第二章 世界最強の魔法使い、再び魔物と相対する

第六話 ご主人様ではなく

 町の被害状況の調査の合間を縫って、森で野営中の少女に水と食事を届ける。割りと安全な森であるとは言え、たった一人で生活出来ているのだから、見た目の印象よりも逞しい少女だ。


 事前に教えておいた俺の来訪を知らせる合図を送ると、物陰から少女が姿を現した。


「すまないな。こんな森の中でいつまでも野宿させて」

「いいえ。一日三回水と食料を与えてくれるだけ、前のご主人様よりも優しいです」


 と、少女の言い回しが気にかかる。


「ちょっと待った。前のご主人様ってウェインズのことだよな?」

「はい、そうです」

「今のご主人様は?」

「あなたです」

「どうしてそうなる」

「あの状況で、あなたは私を殺しませんでした。それはつまり、私を使役しようという意図があったのではないかと」

「……そう来るか」


 つまり、彼女の中では元のあるじを殺して所有権を奪ったという扱いになっている訳だ。しかし、今の俺は一介の冒険者。いや。例え勇者パーティーの一員のままだったとしても、奴隷を使役しようなどとは思わない。


「悪いけど、俺は奴隷を持つつもりはないぞ?」

「やっぱりこの貧相な体は不要ですか?」


 少女が自分の体を見下ろしながら言う。どこをどう解釈したらそういう発想になるのだろうか。確かに俺は魔法使いだし、封印術の使い手と相性がいいとは言えないが――。言えないよな。


 どうしても頭の内をチラつくのが、あの時発揮した驚異的な身体能力である。信じ難いことだが、あれが日頃俺自身が魔法で封じ、負荷をかけ続けているこの身体の実際の能力なのだ。ウェインズの言う通り、あれほどの身体能力があるのなら、魔法を使うよりもずっと効率的に戦うことが出来るだろう。むしろ、魔法による拘束を解いて、その上で更に強化魔法を使えば、世界最強を名乗っても反論出来る者は現れない可能性すらある。


「確かにこんな体では夜伽にも向かないでしょうし、いらないと言うのであれば、他の貰い手を探していただけると助かるのですが」


 彼女はいつから奴隷をやっているのだろうか。すっかり奴隷根性が染み付いてしまっている。


「故郷に帰って自由に生きるって選択肢はないのか?」

「元々里の風習があまり好きではなくて。思い切って飛び出したところを盗賊にさらわれたんです。結果として封印術でたくさんの人を不幸にしてしまいましたし、今更会わせる顔がありません」


 そういう事情があるのなら、故郷に帰り辛いという気持ちもわからないでもない。しかし、それと奴隷の身分に甘んじているというのは別の話だ。少なくとも、隷属の首輪などと言った魔導具が使われている訳でもなし。暴力による強制がなくなった今ならば、奴隷の立場から脱却することも可能だろう。


「自分の侵した罪があるから、奴隷であることを受け入れると?」

「そういうことです」


 実際、彼女は盗賊の働く悪事に加担してしまっているので、その点を覆すことは出来ない。それでも、まだ未来のある少女が、こんな形で腐って行ってしまうのを見るのは忍びないものだ。ここは根気強く、時間をかけて、彼女を更生させて行くのがいいだろう。


「わかった。君の身柄は、しばらく俺が預かる」

「恩に着ます。改めて、これからよろしくお願いいたします。ご主人さ――」

「ただし、ご主人様呼びは禁止な?」

「……では何とお呼びすれば」

「名前で呼んでくれ。俺はディレイド。ディレイド=エルディロットだ。馴染みの連中からはディルって呼ばれてる」

「それではディレイド様と――」

「様を付けるのも禁止。呼ぶ時は呼び捨てか、さん付け、あるいは愛称で頼む」


 これに関しては彼女も相当困惑した様子である。何せ、いきなり奴隷の身分を逸脱した呼び方を提示されたのだから。とは言え、俺も引く気はない。呼び方は相手との関係性を決定付ける重要なものだ。ここで畏まった呼び方を許してしまえば、彼女はそれに依存し続けてしまうだろう。それだけは避けたいところである。


「ではディレイドさんと呼ばせていただきます」


 いきなり呼び捨てや愛称呼びは厳しいか。それでも、いずれはそれも可能にして行きたい。そうなる頃には、彼女も少しは前向きに生きられるようになっているはずだ。


「それでいい。それじゃあ君の名前を教えてもらおうか」


 ウェインズは彼女のことを『ラキュル』と呼んでいたが、正式な名前は聞いていない。今後必要になることもあるだろうし、把握しておきたいところである。


「大変申し訳ございません。私はラキュレイ。ラキュレイ=ノルンと申します。ラキュレイでもラキュルでも、お好きに呼んでいただければ」


 ラキュレイ=ノルン。不思議な響きだ。これまでにいろいろな国を訪れた経験のある俺だが、そのどこの国の発音とも微妙に異なっているように感じる。勇者様の本名であるマサヤ=キサラギほどの異世界感はないものの、それでも耳に残る響きだ。


