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 「世界」の意味は「自分以外の全て」らしい=どこかの古い映画で聞いた言葉。

 18歳までのニシにとって浜松このまちが世界だったし、学校と家の日々の往復は人生だった。学業=特にこれと言って目立たない平々凡々な生徒/多少、英語ができたくらい。

 スポーツ=マナへの感応力かんおうりょくがあるせいで参加資格/なし、したがって観る方のスポーツもさほど興味がわかず。

 東京へ漠然と出たかったのも違う「世界」で違う自分を見つけたかったからに違いない=たぶん。

 気持ちを清算し終える前に起きた魔導災害=世界が変わった瞬間。

 今、浜松このまちに再び戻ってきて記憶の中にある世界に比べて色あせて見えるし小さく縮んでしまった気がする。ニシは小さな町の中をかつての世界でかつて毎日乗っていた自転車を漕いでいる。

 アキが正体不明な怪異/呪詛によって発狂した=とりあえずあの空き教室を精査することに。

 ハルヒコからヤマセンに連絡してもらい、今日=土曜の午後ならと許可がもらえた。

 放置してあった自転車の割には特に不調もない/さすが日本製/チェーンは注油が必要だな=レシプロガソリンエンジンのバイク乗りの感想。

「しかし、よいのかニシ? 両親は昼食をいっしょに食べに行こうと申し出てくれたのに」

 自転車の横=金髪アロハの大男/自称・神のカグツチが同じ速度で歩いていた/巨体のせいで歩く速度が自転車と同じ。

「お前、行きたいなら行ってもいいぞ。用があったら呼ぶから」

「うむ、確かに我との再会を喜んでいるようではあったが、しかし、ニシ、肉親との時間は大切じゃないのか」

「それは心から心配しているのか。それとも何かドラマのセリフの受け売りなのか」

 カグツチからの応答=なし/図星。高次元の自我なのだから生き物の機微なんて摩訶不思議だろう/昔からそう。

「アキがまだ目を覚まさないんだ。常磐ときわの医療班も打つ手が無いらしい。常磐の魔導災害チームもすぐに動いてくれるわけじゃない。なら今自由に動ける俺が行くしかないだろ」

「ご両親はなにか言いたげであったぞ、しかし」

「それは、わかってるよ。東京で危ない目にあったにも関わらずまだ怪異や潰瘍の仕事をしてるし子供を5人も──今じゃ6人だけど預かることになって。うちは放任主義だったんだ。両親から勉強しろとも遊ぶなとも言われない、珍しい両親だった。それがあの時、5年前のあのときだけは東京に戻るな、の一点張りだった。もし両親の言葉に従えば、2人は幸せだろうが無数の命を救えなくなってしまう。だから俺は浜松このまちを離れたんだ」

「うむ、だがずっと電話もしないというのは親不孝というものだ。ご両親もそう言っていただろ」

「それは、電話が復旧したのは半年後だったし、子育てに怪異討伐に、いろいろと忙しくて忘れてたんだ」

 自称・神を相手に愚痴を言っても意味がないのはわかっている=まるで鏡に向かって問答をしている。自分で召喚したとは言え人格は別/別次元の存在。

 ブレーキレバーを指二本で握った=ライダーの癖。

 大通りを横切る交差点/赤信号=昔からここの信号は長い/もう学校は見えている距離。

「我はわかった」

 カグツチの巨体が進路を遮った/横断歩道の信号はすでに青。

「おい、青だぞ。どけよ」

「我はご両親と話したのだ。ニシ、お前のことを心配していた。その一心だったようだ。お前には直接言えなかったことだが、5年前の夏、まだ停電が続く中家の中が涼しくなるよう付術エンチャントしたことや、発電機を魔導で回して近所全員が使える電力を補ったこととか、感謝しているとのことだ。あまり話せずそのまま喧嘩別れしてしまったことを後悔している、とも言っていたな」

 ニシは首を伸ばしてカグツチの背後を見やる=赤信号に変わった。

「で、親の会話をきっちり記憶してたってわけか」

「我が言いたいのは、ご両親もお前さんもそっくりだということだ。ガハハハハハ。本音が言えない。放任主義という言葉をよくよく考えてみたのだが、つまりは本音が言えずすることなすことを相手に任せるという意味じゃなかろうか」

