のらくら

錦木

出会いと掘り出し物は一期一会 第1話 

 雲ひとつない星空の下。

 爽やかな風さえ吹いている穏やかな夜に真っ赤に染まった一人の男が立っていた。

 穏やかならぬ滴る赤い液体に通行人は遠巻きになるもの、目に見えてさっさと歩くもの、釘付けになるものさまざまだったが全員一様に足を止めるものはいなかった。

 というのも、憤怒ふんぬの表情を浮かべる男の前には正座させられた男がいるからである。

 いったいどういう状況であるかわからないが関わらないが身のため自分のためと思ったからであろう。

 懸命な判断である。

 この二人の間に立とうものなら火に油を注ぐことになりかねないからだ。


「じゃあ、これはどういうことなのか聞こうじゃねえか」


 いらだった声の男は目をさらに吊り上げながらそう言う。


「話せばわかるって。だからまずこの縄をほどいてくれよ」


 正座させられた男の手にはたしかに、縄が巻かれている。

 それもこの特殊な状況に絶妙なスパイスを加えているというべきだろう。


「ほどくわけねーだろ。間違いなくてめえ逃げ出すだろ」

「ほどいてもらわなきゃしゃべらねーもんね。おーいお巡りさん助けてこれほどいて」


 大声でそうわめきだした正座男の口を赤い男がふさいだ。


「静かにしろよ。警官なんざ呼んでもこないことはてめえがよく知ってるだろ」


 もごもご言っていたが、正座男は静かになる。

 それを見計らって赤い男が手を離すとぺっとつばをはいた。


「それになんだ」


 赤い男はポリポリと頭をかく。


「周りの人に迷惑だろが」

「そんなの今さらだろうがこのバカ!」



 時間はわずかさかのぼる。


米蔵よねくらくん、今日はもうあがっていいよ」

「うっす」


 そう言って青年は頷いた。

 少し長めの黒髪を尻尾のようにしばっている。

 夜の空のように黒い瞳が月を映した。

 今宵は満月だ。

 夜なのにどことなくあたりは明るい。


「夕飯買っていっていいすか」


 バイト先のコンビニでは社割がきく。

 学生でただでさえ金がない身分にはありがたいことだ。


「お好きにどうぞ。バックヤードに期限切れそうなやつあったからそれも持っていっていいよ」

「ありがとうございます」


 そう言って店内を見渡す。

 さて。

 今日は何を買っていくか。



「お疲れ様でした」


 そう言ってコンビニの裏側から出ると外は真っ暗だった。

 先ほどまでの月が、雲に隠れている。


「こりゃいけねえな。とっとと帰るか」


 このあたりはさほどに街灯が多くない。

 夜道を歩いていて物騒なやつにでも突きあたったらそれこそ面倒くさい。

 さっさと帰ろうとして、がさりと何かが動いた音に身構えた。

 なんだ。

 ゴミ捨て場のあたりになにかいるようだ。


「野良猫か……」


 でなければネズミかカラスの類だろう。

 そう思ってさっさと通り過ぎようとしたのだが、存外その影が大きいことに気づく。

 目の端で見て絶句した。


「人……」


 少年が倒れている。

 暗いので細かいことはわからないが、見た目は高校生くらいでボロい服を着ている。

 ので最初はゴミかと思った。

 なんだ。浮浪者か?こんな若いやつが?

