9

 目が開いた/暗い天井/虫食いのような模様の石膏ボードの天井=子供のときは気持ち悪いと思って見上げることがなかった。

 浅い眠りで脈絡のない夢を見ていたことを思い出す=久しぶりのベッドと枕のせいで落ち着かない。

 家を出る前と同じまま、部屋を残してくれていた両親に感謝=古い映画のポスター/昔好きだったマンガの単行本/古い学校の教科書類=捨てられずにいるモノ。

 学校から帰ってきて森野邸に出向いてみたがサナの記憶を掘り出す儀式だか訓練だかで会えなかった/トキノさんは怒っていたが、多分大丈夫だろう=ジジィは堅物だが魔導に関する知識と技術なら天下一だ。

 両親=相変わらず自動車工場で三交代で働いているせいで疲れた顔をしていた/それでも夕食は一緒に囲めたし近況の報告も───機密=危険なことを抜きにして話せたはず。

 再び目を閉じる/旧友、恩師、両親の顔が順繰りに浮かんでくる/次は常磐の保安隊のメンバー達/名前がうろ覚えな職員達/魔導式機械義手が動かせるようになったと、わざわざ退院して中指を立てて見せたテツ───過去も現在もいい人に囲まれている=雑念がふりはらずにまた目が覚めてしまった。

 このまま起きていて、スラムダンクを一巻から読むのも悪くない。そのうち眠くなるだろう。

 ベッドの右となり/窓枠に置いているスマホに手を伸ばす/そこが昔からの定位置だった。

 午前3時/まだまだ深夜だ=充電は80%で停止中/魔導セル式だとピリピリとした不快感を覚えるので今どき珍しいリチウムイオン式の液体充電池=今これを作っているのはノキアだけ。

 突然の盛大な着信音=普段から常磐からの要請に応えられるように音量は常に最大。

 両親を起こさないようにすぐに応答ボタンを押して耳につける/電話の相手はハルヒコだった。

『ごめん、夜遅くに』

「いや、寝付けなかったから大丈夫だ。それよりも───」

『それよりもアキの調子がおかしいんだ』

 アキ/いまだギャルギャルしくはっちゃけるアキの顔が思い浮かぶ。

「おかしいって、例えば?」

『発狂してて手がつけられないんだ』

「だったら俺じゃなくて救急車を呼べよ」

『よ、呼んだよ! 警察も来たけどそれでもダメなんだ。天井に張り付いたまま威嚇してる。これってもしかして魔法絡みの事故か病気じゃないのか?』

 途端に頭がはっきりと覚醒した。

「それならそうと先に言えよ!」スマホをスピーカーモードに変更/ベットから跳ね起きるように飛び出るとパジャマを脱ぎ捨てて手近なジャージに着替える。「魔導関連の、ああえっと事故か? 常磐には連絡したんだよな」

『うん、警察が、たぶん。でも到着に時間がかかるっぽい』

 プーマのジャージに袖を通す/乳白色の腕輪=最高位の魔導士を監視するためのGPSデバイスを腕に通す/魔導で前腕あたりで浮遊する。

 常磐の魔導災害対策チームは各支所に常駐/浜松からだと、最寄りは名古屋支部か関ケ原の潰瘍監視基地から/民間人ひとりのために深夜にヘリコプターで来るとも思えず。

「わかった。こっちでなんとかしてみる」

『場所は俺のマンション、アキも同じマンションだから』

「覚えてる」

『そうか。わかった。頼んだよ。こっちに帰ってきてくれてて助かった』

 通話終了/着替え完了=魔導でスマホを引き寄せるとジジィの携帯電話へリダイヤル/5コールまで待ったが応答なし。

「カグツチ!」=地声で。

「なんだ」

 まるでずっとそこに立っていました、というふうに浅黒い肌&金髪にアロハシャツな湘南風大男が現れた/天井に頭が当たるので首を60°に曲げている=かつて天井を破壊され父に叱られたせい。

「ジジィを起こしてきてくれ。ケータイに出ないんだ。だがゆっくりとだぞ。怒らせると昔みたいに体を蜂の巣にされるからな」

「だが、ニシ、ここのところカミ使いが過ぎるのではないか」

「は? トイレットペーパーは使いすぎてないぞ」

「神使いである。子守やら小間使にばかり呼びおって。たまには怪異との戦闘にも呼ばれてこそ神たる所以ゆえんがあるものだ」

 困惑=小間使だろうがなんだろうが文句を言われたことがなかったのに/戦闘は、強い怪異や魔導士相手だと負けてしまうし普通の怪異なら人間だけで事足りる=中途半端な戦力だから使いにくい。