 ギクリとさせられる指摘=預かっている6人の子どもたちへのニシの態度もまさにそう。

「わかったよわかった。帰ったらちゃんと両親と腹を割って話す。召喚してわざわざお説教されるのはごめんだ」

「ほほう。偉いぞ、ニシ」

 カグツチはショベルのような手のひらでニシの頭をごしごしとこすった。



「土曜日なのに、すみません」

「ハハハ。どうせ部活に事務処理に出勤するから」

 来賓用の合皮の薄いスリッパをぺたぺた鳴らして階段を登る/土曜日の学校はシンと静まり返っている/時折、野球部の金属バットの音が聞こえるくらい。

「怪談の噂がある教室なんて薄気味悪くてね。こう早く対応してくれると助かるよ。アキの調子はまだよくならないのかい?」

 ヤマセンはかかとを鳴らして階段の踊り場でUターンした。

「はい。まだ目を覚まさないらしいです。怪異が取り憑いているらしく」

「そんなこともあるんだねぇ」

「特殊な事例ですが」

「常磐で働いているみたいだな。土日は休みなのか」

 ヤマセンは階段を登りながら、ニシが着ている常磐のロゴ入りマウンテンパーカーをみやった。

「休みだったり休みじゃなかったり。子供がいるので土日のシフトは外してもらってますが、基本、待機か予定通りのドンパチ・・・・か。緊急の呼び出しなら昼夜といませんね」

「先生として、卒業した生徒が才能を生かして活躍してくれているのは嬉しいものだよ。今だから言えることだが、君の担任になることを教頭に知らされた時、緊張したものだった。5年と3年だから、8年前。35歳の時、自信満々な教師だった頃だったか」

「俺が? 別に問題児というわけでもなかったでしょ」 

「魔導士というのが、よくわからなくてね。今は、もちろん周知のことだが当時はまだ常磐が“何かとんでもない技術革新をしている”という程度の認識だった。遠い存在だったそれが目の前に現れたわけだ。ハハ、だが実際は普通の生徒だった」

「死ににくい以外は、全く普通の人間ですから」

「もっと心配すべきことがあった。子どもたちにとって“違い”というのは大きな障害になりうる。それこそいじめだったり友だちができなかったりする。君はいたって普通だった。ごく普通の生徒だったし友人関係も良好だった。だから安心したんだ。体育祭に参加できないのは少々不憫だったがね」

 普通=意識したことがない/普通でないのはわかっていた。魔導が扱えることへの優越感=アイデンティティ/しかしそれをあからさまに自慢するのはダサい=子供心ながら気づいていたコミュニケーションスキル。

「よく覚えていますね。何年も前のことなのに」

「教師というのは意外と覚えているものだ。君が数学の期末テストを半分白紙で提出したこととか」

 ドキリ=心の奥の奥にしまい込まれていた記憶が開陳した。

「微分・積分なんていつ使うんですか」

 デジャブ=カナの前で同じことを言ったことがある/小一時間、ホワイトボードに書いたり消したりしながらぐだぐだと説明を受けた/当然ながら覚えていない。

「使う職業もあるから授業で習うんだよ」もっともらしいセリフ=ヤマセンが何度も口をとがらせて言ってきたであろうセリフ「さて着いた」

 ヤマセンが鍵の束をガチャガチャと鳴らして教室の入口を開けた/アキたちと供えた花と花瓶がまだある=魔導で水を召喚して継ぎ足してやる。

「花を供えたら、お化けも納得して成仏してくれるんじゃないのか」

「怪異は花なんて見ません。あるのは生への怨念と生き物への攻撃性だけです」

 ニシはぐるりと空き教室を見渡した/怪談=誰も掃除しないのに綺麗なまま。

 壁は掲示物の四角い日焼け跡が残っている=かつてはここも生徒たちで満たされていた空間だった。

「で、解決できそうかい?」

「たぶん。前は友達もいたのであまり力を使うのはためらっていたんですが。カグツチ」

 声を合わせた詠唱/前触れもなく金髪の大男が姿を表した/心臓が飛び上がっているヤマセンを後目にカグツチはノシノシと教室の中央まで来た。

「ほほう、ハナから我に頼るとは。人の子のために働けるのもまた、神としてほまれ

「前口上は良いから。それに“神”は自称だろう。呪詛についてはジジィからあらかた聞いている。人を呪い殺す魔導だが手順は様々だ。ここにかけられている呪詛について何かわかるか?」

「わかるも何も、かつて神代では往々に行使されていた術である」カグツチは天井からぶら下がっている蛍光灯を頭で避けながら進んだ「うむ、たしかに、現代の魔導士とは何もかもが違う。まず魔導陣は用いない」

