第十五話 封印術師の里
男達について行くこと数分。何の目印もなしによくぞここまで迷いなく歩けるものだと感心しているうちに、何やら建物のようなものがちらほらと見え始める。建物と言っても原始的で作りは古い。どうやら集落に入ったようだが、それにしては集落を囲う壁のようなものは設置されていない。集落を区切るという習慣がないのか。それとも身を守らなければならないほどの相手が、そもそも存在していないのか。
半ば雪に埋もれた建物を通り過ぎる際に、出入り口と思われる穴から、子どもがひょっこりと顔を覗かせる。見たところ、歳にして十歳に満たないであろう。こちらは雰囲気としてはラキュルにそっくりだ。表情から察するに、どうやら里の外から来た人間が物珍しいようだ。
そうやってしばらく集落の中を進み、辿り着いたのは一際大きな建物の前。恐らく、ここが
「入れ、ってことでいいんだよな?」
「そうですね。私も里長の家には入ったことがないんですけど」
ここはパーティーのリーダーということになっている俺が最初に入るべきだろう。もし中に伏兵がいて、槍か何かで一突き。などということがあっても、今の俺ならば対応出来るだけの身体能力がある。外の連中はノルに見張っていてもらえばいい。
俺は覚悟を決めて、ぽっかりと空いた穴へと入り込む。地面が掘り下げされているからか、外から見た感じよりも天井が高いし、中は広いようだ。伏兵らしき気配はなく、トラップらしきものも見受けられない。とりあえず中は安全と見ていいだろう。入り口から奥に目を向けると、ラキュルの父親が俺の足元を指差しながら言った。
「そこで上着を脱いで中に進め」
なるほど。敷居などはないが、ここが玄関のようだ。中は火が焚かれていて温かいし、外の雪を持ち込まないようにするためのスペースなのだろう。俺は女性陣に中に入るよう声をかけ、雪の積もった分厚い上着を脱いだ。
四人揃ったところで建物の奥へ。入り口から見て左奥。掘り下げられた床面より更に少し
俺はその場に片膝をつき、頭を下げた。突然の来訪の上に、入り方が強引だったのだ。その点に関しては謝罪をする必要があるだろう。
「お初にお目にかかります。ディレイド=エルディロットと申します。この
「……ディレイド=エルディロット。聞いた名だ。なるほど、お前さんが例の勇者パーティーの魔法使いか。後ろにいるのは神官と斥候だね。何でもパーティーを抜けたそうじゃないか」
「お耳が早い。里の手の者が世界中に散っている……と言うことでしょうか」
「ふむ。察しのいい奴は嫌いじゃないよ。お前さんの言う通り、各地に里の者を出向かせて情報収集をしているのさ。隠れ住むのにも外の情報は必要だからね。いいだろう。
ノルン。ラキュルと同じだ。もしかして、ラキュルの親類なのだろうか。
「そこにいるラキュレイと同じだって言いたいんだろう? ノルンってのはこの土地を切り開いた封印術師の開祖の名でね。この土地の名でもある。お前さん
つまり、この里出身の者は全員ノルンと言うことになる。わかりやすくはあるが、不便だったりはしないのだろうか。
「里の外で名乗る訳でもなし。不便ということはないさ」
まるでこちらの頭の中を覗きながら話をしているかのような老婆だ。それだけ頭のいい人物なのだろう。なるほど、里の長に選ばれる訳である。
「それにしても、だ。ラキュレイ」
その言葉に、ラキュルがびくりと肩を震わせたのが気配でわかった。きっと何かしらのお叱りを受けると思ったのだろう。
「儂の封印術を、僅かな時間とは言え無効化するとは。教えを説く途中で里を飛び出して行った割には、大した術を使うようになったじゃないか」
里の外の情報にも明るいとなると、ラキュルがこれまでに
「騒ぐんじゃないよ、坊や。今はラキュルと話しているんだ」
俺が言葉を発する前に止められてしまう。「出鼻をくじかれる」とはまさにこのこと。勢いをそがれた俺は、先の言葉を口にすることが出来なくなってしまった。
「それにね、別に怒っている訳じゃない。もちろんラキュレイのこれまでの
ラキュルがコクリと頷く。
「だったら儂から言うことは何もない。里への強引な侵入の件も踏まえて、この話は仕舞いだよ」
手に持っていた器で何か飲み物を口にする里長。横に控えているラキュルの父親も、里長の決定に不服はないようだ。「ふぅ」と一息ついてから、里長は次の話を
「何か話があって来たんだろう? 言ってみな」
聞きたいことはいくつかあったが、やはり最初に聞くべきはこれだろう。
「封印術についてお伺いしたいです。封印術とは一体いつ、どのようにして生まれたのでしょうか」
今でこそ生活に欠かせないものとなった魔法だが、ここまで便利に使えるようになったのは、割りと最近のことだ。俺の読んだことのある古文書によれば、二百年前の魔王討伐後、当時の魔王軍が有していた技術の一部を世界中の国々が解析、研究し、解き明かした部分を利用して成り立っているのが今の魔法文化であると言う。魔力による水道の循環や、魔法炉なんかがいい例だ。もちろん今ほど精密になったのは改良に改良を重ねた結果であり、その点は人類の二百年が成し得た研鑽の結果と言っていいだろう。
そこに来て封印術は、それとは全く存在の意味が異なっている。魔力の流れそのものを絶ち、一切の魔法の使用を封じる封印術は、人類にとってどんな利があって生み出された技術なのだろうか。
「お前さんはそれを聞いてどうする? 魔法使いであるお前さんにとって、本来封印術は邪魔でしかないはずだ。まぁ、お前さんに限って言えば、一概に邪魔なだけではなかったのかも知れないがね」