 しかし/やっと気づいた=見上げた先の表情は、いつものニタニタを絶やしていない。

「その言葉、またドラマのセリフを聞きかじったんだな」

「うむ、今季の月九は良いものだ。幸薄い女子高生と傲慢な魔王の話だ。その中で魔王が『やれやれ、神使いが荒い』といって現れるのだ。うむ、魔王。いい響きだ。我も魔王を名乗ろうか」

「だったら俺はサルマンってところか」

「うむ、そのネタはわからぬ」

「たまにはドラマじゃなくて昔の映画も見ることだな。小説でもいい」

 自称・神の大男はいまだ解せないという難しい顔をしている。

「しかしドラマはいいもので───」

「はやく、ジジィを起こしに!」

「あい、わかった」

 カグツチは電気を消したかのようにフッと姿を消した。

 入れ替わるようにして手の中にあったスマホから着信音が響いた。

「もしもし」

『夜中に何……わかったもう起きてるから体を揺すぶるんじゃない! ったくお前、神のしつけがなっとらんぞ』

「友人が発狂して手がつけられないから知恵を貸してください。たぶん、魔導かなにかの影響だと思う。怪異に取り憑かれたような、たぶん。見てみないとわからないけど、以前も怪異に取り憑かれた死体を見たことがある」

 単刀直入に要件を伝える/しかし電話の向こうから応答がない。

「もしもし?」

『取り憑かれている、だったに? すぐうちへ来い』

「はい」

 通話が途切れる/ジャージのポケットにスマホをしまって部屋を飛び出した。

 両親を起こさないように2階の自室から玄関へすり足で進む/静かに玄関のドアを開け、外側から魔導で鍵を締めた。

 深夜の住宅街を走り森野邸の豪華な門を飛び越えた。

 カグツチの存在を土蔵の横で感じる/それに比べてはるかに小さい人影が動くのも見えた。

「魔導士は道を歩かないっていうのは昔からあることわざだに」

 土蔵からジジィが歩いて出てきた/安っぽい樹脂製のサンダルで小石を蹴り上げながら/両手に収まるサイズの小壺を持っている=蓋には仰々しい和紙が貼られ墨筆で文字が走り書きされている。

