で過ごしてあげる。……その代わり、お願いがあるんだ」

「おね、が、い……?」

「いつか、悠久の中で快楽を味わい尽くした果てに、それに飽きるときが来る。刺激に慣れて、もう心は満たされなくて、相手への想いは冷めきって、自分達の無意味さを忘れられなくなって、自分を誤魔化しきれなくなるときが来る。もし、そうなったらね、」

 私と一緒に、死んで欲しいの。

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