どうやら俺の身体能力についてもお見通しらしい。全く、食えないご老人だ。
「どうして俺の事情をご存知で?」
「どうしてだって? そんなもん見ればわかるさ。
覇気。また新しい言葉である。
「覇気と言うのはね、お前さん達にわかるように言うなら……そうさな。生命力とか存在感とか、まぁそんなところだろう。うちの里の中でも特に覇気の強い連中を向かわせたと言うのに、リーダーを任せたゾムレイが一戦も交えずに里に連れて来たんだ。どんな化物かと思えば、案外紳士的じゃないか」
話を聞く限り、そのゾムレイと言うのがラキュルの父親の名前なのだろう。確かに、言われて見れば生命力に満ち溢れていると言うか、存在感のある人物である。
「その辺りは師匠に厳しく
「ほう。人間側の戦力が大幅に下がると言うのに、それでも封印術を使うと言うのかい?」
「はい。ラキュルから聞いた話では、封印術は任意で効果範囲を操作できるとのこと。的確に配置すれば、魔王軍側の戦力だけを削ぐことも可能かと思います」
俺の言葉に一応の関心を示す里長。だがそれでも、まだ一歩足りないらしい。
「……それなりに考えてはいるようだ。けどね、大事な点を見逃してるよ」
「と言うと?」
「封印術ってのは本来、術者本人を中心として展開するものだ。お前さんの使い方だと、魔王軍の軍勢の中に、無防備な封印術師を配置することになっちまう。その点はどうする?」
里長のこの言葉を、どこかおかしいと感じる。俺はその違和感をそのまま口にすることにした。
「ラキュルは封印紋とやらを各地に設置することで、遠隔で封印術の広域展開をしていました。それが可能ならば、俺の言った作戦も通用するはずですが」
里長は「なるほど」と呟いてから、視線を流して何やら考え込んでいる。そしてラキュルの方に視線を動かすと、そのまま彼女に問いかけた。
「それは本当かい、ラキュレイ」
「……はい。ディレイドさんの言葉に嘘偽りはありません」
ラキュルの言葉を受けて、里長は大きくため息をつく。見た感じ、ラキュルの能力に思うところがあるようだ。
「この話は、出来れば里の中だけに留めておきたかったんだがね」
そう前置きして、里長は語り始める。封印術とは何か。どうしてこのような
曰く。封印術とは、元々魔を退ける破邪の力としてこの世界に存在していたらしい。魔力と言うのは本来魔に連なる力。これを封じるのが封印術本来の使い道であったと言う。
「ちょっと待ってください! それはおかしい! 魔力は神代魔法にも使われる、魔法にとってなくてはならない力の源です! それが魔に連なっているというのは――」
「話は最後まで聞きな、坊や。お前さんの言い分はわからないでもない。でもね、この世の真実なんてものは、案外薄っぺらな氷みたいなもんさ」
力そのものに善悪はない。魔に連なる力だからと言って、存在そのものが悪という訳ではないのだと、里長は言った。その上で、話は二百年前の魔王討伐に移って行く。
二百年前。封印術師は当時の勇者パーティーの一員として魔王討伐に参加していたらしい。その理由はもちろん、女神アルヴェリュートの神託があったからだ。当時勇者に同行していた封印術師は、その力を存分に振るい、魔物を弱体化させることでパーティーに貢献していた。それだけでも俺の知っている歴史と違う。俺の知っている歴史に封印術師など出て来ない。強力な魔法使いがいたと言う記載はあったが、里長の語る歴史にはその魔法使いの方が出て来ないのである。そして、何よりも驚くべきはその結末であった。
「当時の勇者一行は魔王に勝利することが叶わなかった。理由は終ぞ口にしたなったらしいが、里に戻った当時の術師がそう証言したそうだよ」
二百年前の魔王討伐に失敗している。それは今ある歴史を根底から覆す衝撃の言葉だ。もしそれが真実であるというのなら、今あるこの世界は一体どうやって存在し続けてきたのだろう。
「それからさ。儂等封印術師は見捨てられた。女神アルヴェリュートにね」
「見捨てられた? それはどういう……」
「女神アルヴェリュートは、温暖で豊かだったこの土地を、極寒の雪と氷で閉ざしたんだ。更には人々の記憶から封印術に関する全ての知識を消し去った。封印術師はその後に発展する魔法文明の敵とされ、隠れ住むことを余儀なくされたのさ」
女神アルヴェリュートが、ごく一部とは言え、自身の子も同然の人類を見捨てた。そんなことがあり得るのだろうか。にわかには信じ難い。しかしそうなると、また不可解なことが出てくる。他でもない、ラキュルが見たという夢のことだ。
「ラキュレイが幼い頃に見たって言う夢のことは、儂も聞いてるよ。でもね、儂等には到底信じがたいことだ。代々の里長が伝えてきた歴史を
最早俺にとっては何が真実なのかわからない。先代の勇者が敗れていたのなら、この二百年間、俺達は魔王を放置していたことになる。一見平和であったはずの世界は、その実魔王の存在を有していたのだ。そんなことが受け入れられる訳がない。
それでも、俺やラキュルが見た夢がただの夢だったとは到底思えないというのもまた事実。女神アルヴェリュートに見捨てられたという封印術師の一族の末裔に、どうして女神は神託を下したのか。謎を解明するためにこの里を訪れたと言うのに、むしろ謎が深まってしまった。
この後もしばらく里長と話をしたが、それ以上目ぼしい情報は得られず。結局一晩里で世話になることにし、翌日には里を発つこととなったのだった。
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