「すいません、夜遅くに」

「ふん、この時世じせいだ。誰かに叩き起こされるのには慣れておる。それより急ぎというのに、お前さん、悠長に着替えおって」

 くたびれたプーマのジャージ/対するジジィはキュートなクマさんのパジャマだった=この状況でなければ吹き出していた。

「トキノさんが買ったんですね」

「見た目なんて気にしてはおられん。で場所は?」

「麹町のマンション、エステート2号棟。場所は……」

「わかっておる」

 そういうとジジィはクマさんのパジャマをはためかせて、予備動作なしに夜空へ飛び上がって見えなくなった。

「魔導士は道を歩かない、その言葉をそっくりそのままお返ししますよ」

 高速詠唱。声なき声を唱えた。

 身体強化&重力制御。とたんに体が軽くなり軽く地面を蹴っただけで空高く飛び上がる/動体視力と空間認識力も同時に補強/目的地へ直線的移動で更に進んだ。



 マンションの周囲に警察車両と救急車が止まり、赤色灯が深夜の住宅街をチカチカと照らしていた。眠りの浅い住人が起き出してきて遠巻きで見守っていた。

 観衆の外側に軟着地すると、人混みをかき分けて進むジジィに追いついた。

「その手に持っているものは?」

 ジジィは大事そうに小壺を胸の前で抱えている。

「魔導士の力を封じる塗り薬だ」

「呪い、みたいな」

付術エンチャントだに」

「散々、攻撃性魔導を習ったけどまだ教わってないことがあったとは」

「そりゃお前さんが、わしが教える前に東京なんかにほいほい出ていくからに」

「誰だって都会に出てみたいと思いますでしょ!」

「悪い魔導士と戦って殺すわけにはいかんに。この塗り薬ならある程度力を封じることができる。ダメなら四肢を切り落とすしかないに」

「いや、取り憑かれてるって言いましたよね。効くんですか、それ」

「知らんに。薬効は思考の鎮静化と、肌に張り付いた薬を剥がそうとする意識にマナを消費させる。ダメなら富士の魔導士刑務所に収監するしかないに」

 絶対ダメだ=アキは幼なじみなのだ/しかし今の自分にはそんな知恵がない。

 ジジィはマンションの入口を封鎖している警察官と対峙した。 

「ちょ、おじいさん、入っちゃだめですよ。ここの住人じゃないですよね」

「だれがジジイだ! わしは助けに来たんだに!」

 怪しい小壺&クマさんのキュートなパジャマ/一転して無骨な中高年=怪しさ満点。

「おじいさん、あまり無理すると向こうでお話を聞くことになります」

 対する警察官=深夜というのに真面目に対応している/保安隊のヒロさんみたいに真面目だ。

「ちょっとすみません」らちが開かないのでニシが割って入った。「病気の子の友人です。あと魔導士で常磐でも働いています。通してもらえませんか」

 警察官が乳白色の腕輪とニシの顔を交互に見比べる。

最高位の魔導士、は本物みたいですね、浮いてますし。しかし常磐には連絡を入れてありますから、大丈夫です」

「名古屋支部か監視基地からだと時間が掛かるでしょう」

「それについてはお答えできません。下がってください」

 警察官が前へ一歩出る/何の力もない一般人=権威という名の圧力で魔導士×2を引き下がらせる。

 その時、ニシはピリピリとした感覚を覚えた=魔導の発動/しかし半ば怪異のような反転したマナも感じた。

「これは?」

 ニシが振り返った先のジジィも顔が険しかった=「いかんに」

 頭上で破裂音が轟いた/全員が頭上を見上げた先=子供用の学習机/その他小物類/窓枠/ガラス片がまとめて落下してくる。

 キンッと耳障りな音が轟いた/ジジィの魔導の発動キー/群衆へ向けて自由落下する諸々を魔導の網で受け止める/細かいガラス片が空中で静止しきらめいた。

「おら、あんたら! 写真なんかとってないでさっさとどかんか!」

 まるでヨーダだな=ニシの率直な感想。

 ぞんざいな言葉達/しかしジジィはいつも思いやりを欠かさなかった=「善人たれ」/ジジィの座右の銘をニシはジジィの背中からいつも学んでいた。

「お巡りもさっさとどくに」

「い、いえ、しかしここを通すわけには」

「ほう、ここを通らなければいいんだに」

 ジジィは予備動作無しで垂直に飛び上がった/ガラス片が降ってきた6階へ直線的移動で着地した=さすがに警察官も頭を抱えている。

「あの、常磐の旧東京支所へ連絡してください。夜勤への直通電話がこれです」ニシはスマホの画面を警察官に見せた「たしか魔導不正使用取締法には良心ある魔導士が緊急時に対応することが許されてましたよね」

 法令については全くの門外漢=しかし所内研修で広瀬所長からいろいろと教わった/さすが元官僚=理詰めならお手の物。

 苦虫を噛んだような警察官=首を縦に振った。

 短く会釈すると、ニシも予備動作なしに垂直方向へ飛び上がった/6階に着地/玄関でジジィがまたも、救急隊員と警察、アキの家族と押し問答していた。

「あの、すみません、ニシです。常磐の魔導士で、最高位の魔導士で、アキの幼なじみの、ニシです」

 アキの両親とはあまり面識がなかったが=たしか文化祭のときにアキと一緒に展示ブースに来ていたような=おぼろげな記憶。

 ニシの登場に全員の視線が集まったスキに、小壺を抱えたパジャマ姿のジジィがずかずかと土足で家の中へ入った。

「ちょ、靴くらい脱いだらどうなんです」

「悠長なことしちゃおえんに。ったくすっかり常磐に飼いならされおって」

「常磐は悪者ではないでしょう」

「だが魔導を商売に使っておるだろう」

「人だって助けてますよ。ジジィも常磐を疑っているんですか」

「ワシは寺社連合レンゴーみたいに露骨に反常磐を謳うつもりは無い。独自に代々魔導の探究をしていた。だが油断してたらそのうち骨の髄までしゃぶりつくされるぞ」

 いぶし銀な職人気質/ファンシーなパジャマでなければさらに威厳があっただろうに。

 玄関から上がり左側の部屋へ/ジジィのパジャマに合いそうなファンシーな部屋/子供部屋のままな小物類/それに紛れて仕事用のスーツと化粧品類=それらがまとめて部屋のあちこちに飛び散っている。