「じゃあどうやって付術エンチャントするんだよ」

依代よりしろを使うのだ。にえやヒトガタ、勾玉に宝剣など」

「まどろっこしいなあ」

 高速詠唱。声なき声を唱えた。

 ニシの両腕にエメラルド色に輝く魔導陣が起きる。それぞれがゆっくりと回転をしていた。

「神代は魔導士の精神構造に頼る部分が大きい。ゆえに魔導士自身や付術エンチャントする相手が心底大切にしているものを使うとより効果がる。ふむ、さて、先程からちらちら顔に当たるものがある。うむ、鬱陶しい」

 カグツチの顔の横/地上から2m/天井付近=目を凝らさないと見落としてしまいそうなキーホルダー/サボテンを模したキャラクター付き/金属製の鍵が天井に刺さっている。

「ヤマセン、あれは?」

「全然気が付かなかった。この部屋に来てじっくり観察することなんて無いんだ」

 ヤマセンもカグツチの巨体に恐る恐る近づいて天井をみやった。

「鍵っ子っていうんですっけ。うちの実家は戦前の建物だしまだ鍵があるんです」

「今の生徒たちは鍵を持たない。みな生体認証キーが主流だからね」

「うち、今住んでいる川崎の家はまだ金属の鍵ですね。昭和のアパートのリノベーションなので」

「そんなところに住むなんて常磐の給料は安いのかい?」

「金属の鍵で十分です。無理にこじ開けたら捕縛用の魔導が作動するので」

 ニシ=あくまで冗談っぽく/ヤマセンは笑うべきところか決めあぐねている様子。

「これは刺さっているのではない」カグツチが間近まで近づいて観察した「うむ、魔導であるな。呪詛の依代はこれかもしれぬ」

 カグツチはそのグローブのような手の人差し指でぶら下がっているサボテンのキャラクターをつついてみた。

 途端に耳をつんざくような鐘の音が鳴り響いた/腹の底までビンビンに響く重低音と脳の中で反響する高音が連続して襲いかかった/ニシはとっさの魔導障壁を展開/ヤマセンは耳を抑えてもその音が防ぎきれないようで、脂汗を浮かべて歯を食いしばっている/そして叫んだ。

