小さな陛下と最後の妖精

久浪

『小さな陛下と最後の妖精』

第1話 「あなたが、俺の陛下だ」





 寒くなり始めたある日のこと、小さな部屋に子どもたちが身を寄せ合い座り、大きな瞳を一様に一人の老婆に向けている。

 老婆は古びた暖炉の前の使い込まれた椅子に深々と腰かけ、目を閉じて、少しでも物音を立てれば聞こえなくなりそうなくらいしゃがれた小さな声で子どもたちに「物語」を聞かせているところだった。


「――人々が困り果てていたところに立派な馬車が止まりました。出てきたのはなんと王様でした。王様は皆の困った声を聞いてお城からやって来てくださったのです。

 王様は、大人たちが空に厚い雲がかかり雪が降り続けるばかりで温かくならず、このままでは作物を育てられないという声や子どもたちの寒くて外で遊べないという声を一人一人からお聞きになると、微笑みました。人々がその微笑みに首を傾げている前で王様は、

『妖精よ私の妖精。どうかこの地に太陽を戻し、温かくしておくれ』

 と言いました。

 王様が言葉をかけたのは王様の側にいる妖精でした。王様の言葉を聞いた妖精は美しく微笑み、頷きました。

 そして、妖精の口から出てきたのはまるで小鳥のさえずりのような優しい声でした。

 妖精が歌っているのです。

 その温かな歌声にうっとりとしていた人々は気がつきました。

 太陽の光が雲の切れ目から射し込んできています。それだけではありません。地面を覆っていた雪が溶け、植物が芽吹き、木々は花をつけていきます。人々は喜びました。

 妖精が春をつれてきてくれたのです」


 声は終わりの言葉を境に空間に吸い込まれるようにして消え、誰もが口を開かないまま静かに時が刻まれる。やんちゃ盛りの子どもたちは身動ぎひとつせずに老婆を見続けていた。視線の先の老婆は、おもむろに目を開く。


「さあこれで終わりだよ」


 村に数えるほどしかいない子どもの内、集まった五人の子どもたちは暗示が解けたがごとくぱちぱちを目を瞬き、互いに顔を見合わせる。


「もう終わり?」

「まだ聞きたい」

「駄目だよ。もう帰って手伝いでもしな」

「えー……はーい」

「じゃあねばあば」

「また聞かせてね!」

「ああまたおいで」


 秋風が吹きはじめた外にあっさり飛び出た子どもたちはバタンと老婆の家のドアを閉めて走り出す。

 連れだって駆けながら、一人の子どもが提案する。


「遊ぼうよ」

「でもお手伝いしなさいって」

「もう少しくらい大丈夫だよ」

「かくれんぼは?」

「かくれんぼしたらリディア見つけられないもん」

「えへへ」

「褒めてないよ。だからかくれんぼするならリディアが見つける方ね」

「それは平等に決めるべきだと思うの」


 駆け足を緩めた子どもたちは村から少し外れた老婆の家から家が集まる村へと歩き、会話の方に意識が向いている。


「それよりねえリディア、お父さんもお母さんも冬支度してるよ。リディアは大丈夫?」


 リディアと呼ばれた少女は友だちを振り向いて、次に曇っている空を見上げ考えこんでみた。


 リディアは一人で暮らしていた。

 三年前まで母親と二人で暮らしていたのだが、母親は風邪をこじらせて重い病にかかり死んでしまった。

 そのあと同じ村に住む母親の姉夫婦に引き取られたが、元々会うこと関わること少なかった彼らはリディアのことを嫌っていて隠そうともせず彼女を邪険に扱った。

 それは何も彼らだけではない。リディア親子のことを村の人々は敬遠していた。理由はひとつ。リディアの父親が分からないから。そしてリディアの髪が赤みを帯びた金色であることから村人ではないことは明らかだったのだ。どこの誰とも知らない男の子を身籠った母親は、小さな村でそうやって敬遠されていた。