 窓枠から破壊されぽっかりと壁に穴が開いている。

 部屋の天井の角にアキが張り付いていた/血相が異様だった=青ざめているが顔中の血管が浮き出ている/白目を向いて犬歯をむき出しにして威嚇する様はまさに獣だった。

「ああ、やっぱり魔導のせいですね」

「魔導じゃな」

「俺、スパイダーマンみたいに張り付くことはできないっすよ。いやすることがないけど」

「ふん、魔導は真理の探究のためにあるものだに。見せモノじゃない。おーい、あんたら、いつからこんな風になっとるんだに」

「もう、1時間くらいだ。気づいたときには手がつけられないくらい暴れていた」

 アキの家族───父親から返答があった。

 アキは天井の隅で獣のように唸り声を上げている/口角からは獲物を前にした狼のように唾液がダラダラと溢れている。

「以前、憑依する怪異に遭遇したことがあります。あのときは死体でしたけど」

「妙なことを。そんなことができるのは死霊術系統の魔導だ。が、あちらの魔導の系統も絶え絶えだから実態は知らんに」

 呑気な魔導士×2をめがけてアキの体が動いた/空中を横切りニシに襲いかかった。

 マチェットを召喚して斬りかかる事もできず/腕でかばう=アキはニシの腕にかぶりついた。

 数秒間、噛み切るような素振りを見せた後、再び飛び上がって今度は天井に上下逆さまで張り付いた。

 腕───今しがた噛みつかれた部分の服が破れている/その下の肌が赤く滲んでいた。

「なぜ防がなかった?」

「薄く魔導障壁を展開したんですよ。本気で展開してたら、その、一般人なら肉片に変わってましたから」

「うむ、早く手を打つべきだろう。あの窓から逃げ出す前に動きを封じたい」

「打開策が?」

「お前さん、見なかったのけ? 左手が黒く変色してたに。どう見ても原因はあれだ」

「なるほど」

「常磐ならどうする?」

「鎮静剤を射って昏倒させて確保する、それがかなわない場合は射殺しか」

 ガード下でまみえた魔導士を思い出す/ぎりぎりで競り合って結局はリンが射殺した。

「ならほれ、さっさと確保するに。マナの感応力はせいぜいA型怪異だに」

 言われるまでもない/成長した姿を師に見せるいい機会。

 高速詠唱。声なき声を唱えた。

 ニシの両腕に魔導陣が複数出現/しかし躊躇=アキを傷つけるような魔導は扱えない/重力制御=却下/床を破壊して階下まで落下してしまう/おそらく生身では耐えられない。

「おっ、そうじゃ。無理に魔導で押さえつけぬことじゃ。体を操っている怪異だか魔導士だかは腱が切れようが骨が砕けようが、容赦なく襲ってくるぞい」

 難易度がひとつ上がった。

 ニシが一歩前へ出る/狂気を宿したアキの視線がニシに向く。

 対峙=先制はニシから。

 魔導陣をひとつ消費=アキが張り付いている天井が化粧板ごと剥がれ落ちる。

 落下するアキ=空中で身を捻って再びニシを襲う。

 魔導陣が消える/魔導発動。

 カチン

 ニシの眼前でアキが歯を打ち鳴らす/あと数センチで鼻を食いちぎられるところだった。

 アキの体は虚空から生えてきた無数の金の糸で絡み取られていた。もがけばもがくほど手足に細い金糸きんしがまとわりついて動きを封じられる。

「ふむ、及第点だに」

「う、俺としては名案だと思ったんだが」

 ジジィは土足のまま部屋に入ると、小壺の和紙の封を破った/深緑色の妙に甘ったるい臭いのする粘度の高い液体を、アキの黒ずんだ左手に塗っていく。

 キンッと耳障りな音が轟いた/ジジィの魔導の発動キーが聞こえた。

 ドロッとしていた液体は瞬時に固まり、琥珀のような色合いになって皮膚に張り付く/一方で狂気の最中さなかだったアキは、次第に暴れる四肢が動かなくなり、そのまま眠るように静かに寝息を立て始めた。

「この金の糸はもう消しても大丈夫だに」

 換送=金糸は虚空に消え、アキの体はジジィの魔導で操られベッドに着地した。

「ふぅ、これで無事解決だ」

「ばかもん。まだこれからだに。術を施した魔導士を探して術を止めさせないと、この娘っ子はいつまでも狂気に苛まれ命を落とすかもしれん」

 あたりが静まり返ったのに気づいたアキの家族たちが部屋に戻ってきた/こちらは半ば取り乱したままだった。

「あんたら、左手の甲の軟膏を剥がすんじゃないに。数日は効力が続く。そこの常磐の魔導士が事件を解決できなんなら、またわしが施術してやるに。今回は対処療法だから無料で」

 そういえば、ジジィは人助けには金を取るんだった=それが本業だろうか。

 ジジィはアキの家族&事情を聞こうとする警察と救急隊員を押しのけてうちへ帰ってしまった。

「あの、すみません、事情を聞かせてもらえますかな」

 警察&救急隊員がニシに詰め寄る=一番面倒な役回りも弟子の仕事、というこか。

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