第6話 妖精公爵


 妖精公爵と呼ばれる存在の邸への訪問が決まった……はずなのだが、リディアが連れて来られたのは王宮の庭だった。

 剪定された植木が両端に連なる道を歩く。歩く。歩く。

 一向に外に出る気配がないどころか、むしろ奥に行っているような……。


「どうして外に行かないの?」


 とうとうリディアは耐えきれずに、道案内のため隣を行くグレンに尋ねた。外と指すのはこの場合城の外だ。

 すると彼女を宰相に任された護衛は微笑む。


「入り口はこっちにあるんです」

「……? でもお邸なんでしょ?」

「はい」


 城の敷地内にでも建っているというのか、そんなこと聞いたことがない。

 頭いっぱいに疑問が広がりながらもとりあえずはついて行き、やがて着いたのは。


「行き止まり……?」


 周りはリディアより倍背の高い緑の生け垣に変わっていて、グレンよりも高いほどだ。来た方向である背後以外は、生け垣の壁に囲まれてしまっている。言うまでもなく、前方にも立ちはだかる壁がある。


「グレン、行き止まりだよ」


 道間違えてるよと見上げるけれど、


「ここが入り口なんです」


 ますます理解不能の返答をされた。

 謎を解いてくれないまま微笑むばかりのグレンは前を向いて、彼の手が地面と水平に前に伸ばされる。

 その手がこの季節にしては青々と瑞々しい葉に触れると……パッと花が咲いた。彼が直接触れた部分だけではない、はじまりはそうであったが色彩は広がっていく。

 リディアが目を見張って瞬きしない間に、花は生け垣をあますことなく埋めつくし、葉の緑はどこにも見えなくなった。


 直後、急に風が前から吹き付けてきてリディアはたまらず目を瞑る。

 髪を後ろに飛ばさんばかりの風が止み、そっと目を開くと、行き止まりだったはずの前方には花のアーチを入り口に、柔らかな光が漏れだしてくる空間が広がっていた。


「城の外に出るのならさすがに護衛が俺一人だけでは殿下を出せませんが、ここですから」

「……これ、どうなってるの?」

「普段は繋がっていないんです。昔は開きっぱなしだったと聞きますが、今は妖精が『扉』を開かなければ行き来きません」


 実は妖精だと分かったばかりのグレンがその扉を開き、妖精公爵はこの先にいるという。


 妖精公爵の邸は不思議な力で王宮に隠れていたのだ。







 太陽の温かさというより、包み込まれるような心地よさを感じる場所で、そこは見たところ庭だったけれども王宮の庭とは異なった様相だった。

 春に咲くような色合いの見事な大輪の花が、右を見ても左を見ても咲き乱れ、リディアは顔ごときょろきょろと左右に動かし忙しない。

 促されるままにそろりと歩きだしたその「世界」はさっきまでいた王宮とは別世界だった。


 広い広い庭はとてものどかなもので、再びのグレンの案内にのんびりと歩いていると、先に家らしき建物が見えた。


「あそこが」

「そうです」


 あれが「妖精公爵」の住処。

 返事を聞ききるが先か、リディアは走り出した。

 どれだけ全力で走っても転びそうな予感が少しもしない、走ると気持ちのいい空間だ。そうやって気持ちがはやって疾走していたところで、視界を何かが過って意識が逸れる。


「……?」


 それは、一度のみならず何度も。

 思わず足を止めたときには、周りにはきらきらと小さな淡い光が宙に浮いていた。目を巡らす限り、全方角に。

 浮かんでいるだけではない、と気がついたのはすぐだった。それだけではなく動いているのだ。

 何だろうと触ってみるべく淡い光のひとつに手を差しのべると、羽に触れたような感触が伝わってきた。光は消えることなく、リディアの指先に光が灯っているようだった。


「嬉しいみたいですよ、殿下がいらっしゃって」

「グレン」


 追いついた護衛が言ったことが分からず、リディアはあげていた目を再び指の方に戻す。

 すると、指に灯っている光が増えていたからびっくりする。意思を持っているようではないか。

 指先に目を近づけてまじまじと見ると――それは小さな人形をしていた。

 薄く透ける羽を背に、飛んでいる。光を薄く纏い、宝石を思わせる目がきらきら輝く――


「妖精です」


 小さな光は、小さな妖精だった。

 改めて周りをぐるりと見渡すと、光ひとつひとつがそうで、飛び交っている。


 ここは「お伽噺とぎばなしの世界」だ、リディアは胸のわくわくが止まらなかった。







 「お伽噺の世界の家」は中まですごく明るくかった。中は意外にも普通の造りだった。公爵と言うからには貴族で、貴族であれば城のようにきらきらした家に住んでいるものではないのだろうか?