 けれど母親は気にせず凛として生きていたから、リディアもあまり周りの視線は気にせずのんびり生きていた。

 幸い子どもたちは一緒に遊んでくれたし、村一の長寿の老婆は細かいことは気にしないので邪険にはしてこない貴重な大人だった。

 何はともあれ、とうとう叔母たちの元を離れて母親と住んでいた村の隅っこの家に帰ったのは今年。一人で暮らしはじめたわけであるが、もう冬が近づいていることはもしかしたら由々しきことなのかもしれない。


「大丈夫。準備はしてるもの」


 でもリディアは琥珀を溶かしたような色の瞳で友だちを見つめて笑った。そうしてから、


「けど、私やること思い出したから今日は帰るね」


 言って手を振って、一人だけ別の方向へ走りはじめた。


 母は暖炉に火を入れる枝をたくさん準備していたような気がする。

 食料は切り詰められても暖は必要だ。枝はもっと今から拾い集められるだけ集めておくべきかもしれない。曇りだとはいえまだ明るいから思い出したときにやっておくのがいいだろう。

 十一歳の少女は一人でなんとか冬を越すために森へと急いだ。





 森に行くと落ちている枝を見つけるやせっせと集めていく。湿ってはいない。数日陽にさらして干していれば乾くだろう。


 今はまだ一緒に遊んでいるあの友だちたちもいずれは関わり合うことがなくなるのかもしれない、とリディアは予感していた。

 実は、元々数少ない子どもだからといってもはじめはもっと一緒に遊んでいたのだ。でも、少し数が減ってその子たちはリディアと話さえしてくれなくなった。

 仕方ない。この村で大人に近づくということはそういうことなのだろう。

 それにそのうち溝はなくなるかもしれないとも思ってはいた。


 それより今は枝集め。明日は食料。小さな畑の芋はもう掘り終えたっけ。

 一人の冬越えは中々に大変そうだ、とリディアは今さらながら思ってきた。

 とりあえず寒いから早く家に帰って毛布にでもくるまりたいものだ。無心に手を動かすことどれくらい経っただろう、気がつけば腕いっぱいに枝はあった。


「帰ろっと」


 満足げになったリディアは周りを見て、どうも無意識に枝を求め下ばかり見ていたから結構な場所まで来たらしい。

 反対に進めば帰れるだろう、と思ってさくさく歩いていると右手下方に川が見えてきた。

 魚はいるかな。見てみよう、とリディアは枝をその場に置いて下に降りられるかどうか手近な木に掴まり思案する。

 身を乗り出して下を見ると、飛び降りるには勇気がいる高さがあった。ゆっくり降りればいけるかな。

 そこまで考えるが早いか、木から手を離して後ろ向きになって足がかりを探り降りる一歩を踏み出す。


「あれ、でもこれ上がるとき――」


 上がるときは上がれるのか、とふと考えが表れ気が逸れたのがいけなかった。

 ズルリと足が地面を滑った感触のなんと生々しいことか。落下する感覚のなんとおぞましいことか。


「うっ」


 地面に叩きつけられたときのなんと痛いことか。


「痛……」


 痛みに呻き、けれど地面に叩きつけられたときの状態から動くことができない。受け身がとれなかった。まったく、これしきの寒さで身体が鈍ってしまうとは元気が取り柄の子ども失格だ。

 リディアがそんなことを考えている間にも強かに打ち付けたらしい背中を中心とした胴体だけではなく、なぜか頭は痛みを訴えてくる。頭を、打ったのだろうか。それは、まずい気がする。


 起きろ。と自分に叫ぶ。ここで気を失うと色んな意味でまずい。この森には奥ではあるが熊がいるし、そもそも夜の気温の下がり方ときたら冗談にならないのだから……。

 やっとのことで動いたのは指先。けれどそこまで。

 朦朧としてきた感覚はリディアの意識を飲み込みはじめる。ぼんやりぼんやり、ゆらゆらとする視界は暗く狭まっていく。


 刹那。


 小さな光が見えた。もはや薄目程度の視界で、その光に視線をさらわれる。

 周りを小さな光が漂う、不思議な光景がそこにはあった。


「幻、なんて」


 幻覚とはまずい位置を打っただろうな。

 リディアは今は諦めて抗うことを止め、次目覚めることを努力することに決めた。





「あなたが、俺の陛下だ」


 意識のどこかで、春の風のように穏やかな声を聞いた気がした。

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