第11話 護衛の話
翌日は予想通り雪は溶けず、地面には靴が沈むほどに積もっていた。
辺りは一面雪に覆われ真っ白……と言いたいところだが、すでに道となる部分だけは人の手で雪が除けられていた。
その道ではなく、リディアは誰の足跡もついていない庭に駆け出していた。もこもこの上着を着て、足には雪が入り込まないようにと膝下まである長い靴を履いてという装備である。
「殿下、雪が積もっていますよ。雪遊びしますか?」と朝イチやって来た護衛に提案されて、外に出てきたのだ。
「なにを作っているんですか?」
「雪だるま」
吐く息白く、リディアは後ろから声をかけてきたグレンを見ずに答える。
手元では、固めた小さな雪の玉を地面に転がして大きくする作業に忙しい。
小さな雪の玉を少しずつ大きくしていき大きさの異なる雪玉を三つ作るのだが、リディアはなるべく大きなものを作ろうと画策していた。他に同じことをする人はおらず、ここは見渡す限りリディアの独壇場だからだ。
そうやって没頭することしばらく。
空に太陽は出ておらず、気温も上がらず溶ける心配はないため無事三つの雪玉が並べられて鎮座していた。
しかし、組み立てるときになって問題が発生した。リディアが欲張った結果、大きくしすぎてどうにかひとつは上に乗せられたが、一番上のものは手が届きそうになく乗せられそうにないのだ。
困った。リディアは何か方法を探してきょろきょろする。何か台を持ってくるべきだろうか。
「随分大きなものを作りましたね、殿下」
いつの間にかどこかに行っていたらしいグレンが、
「俺が乗せますよ」
と救いの手を差し伸べてくれた。彼ならば容易なことだろう、とリディアは「ありがとう」と手を借りることとする。二段で妥協の道はない。
けれどグレンは、「その前に」と手にしている何かを持ち上げてみせる。
「首が寒そうだと」
視線で示された先を追うと、少し離れたところに侍女の姿が見える。彼女たちからだということだろう。彼が持っていたのは温かそうなマフラーだった。
可愛らしいマフラーを手に屈み込んだグレンが、リディアに手を伸ばす。肩にうっすらと積もっている雪に触れ、払う。
すると、その箇所だけでなく頭やもう一方の肩などに積もっていた雪がぱっと消えた。
「不思議な力」だ。
きらきらと消えた雪の名残が見えた気がしたが、周りにいる妖精の光だったかもしれない。日常で頻繁には見ることないその力に目を奪われている内に、マフラーが素早く首に巻かれる。
「これを乗せればいいんですね?」
「うん」
雪玉を一番上に乗せてくれる後ろ姿と広い背中、軍服とのなんと不似合いなことか。
リディアはその背中に呼び掛ける。
「……ね、グレン」
「なんですか? 殿下これお顔つけます?」
「その前にきれいにするの」
形と表面をきれいに整えるのだ、と自分も三段重ねの雪玉に駆け寄ると、リディアは見本を見せるべく行動に移す。
「ああなるほど。それと殿下、話を逸らしてしまいましたが、さっき何か言いかけてませんでした?」
「うん」
上はリディアの手が届かないので、リディアは下からグレンは上からやってくれるようだ。
「グレンはどうして、軍人になったの?」
「妖精」という言葉と「軍人」という言葉が並べられることの違和感。
軍服が似合わないわけではないけれど、どうも物腰柔らかなせいかリディアにはしっくりこないのだ。
彼のことを知らないと思って、はじめて尋ねた。妖精は軍人にはならないのであれば、実は人であったとしてもどうして彼はその道を選んだのだろうか。
「俺が軍人になったわけ、ですか」
「そうですね……」と雪の塊の形を整えながら、グレンは考え込む声を出した。
彼には珍しく言うことに迷っている様子が続いて、ようやく、雪玉を見つめていた目がリディアに向く。
「俺は完全な妖精にはなれません」
おもむろにグレンは地面から雪をすくい、「こんなことができてもね」と手を宙で一振りした。
細かな雪が舞ったかと思われた瞬間、雪の粒が花びらに様変わりする。雪が降っている冬の光景に春が混じったようになり、リディアはしゃがみこんで一番大きな雪玉を綺麗に固めていた手を思わず止めて見上げた。
「そもそもの理由として、元が人であるのならば人として生きることが正解なのではないかと考えた時期がありまして」
人でありながら、妖精の不思議な力を持っている護衛はリディアが想像もしなかったその身ゆえの過程を語りはじめた。
「俺を育ててくれたのは妖精たちです。ですが、近くにいればいるほど彼らと自分が違う存在だということを年を重ねるごとに強く感じました。どうすれば人らしくなれるのか。妖精公爵について王宮に行っていたときがありました」
「ああ、そういえば小さなときに会った方々には今より妖精だと認識されていたと思いますね」という言葉が挟まれる。