「なんなんだ! これは」

「早く! 教室の外へ。呪詛が作動しました」

 激しい鐘の音は、しかし空気は震わせていなかった/窓ガラスも静かなまま。

 聴覚ではなく体のうちから響いている/まさに魂の反響音。

 呪詛の詳細=不明/対策=不明。

 推測/決断=影響範囲はこの教室の中。

 平衡感覚を失いながら、ヤマセンはガラガラと教室の引き戸を空けて廊下へ転げ出た。

 しかしニシが一歩足を踏み出そうとした瞬間、引き戸が思い切り閉まった。

「クソ、開かない。魔導で身体強化しているのに。カグツチ!」

「ふむ、無駄であるな」

「どうしてそう落ち着いているんだ」

「ムカゴノマジナイ。結界を用いて捕縛をするための術であるが。ニシ、お主が悩んでいた魔導士を捕縛するのに使えるのではないか───」

「そんなことより抜け出す方法を教えろよ」

 引き戸はやはり動かない/その向こうでヤマセンもヒヤヒヤしながらニシを見ていた。

 まだ鐘が鳴っている/魔導障壁のお陰で影響は無い=はず。

 魔導で引き戸を吹き飛ばすか=リンの教え/成型炸薬/漏斗ろうと状になった先端から開口部へ向かって爆炎が流れる/どんな硬い装甲でも穿つ事ができる。

 ドアの向こう/ヤマセンが叫んでいるが声が聞こえない=こちらからも聞こえないかもしれない。

 ニシはドアから離れるように手を振るが、ヤマセンはニシの後ろを指して叫んでいる。

 途端に教室全体に緞帳どんちょうが落ちたかのように闇に包まれた/ニシの背後=2体の影。

「怪異……」

 人の形を真似した魂の残滓=呪詛魔導のあとに残った怪物。左右非対称の呪腕じゅわんがぐらぐらと揺れている。

 高速詠唱。声なき声を唱えた。

 ニシの指先が動く=手頃な武器を召喚/しなかった。

「カグツチ、この怪異なんだが小さいな。妙な形をしているがA型ってところか」

「ふむ、人の子の杓子しゃくしはわからぬが」揺らめく怪異を睥睨して「たいした驚異ではない」

 怪異が動く/ふらつく足取りはまるでゾンビ。

 ニシ/微動だにせず/マナの本流=水銀色に輝く銛を召喚/発射。怪異の胴体らしい部分に深々と突き刺さって動きを封じた/怪異が霧散した。

 カグツチ/ニタニタ/左腕からの正面突き&小手返し=怪異の胴体が2つに割れて霧散した。

「で、次は?」

「ニシ、お主らは潰瘍のせいで勘違いしているようだが、今しがた倒した怪異でも神代では十分に脅威だったのだぞ。そもそも怪異はそうめったに現れるものではない」

 カグツチはつかつかと教室の中央まで行くと、天井に突き刺さっていた鍵&キーホルダーをまとめて握りつぶした/残骸は白い粉のように舞って虚空へ消えた。

 まるで電気を点けたように=教室を覆っていた真っ黒なとばりが消えた/不快な鐘の音もピタリと止んだ。

「神代のことなんて普段は全然話してくれないくせに。確かに、一般人にとっては脅威になる魔導ではあるけど」

「おそらくではあるが、術者に感づかれてしまったかもしれん。結界の発動から破壊までしたのだ。神代の魔導か、ヌハハハハ。懐かしい」

 カグツチ=腰に手を当てて自慢気にニタニタしている/ドラマを見ているときも同じニタニタだが=楽しそう。

「ん、待て待て。どうして神代なんだ? おかしいだろ。現代の魔導士が神代の魔導を知っているわけない」

「ふむ、うーむ」カグツチが唸る「知らん」

 肝心なところがわからない=まさに神頼み/努力したものだけに神は力を貸してくれる/あとは自分で究明しなければならない。

「無事か、君たち!」

 ヤマセンが教室に飛び込んできた/慌ててる姿を落ち着いたままのニシとカグツチが出迎えた。

「大丈夫です。この程度の怪異なら日常茶飯事ですから。この教室に仕掛られた魔導も解除できたのでもうこれ以上被害者はでないと思います。なので、その、落ち着いてください、ヤマセン。お化けでも見たって顔をしていますけど、怪異はお化けじゃないので」

「見た、かもしれない。いやいや、君たちの言う怪異ではなくてだね」

 ヤマセンは真夏のように上半身にぐっしょり汗をかいている/頭を抱えてウンウン唸っていた。

「顔、洗いますか。冷たい水をすぐに作れます」

「大丈夫。大丈夫だ。はあ、よくよく考えてみたらあれはお化けじゃない。だが、いや急に現れて急に消えたからお化けかもしれない」

 呂律は回っているが意味不明。

「やっぱり冷たい水で洗いましょうか」

 ニシの腕から魔導陣が消えた=さっき使わなかった分。両手の間に巨大な水球が生じた。ぐるぐると渦を巻き冷気を放っている。

「確かに見たんだ。あれは確か、あの子の姉だった」

「あの子?」

 ヤマセンは両手を水球に浸すとバシャバシャと頭を洗った。

「4年前に自殺したのは水原姉妹の双子の妹で、今しがた見たのは水原姉だ。よく覚えているよ。生まれつき足に障害があってね。出産の際に無酸素状態になったせいだったか。妹は優しくて姉の付き添いを良くしていた。通例では双子は別のクラスなんだが、あのふたりだけは同じクラスだった」

「仲がいい姉妹でしたか」

「私生活まではわからないが、少なくとも妹は誰にでも別け隔てなく接することができる……教師っぽい言い回しになってしまったが、表情の少ない水原姉にいつも笑顔で接していた。仲が悪いとは思えないが」

「もしかして、その姉は魔導の素質があった、とか。入学する生徒はマナへの感応力を申告しますよね」

「さて。神奈川ではそうなのかい? 静岡ではそこまで生徒の個人情報は集めない。もっとも足が悪く体育も見学していたから特別魔導士のような力があるとは聞いたことがないな」

「そう───ですか」

「水原姉が今回の犯人、なのかい?」

 ニシは魔導を発動/温風でヤマセンの濡れた頭を乾かしてあげた。

「まだはっきりしたことはわかりません。なにせ今回使われた魔導は歴史で忘れ去られた古代の術なので。とりあえず、その水原姉妹の家に行ってみます。住所はわかりますか?」

「あ、ああ。卒業生の名簿にあるはずだ。普段は部外者は見てはいけないのだが」

 ヤマセンは、ニシが着ている常磐興業のエンブレムマーク付きのマウンテンパーカーを見た。

「社員証はあるので、コピーします? あ、今回の件はプライベートな案件なので無料でいいですよ」

 言って気づいた=タダでは魔導を使わない/これはジジィの受け売りだ。

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