「造りは珍しいものでもないでしょう」

「グレンもここに住んでるの?」

「今はたまに来るくらいです」

「他に誰もいないの?」

「そうですね、『住んでいる』のは妖精公爵のみとなりますね」


 小さな妖精たちは、ふわふわとリディアとグレンの周りについて入ってきていた。元から邸の中にいた妖精たちもいるかもしれない。


「ここです」


 着いたのは何の変鉄もないドアの前で、グレンがノックをして開ける。


 ――その妖精の瞳は否応なしに魅了される光を持っていた


「こんにちは、小さな陛下」


 ここにリディアが来ていると知っていたと思われる挨拶がされた。

 周りに漂う小さな妖精たちのようではなく、グレンのように「普通の大きさ」をした存在がベッドの上にいた。

 長くさらさらと流れる髪は何色だろうか、その色を言い表す言葉をリディアは持たなかった。色が波打つように色合いを変えているようにも見えた。

 けれど、その目は勘違いでなければ優しい優しい透き通る翠色で、グレンの瞳の色をリディアに思い出させた。


「こん、にちは……」


 なんとかそう返すのがやっとで、傍らのグレンに背に触れられて初めて、室内に入ることもできていないまま動きを止めてしまっていたことを知った。


「いらっしゃったことは、感じておりましたよ」


 手招きされてベッド際に寄っていくと、顔を確かめる手つきでけれどそっと撫ぜられる。

 近くで覗く目は感情が読めないものだったが、不思議と安堵を生まれさせる目だった。

 祖父や祖母に会ったことはないが、それに近い。


「ああ――確かに陛下だ」

「まだ、陛下じゃないよ」

「私にとっては、あなたがあなたであれば同じことですよ」


 即位前であろうと、無かろうと。

 そうきたかと、その妖精を前にリディアは言い返せなくなった。

 だから、ここに来た理由をはっと思い出して尋ねる。


「邸から出られないって、病気なの?」

「いいえ。しかし少し体調を崩してしまいましたというところですか」

「風邪?」

「いいえ。ご心配なされずとも、時が経てば治ります」


 妖精の言葉に嘘は感じられなかったものの、リディアが首を巡らせグレンを窺うと彼は頷く。


「妖精は繊細なんです」


 とだけ返ってきた。

 繊細なのか。


「グレンも繊細?」


 何気なく問うと、グレンは少し申し訳なさそうに言った。


「殿下、お知らせしたいことがひとつありまして」

「なに?」

「俺は、人間なんです」

「…………え?」


 さらりとした口調は、宰相が彼のことを「妖精」だと正体を説明したときと同じで。だけれど内容はまるで反対で。


「え、でも、」

「すみません、混乱させて」


 本当にそうだ。

 だってさっきは妖精だと、不思議な力も見せてくれたのに。

 リディアはどういうことかと頭がついていかない。


「本当ですよ小さな陛下」


 しかし同意の声が近くから降ってきた。言わずもがな、妖精公爵だ。「父」と示されていたはずの妖精からの同意で、ますます訳が分からない。


「グレンは、人です。しかし、人の誰よりも妖精に近く実際に妖精でもあるのです」

「どういうこと?」


 全く、頭の中がこんがらがるとはこういうことだ。

 そんなリディアの頭を撫ぜる儚げな妖精は、引き込まれる声音で語る。



 昔、小さな、生まれたばかりの赤子を妖精が見つけた。

 気まぐれにも妖精たちが自分達の空間に赤子を連れ帰ったところを妖精公爵は見つけた。

 妖精公爵は赤子を可哀想に思ったので、何かの縁と思い赤子を育てることにした。

 その先は彼ら妖精も予想しなかったことが起きた。

 赤子の無垢で純粋な身に妖精の力が馴染み、人が持たない妖精だけが持つ不思議な力がその身に宿り、二本の足で立つ頃には、まるで妖精と人間との間の存在となっていたのだ。

 妖精のように不思議な力を使うが、人のように歳を重ねる。

 その瞳は妖精の輝きを持ち、しかし髪は真っ黒だった。


「妖精は淡い色彩を持つと決まっていますから」


 心地良い響きの声が途切れると、グレンが彼自身の黒髪の端を摘まんで見せる。

 確かに、とリディアは妖精公爵に一番多くついている小さな妖精をみる。みんな淡い色だ。妖精公爵も。


「それに妖精は軍人にはなりません」


 次にグレンは、彼の腰にある剣を示す。


「公然の秘密というもので、先の陛下の折にはここにいます『父』が陛下のお側にいましたから、妖精のことを知っている方々には周知のことなんです」

「ユリシウスも?」

「はい。宰相閣下は……あの場では俺が殿下のことを容易に見つけられる説明をするためで、それは俺の妖精である部分によるものですから後々お知らせするつもりだったのだとは思いますよ」

「つまり、えっと」

「はい」

「グレンは、人だけど、妖精っていうこと。だよね?」

「そうですね」


 肯定が得られて、頭を一生懸命動かしたリディアはベッドに突っ伏す。


「がっかりしましたか?」

「がっかりはしてないけど」

「けど?」

「ちょっと行ったり来たりした気分」


 誰も妖精なんて思わないから、人だと思っていたら妖精ときた。そうしたら今度は本当は人だときて、でも妖精でもあるのだと。


「だから、最後の妖精は……」


 くぐもった声での呟きの途中で顔を上げると、妖精公爵が見える。

 だから、最後の妖精は「父」だと。育ててくれた妖精だから「父」、というよりこの妖精は男性的だったのかとそこに考えが行き着いた。


「殿下?」

「ううん、何でもないや。それよりどうして同じ妖精なのに大きさが違うの?」

「ああ、それは……力の大きさと地への関わりの深さが大きければ大きいほど、深ければ深いほど姿もまた比例します。この空間も彼によって存在していると言っても過言ではないので、妖精たちに力を与えている存在とでも言いますか」

「すごいね」


 まるで皆の父親だ。と目の前の妖精の偉大さに気がつかされる。


「すごいなどととんでもありません。私はただ存在しているだけですので」




 リディアがベッドに乗り出そうと突っ伏そうとひとつも怒らず、むしろ優しく撫でてくれる妖精にリディアはいつの間にかすっかり心を許した。

 ずっと前から訪れていたように感じる心地のよい空間で、妖精公爵にあれこれ聞いてそのたびに驚いて、時間はあっという間だった。


「よろしければ、また遊びにでも来て下さい」


 ここにならいつでも来たい。

 リディアは妖精に手を振って別れを惜しみながら「お伽噺の世界の家」を後にした。

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