「じゃあラキュル。今はまだ町全体が厳重警戒ムードだから、君を連れて入るのは難しいけど、もうしばらくすればそれも解けるだろうし、それまで待っててもらえるか?」

「ディレイドさんがそう申されるのであればいくらでも。前のご主人様から隠密技術も仕込まれていますので、発見される心配はないかと思われます」


 恐らく術の使用中に襲撃を受ける可能性を考えてのことだろう。魔力の流れそのものを阻害するなど、通常ではあり得ない能力である。そんなものがあると知られれば、真っ先に使用者が狙われるのは必定。身を潜め、気配を絶つ技能は必須と言える。


「そう言えば、襲撃があった日の昼間、町に来てたよな? あれは何でなんだ?」

「封印紋の遠隔起動の最終確認をしていました。あれほど大規模な展開は初めてだったので」


 封印紋と言うのは、俺が見かけたあの紋様のことだろう。どのような原理で動いているのかはついぞわからなかったが、その構造について詳しく探求したくなるのが魔法使いとしてのさがだ。知的好奇心こそ魔法上達の鍵だと、師匠もよく言っていたものである。


「その封印術に関して、詳しく教えてもらうことは出来るか? もちろん知っている範囲で構わない」


 俺がそう口にすると、ラキュルは少し困ったような顔をした。


「申し訳ございません。私は技術を取得しただけで、原理を学んではいないのです」

「……つまり、封印紋の形を覚えてその力を行使することは出来るけど、その意味や由来まではわからないと」

「そうなります」

「その割りには、随分大規模な術の行使が可能なようだけど」

「それに関して心当たりはあります。ですが、里のみなを始め、両親に話しても信じてもらえませんでした」


 両親ですら信じてくれないとは穏やかではない。話しぶりを聞く限り、その里と言うのが封印術師の里なのだろうが、その中でもラキュルは特別ということか。


「言ってみな?」

「……幼少の頃に一度だけ、女神様の神託を受けたのです」


 聞き捨てならない一言だった。一度きりの神託。それはしくも、俺と状況が同じだったのだ。


「詳しく」

「……五歳くらいの頃だったでしょうか。いつもとは雰囲気の違う夢を見ました」


 いわく。その夢の内容と言うのが、女神アルヴェリュートによる神託だったのだと言う。夢の中で、ラキュルは一人の少女が倒れている現場に遭遇した。慌てて駆け寄って抱き起こすと、少女はこう口にする。


『私は女神アルヴェリュート。あなたに危機を知らせにきました』


 女神アルヴェリュートを名乗る少女は何かに苦しみながら、それでも必死になってこう続けた。


『先の戦いの折、私は魔王に力を奪われ封印されてしまいました。私が召喚した勇者もまた、時の狭間に捕らわれてしまっています。どうか真なる勇者とともに魔王を討ち滅ぼし、世界を救ってください』


 先の戦いというのは、恐らく先代勇者と魔王の戦いを指しているのだろう。これがおよそ二百年前の出来事。しかしこの女神アルヴェリュートを名乗る少女の言葉は、古文書に記されている歴史とは相違点がある。古文書によれば、女神が封印されたなどという記載はどこにもないし、先代勇者は魔王を無事に討伐したことになっているのだ。


 だが、ここで重要になってくるのが、俺自身の経験である。ラキュルが見たという夢は、俺が幼少の頃に見たものと全く同等の内容だった。女神の神託らしきものはそれきり。それでも、実際に女神の加護としか説明のしようがない能力は持っていたし、その点では他のメンバーを圧倒するほどだったので、当時は勇者パーティーの一員として腕を振るって来た訳だが。


「ラキュル自身は、その夢をどう思う?」

「私は夢の中のアルヴェリュート様は本物だと思います。そんなはずはないと里のみなに言われましたが、不思議と確信が持てるんです」


 俺も夢に出てきた女神アルヴェリュートが、ただの夢だとか、偽者だとかは思っていない。夢の中の少女には、それを感じさせるだけの気迫が存在した。だからこそ、俺は世界を救うために必要と思われる鍛錬は欠かさなかったし、勇者が召喚されたと聞いた時、ついにこの日が来たかと興奮したものだ。


 封印術という謎の技術と、女神アルヴェリュートからの意味深な神託。他にも気になるところはあるものの、この場で考え込んでいても答えが出る訳でもない。


「……とりあえず食事にするか」


 体調管理も仕事の内。健康な身体は規則正しい食事からだ。俺は持ってきた食料を鞄から取り出し、ラキュルに渡す。


「ありがとうございます。ディレイドさん」

「安いパンに肉やら野菜やらを適当に挟んだだけのお手軽調理品だけどな」

「そんなことはございません。この野菜を煮詰めて作ったソースなど、大変美味でございます」

「このくらいでよかったら、今度作り方を教えてやるよ」

「本当ですか。よろしくお願いいたします」


 まともな食事というのは人に生きる活力を与えてくれる。これまでも心がくじけそうな時、何度も美味い食事に助けられて来た。今のラキュルは奴隷生活の影響か心がすさんでいる部分があるので、これからは真っ当な食事以外にも生活の質を向上させてやるべきだ。現状、俺に出来ることは限られているが、それでも抱え込んでしまった以上は最善を尽くすのが道義。いつの日か、彼女が全力で笑える日を目指して、今は一歩一歩進んで行くとしよう。

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