「三度目のときでしたか、声をかけてきた人がいました。一人の男性でした。この方とははじめてお会いしたときから度々会うことになるのですが、不思議なほどに俺を見かけるごとに気にかけてくださった方です。
俺が自分の存在に悩みはじめたとき、妖精に相談するわけにもいかず、かといって人に関わっているときでもなかったのでその方にある日溢したときがありました。自分は何なのだろうと。
すると間髪いれずに、肩を掴まれまして、何だと思えば……『お前は人間だ』と言われたことは言い様のない衝撃がありましたね。やはり、他人から言われると。ああそうなのか、とはじめて自覚したようにもなって。
その方は実は軍人でいらっしゃって、その後その方の紹介で軍の学校に入ったんです。
捨て子で妖精は名字を持っていないことあって、名字なんてなかった俺のハウザーという名字は、その方からいただいたんですよ」
「できましたね」と気がつけば雪だるまはまん丸綺麗に整形されて、グレンはリディアに近い目線にまで下がってきていた。
「妖精公爵には反対され、実際入学後少し向いていないのではないかなと思ったときもありましたが、卒業できました。と、経緯的にはこういうわけなんですがどうでしょう」
聞いておいて何だが、簡単簡潔に語られてどうでしょうと言われてもリディアにはよく分からない。
この護衛がまさか「妖精」というリディアが目を輝かせていた部分で悩んでいたとは思わなかったわけで。
とりあえず、話を聞くことに気をとられていて雪だるまに触れているだけとなっていた手を離した。
それから顔用にと拾ってきていた手頃な石と枝を地面から拾いあげ、やはり顔は一番上なのでグレンに次々に石を渡している間中ずっと考えていた。
口から出せる言葉が見つかったのは、リディアが雪だるまの身体部分の装飾をしていたときだった。
「グレンは……『妖精』だから私の護衛になったんでしょ? もしかして、そうじゃなくて……『軍』にいたかった?」
「いいえ。『軍』にいるということ自体に実は執着はありません。単に俺が人として生きなければならないとわけの分からない義務感に捕らわれていたときに、偶然に見つけた道でしたので」
最初にかくれんぼで負けてしまったことでむきになって挑み続けてきたが、他の護衛と違ってリディアの元でこんなことさせてもいいのだろうかと今さらながらに思って、おそるおそる尋ねるとすぐに答えは返ってきた。
おまけに、
「それに俺は、殿下の側にいられるのなら妖精でいいのだと思います」
なんだかさっきと違うことを言う。
そうだ。リディアにとって彼は不思議な存在だった。妖精ではないけれど、人にはない雰囲気を持つ。不思議な力だって見せてくれた。
だから人であろうとしたという彼との違いに困惑に似た感覚を抱いた。
でもまた、戻ってきた。見上げたグレンが微笑むものだから、リディアはなぜだかとてもとても安心した。
「手が冷たくなってますね」
「グレンの手はあったかいね」
雪だるまは完成し、すっかり雪で冷たくなった手を大きな手で包み込まれる。グレンも雪に触れていたはずなのに、温かくて驚く。
この不思議な温かさを持つのが、彼なのだ。
見上げると、同じく不思議な穏やかさを持つ緑の瞳があって見つめ合うことになる。
リディアもグレンも声を出さないから、雪だるまが立つ傍らで静かになる。
「ねぇ殿下」
「なに?」
「落ち着いたら、春になって暖かくなったら殿下のいた村に行きましょう。俺が連れていくから」
優しい彼が、昨夜のことを言っているのだとすぐに分かった。村に帰りたいと、ここから出ていってしまいたいと即答はできないけれど、村の思い出に惹かれているのだということを見抜かれていることが想像できた。
リディアは黙って一度だけ頷いた。
グレンも頷き返して、それからもしばらく冷たさが消えるまでリディアの手を包みこんでくれていた。
「さてと、殿下。雪だるまができましたがまだ雪遊びをしますか?」
すっかり冷たさがなくなったリディアの手を一度確かめて、グレンは言う。それとも、と。
「妖精公爵のところに行きますか? また行きたいと言っていたでしょう?」
「行きたい。いいの?」
「許可はとってきました」
立ち上がって遠ざかった顔にはいつも絶やされることない笑みがあった。
今日はどうも自由時間が多いみたいだ。とリディアも微笑んだ。
「あちらは暖かいですよ」
「雪は降ってないの?」
「降らないんです。少なくとも俺がいたときはずっと春みたいでしたね」
リディアは以前行ったときに春めいた花がそこかしこに咲いていたことを思い出す。暖かかったことも。
どうやら「お伽噺の世界」は年がら年中春らしい。
それより、妖精公爵の具合はまだよくならないのだろうか。
リディアは小さな雪だるまを作って、妖精たちに手土産として持っていくことにした。
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