第6話 揺らぐ



 少しだけ期待して開けた扉の向こうにはグレンの姿はなくて、今日もグレンのいない日が始まった。


 いつ帰ってくるのだろう。

 リディアは会議から私室へ戻る途中で窓の外を見るけれど、見たからといってそこからは城の門は見えない。

 情報に敏感な侍女たちでさえも知らないようで、こっそりミーシュに聞いてみても、いつグレンが戻ってくるのかは分からないようだった。


 侍女たちの言うとおり、縁談の顔合わせであったりするのだろうか。

 随分と眠ったままだったグレンは、見た目こそ不思議にも変わっていなかったように思えたけれど、そもそもの年齢だって結婚をしていてもおかしくない年齢だったのだ。と、リディアは自分の今の歳と状況を考え合わせる。

 誰かに、あの柔和なこの上なく安心する表情で笑いかけているのだろうか……。ここまで考えてリディアは首を振る。


 グレンが数日いないだけで何だというのだ。彼がこの倍以上の時いないときを乗り越えたではないか。そう自分に言い聞かせて、窓から顔を逸らす。


「庭は、ご覧にならないのですか?」


 あまり聞き慣れない声に足を止めて振り返ると、


「――申し訳ありません、つい」


 グレンの代わりに護衛についてくれている男性は、リディアに見られてはじめてしまったとばかりに口を押さえて謝った。

 背丈はグレンとあまり変わらない。髪の色と瞳の色は揃って明るい茶色で、たしか、レオンという名だ。

 彼はリディアが気分を害したようではないと見てとると、また少し口を開く。


「私から見ても、陛下の顔色が少し優れないように思われましたので」

「あなたから見ても?」

「グレンに頼まれました。陛下がお倒れにならないように、と」


 グレンが?

 もしかして、彼なら噂ではなく真実を知っているのではないだろうか。


「グレンは、どこか遠くに行っているの?」

「いいえ? 少し実家に帰ると言っていました。特別長いとは聞かなかったので、すぐに戻ってくるとは思います」


 遠くに行っているのかと尋ねたリディアにレオンは不思議そうにした。リディアはほぼ無意識に言ったことだったので、気にしないように言って誤魔化した。

 何も言わずに、遠くに行ってしまったのかと思ってしまった。何も多くの言葉を交わすことなく、彼は行ってしまったことと何も答えなくなってしまったことがあるから。


 その心配はないとして、実家ハウザー家の方に帰っているという実際に聞いたらしき証言と、侍女たちの噂話が繋がって、何だか気が滅入りそうになる。


 このまま私室へ戻ると、新たに姿絵が増えていたりするのだろうか。こっちにも気も重くなる。

 増えるたび、渡されるたびに急かされている気分になるのだ。


「陛下、やはり部屋に戻ってお休みになりますか?」

「え? いいえ、大丈夫」


 ぱちぱちと目を瞬いて目の前を認識すると、どうにも気を回している護衛がいた。


「そんなに気を遣わなくても大丈夫」


 ここのところ案じる様子でリディアに休憩を促していたグレンだから、一緒に言付けていったのかもしれない。


「そう仰るだろうということを聞いていますが、何しろ私が見ても分かるほど顔色が優れないようですから、そういうわけにも」


 リディアは少し、考える。

 時間に追われているせいか、少し身体が重いような気がするし、寝覚めがすっきりしなかった。

 顔色が悪いとは青白くなっているとかそんな類だろうか。しかしそこまで……。

 病は気からとも言う。息が詰まっているのであれば、久しぶりに外の空気を吸うべきなのかもしれない。


「少し、寄り道してもいい?」

「陛下がお立ち寄りになりたい場所に」


 テラスから庭を覗くくらいなら、寄り道して通り過ぎ際にでも行ける。

 そういえば、少し前にグレンが教えてくれた。満開の花が美しい庭がよく見えるテラスの場所を思い出して、教えてくれたグレンと一緒に見たいと思った。

 でも最近、彼はいなくて。リディアの足は鈍る。

 グレンの不在がそこまで長くないのなら、花が美しい内に戻ってくるだろう。……戻ってきてくれるだろう。

 だから、やっぱり今日はやめよう。昨日残してしまった分も含めて仕事を片付けて、グレンが戻ってきたときに一緒に外に出られるように──


 視界が、揺れた。


 やっぱり部屋に、とグレンではない護衛を連れて歩き出そうとした。そのときだった。


 リディアは顔をしかめる。

 視界が、視力でも悪くなったみたいによく見えない。それだけでなく、体を揺さぶられたみたいな感覚に襲われて、足元が定かではなくなる。

 吐き気も、するような。

 口許に当てた手が震えた。


「陛下!?」


 何が、どうなったのか。

 分からないままに、リディアの視界は黒く染まり、何も感じなくなった。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る