 そんな考えが頭をよぎる。

 まさか、死んでいるわけじゃないよな。

 そーっと突いてみようとするとかっと目が開いた。


「どわっ!」


 大和は思わず後ろへ飛び退る。


「飯のにおい」

「は?」


 ぎゅーぐるるとバイクのエンジン音みたいな音がした。


「卵のにおいもする。……なんか変わったにおいもする」

「は?」

メシ寄越せ!」


 猫のように少年が飛びかかってきたので大和は反射的に避けた。


「なんだ、お前」

「なんだ、これ」


 ハッとする。

 手の中からいつの間にかビニール袋が消えていた。


「お前……!」

「おむらいす。初めて聞く名前だ。けど、うまそう」


 少年がパックを掲げた。


「返しやがれ!それは俺の夕飯」


 じとっとした目で少年は大和を見た。

 ついでオムライスに目を移す。


「人のものをとるのは悪いこと……。でも背に腹は変えられぬ……」

「おいなにブツブツ言ってやがるんだてめー」

「というわけでいただきます」


 手を合わせて礼をした瞬間に大和は動いた。


「あっなにしやがる」

「なにしやがるはこっちのセリフだ。なに自然な流れで食おうとしてんだよ!」

「くれ!」

「断る!」


 オムライスを手に取った取られたの繰り返しをする二人を周りの人々はぽかんと見つめている。

 こいつ……。

 大和は思った。

 なぜ俺の動きについてこられる。

 米蔵よねくら大和やまとは忍者である。

 忍者。古くからさまざまな術を極め、諜報から暗殺までをこなしてきたものたち。

 現在ではほぼ絶滅したと言われるその血筋を大和は受け継いでいた。

 だから、反射神経には自信があるし、普段から訓練もしている。

 それなのに体の動きについてこられるとは何者だ。

 こいつ……。

 少年もそう思っていた。

 俺の動きについてこられるとは何者だ。

 こんな街中にこんなやつがいるとは。

 だが、少年のほうが一枚上手だった。


「悪いな。もーらいっ」


 そう言って大和の手からオムライスを奪い取るとダッシュで逃げようとした。


「逃すか、よっ」


 たしかに逃げられるはずだったその瞬間。

 大和の振り上げた足が少年の手元を直撃した。

 そして状況は冒頭に戻る。



「頭からオムライスをもろに食らい」、真っ赤になった大和は少年に詰め寄った。


「で、わけを聞こうか。てめえはどうして他人の手から今日の晩飯をかっさらおうとした」

「悪い。俺三日ほどなにも食ってなくて腹減ってんだわ」

「そう言ってあたり前のようにこっちに寄ってくんな」


 縄が絡まったまま芋虫のように這ってくる少年に大和は言った。


「なんだよ。ケチ臭いな」


 少年は口を尖らせる。


「申し訳ないなという思いとか反省とかないのかてめえはよ」

「男に対してそういう気持ちはわかないね。それに兄さんもう一個袋持ってんじゃん。いいじゃん、晩飯くらい恵んでくれたって」

「見ず知らずのやつに晩飯かっさらわれることを恵むとは普通言わねえんだよ」


 大和はため息をつく。

 おにぎりとからあげのパックを取り出すとそれを放った。


「ったく。それ持ってとっとと消えろ」

「マジで!これくれんの」


 現金に目を輝かせる少年に大和は手を振った。


「やるやる。そのままどこへでも行っちまえ」

「なあ、お兄さん」


 にこりと人好きのする笑みで少年は笑った。


「ありがとな」

「今度から人のものは奪うなよ」

「それともう一つ」

「なんだよ」

「なんで俺が忍だとわかった?」


 大和は呆れたように言う。


「あの体の動きで一般人だと思う方が無理だろ」

「それはそうだけどさ」

「それよりお前気をつけろよ。どこの田舎から出てきたか知らねえが、街じゃ警察だってあてにできないんだからな」


 忍者の起こした事件、厄介ごとは忍者で解決する。

 それが世間の暗黙のルールだった。

 警察でさえ、忍者とわかれば事件から手を引く。

 一般人には通じない決まりがそこにある。


「言われなくても自分のケツくらい自分でくさあ」


 そう言って、少年はおにぎりを頬張ほおばった。

 ……おにぎりを頬張った。


「て、てめー!縄抜けしてんじゃねえよ!ていうか出来るのかよ!」

「あん?当たり前だろ。だてに忍やってねえっての」


 その時、にゃあと鳴き声がした。

 道の向こうからなにかやってくる。


「猫?」

「おー。万両丸まんりょうまる。無事だったか!」


 茶トラの猫が少年にすり寄った。


「心配してたんだぞ、こっちきてから姿が見えないから」

「お前の飼い猫か?」

「相棒っていうか兄弟みたいなものっていうか」

「相棒置き去りにしてたのかよ」


 その時道の向こうから猫に続くようにしてなにかがやってきた。


「よお、兄ちゃん」


 見た目だけで素行がよくないとはっきりわかる男が青筋を立ててこちらを見ていた。


「その猫の飼い主か?」

「いや、飼い主っていうかこいつは兄弟みたいな」

「そいつはもういいって言ってんだろ」


 どうやら嫌な気配だと大和は思った。


「じゃあ、家族の不始末は自分でつけなあ!」


 男の背後からぞろぞろとさらに柄の悪そうな男たちが出てきた。

 手に手に小刀や棍棒こんぼうのような物騒な獲物を持っている。


「おいおいなんじゃありゃ……」

「かかれ!」


 大和が後退するのと号令がかかるのが同時だった。

 刃物のようなものが次々と降りかかる。


「どわー!!!」


 大和は全速力で逃げ出した。

 晩ご飯のビニール袋は死守しながら。


「これ、苦無くないか?」


 地面に突き刺さっているものを見る。


「じゃああいつらは忍……」

「ったく面倒臭えな。こっちはやっと食事にありついたってのにもぐ」

「おめーはおにぎり食ってんじゃねえ!」


 言葉通り面倒臭そうに少年は逃げている。

 なぜか大和の隣を走りながら。


「お前どこか行けよ!なんでついてくるんだよ」

「は?兄さんが俺の隣にぶらついているんだろ」


 追撃がきたところを同時に飛んだ。


「どう見てもお前に用事があるんだろうが。相手しろよ」

「心当たりねえしな。ここは逃げるがハッピーだろ」

「ハッピーなのはお前の頭の中だ!逃げるが吉だろ」


 ちっと大和は舌打ちした。


「ああクソがキリがねえ。おい次の道で別れるぞ」


 道が右と左に分かれる箇所まで来た。


「一二の三でお前が右、俺が左だ。行くぞ」


 大和は全速力で走った。


「一二の三!」


 振り切ったか?

 後ろには、少年がいた。


「おいおいウソだろ!なんでお前まだいるんだよ!」

「いや向かって右かなと思って」

「そんなわけあるかあ!!」


 追手は次々と押し寄せてくる。

 数が増えた気すらするのは気のせいか。


「どうすんだよ、これ」


 ごくんと少年はおにぎりを飲み込んだ。


「心配すんな。これがある」


 少年は懐からなにかを取り出すと地面に放った。

 あっという間にあたりが真っ白になる。


「なっ……煙玉けむりだまか!」

「どこに行きやがった」


 あちこちで怒号が上がるが視界は完全にふさがれていた。

 息を殺して二人は膝をついた。

 このままやつらが逃げるまで隠れきれば。

 気づくと、少年が少し離れて位置にいた。

 なにしてるんだ、と大和は首を傾げる。

 すると、少年は大和に苦無を投げつけてきた。


「はあっ?!」


 大和は間一髪で避けた。


「いたぞ!追え!」

「なんで俺ぇえええ!」


 大和は逃げ出した。

 あいつ今度会ったら絶対叩きのめすと思いながら。

 まあ、追っ手から無事逃げ切ればだが。



 結果。

 大和は追っ手を振り切って見事に逃げた。


「ったく無駄に疲れたぜチクショー」


 そう言ってアパートの鍵を開ける。

 街をジグザグに通って遠回りをしてやっと振り切った。

 振り向いて気配がないことを確認してから玄関ドアを開ける。


「しかし、なんだったんだあいつら。あんな道の真ん中で獲物振り回しやがってよ」


 ドアを閉める。


「よっ」


 窓の枠に誰か座っていた。

 声だけでわかる。

 先ほどの、少年だ。


「やーさっきは助かったぜ」


 顔の前で手を合わせる少年にツカツカと大和は寄っていく。

 全力の脳天割りをお見舞いした。


「痛てぇええええ!お前ちょっといきなりチョップはないんじゃないの!」

「てめぇええええ!それだけですんでありがたく思え。次は頭の中身ぶちまけるぞ!」


 ちぇっ、と少年は舌打ちした。


「悪かったって。お前におっかぶせて逃げてすまねえ」

「今舌打ちしたよな?すまねえって態度じゃねえだろ」


 再びキレそうな顔をしながら大和は言う。


「ていうか何でお前ここにいるんだよ。どうやってぎつけてきやがった」

「へへ。俺は特別鼻がきくもんでねえ」


 鼻を指差してへらりと笑う。

 底の知れねえ野郎だ、と大和は思った。

 機動力にとっさの機転、人を囮に使うことは許せねえが。


「お前なら逃げられると思ったからさ」


 先ほど食い物のことで争ったときもそうだが、動きを読まれている。

 そう感じた。


「お前……何者だ」

「お前じゃねえよ。俺は箕浦みのうら良八りょうやってんだ。良八でいいぜよろしくな」


 また子犬のような無邪気な顔で笑って。


「兄さんの名前は?」

「……米蔵よねくら大和やまと

「大和かあ。お前なんて言うか黒ネコっぽいってよく言われない?」

「あ?なんでだよ」

「ほら、黒ネコ○マトの」

「黙れ」


 大和は一瞬で良八の口をふさいだ。

 モゴモゴ不満そうになにか言ってるので手を離す。


「なんだよ」

「じゃ、自己紹介ついでに知り合ったことだしさ」


 パンと良八は胸の前で手を合わせた。


「今晩ここに泊めてくんね?」

「はあ?」


 大和は脱力した。

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