第四節 徹底修練


幾度か続けると、頃合いを見て吉田に近づき江口が告げる。

「それでは、今度は射位から射てみてください。巻藁射通りの行射が出来れば、突っ込みが直った証になると思います」と言われ、吉田が感謝する。

「有難うございます。自分としても今後のために、徹底的に直して行きたいと思います」と返し、行射の順番を待ち本座へと就いた。

そして小さく揖をし射位へと向かい、射順前の射手の弦音で取懸けを行ない、次いで顔をゆっくりと的に向け、打起しを大三まで進め、そこからいよいよ問題と言うか、修正した引き分けへと入って行く。

やや緊張気味に、吉田が心内で呟く。

「ここからだ、みっちり指導を受け、直した通りの引き分けが出来るか…」と一抹の不安がよぎる中、「せっかく、江口さんに指導してもらったんだ。ここで修練したことが生かされなければ申し訳ないし、顔に泥を塗ることになる」

さらに「俺としても、正しい動作が修得出来ないと、弓道をやっている意味がないと言うもんだぜ」大袈裟に開き直り、大きく胸を開きバランスを取り引き分けて会へと進めた。

「ここだ、この状態で縦横十文字を崩してはいけない」と意識を強くし、妻手の引きに対して、弓手を押しつつ会から離れへと進んだ。

放たれた矢が、的へと向かい飛んで行き、的すれすれの的前安土となる。二本目、三本目、そして四本目と立て続けに行射した。

そんな射を覗っていた江口が小さく頷く。集中し行射する吉田には、江口の頷きが分からなかったが後で告げられた。

「まあまあ、良かったんじゃないかしら。後は継続的に保てるかが課題ですよ。油断していると元に戻りますからね。分かりましたか、吉田さん」

直ぐに返す。

「はい、有難うございます。これからも頑張りますから、ご指導のほど宜しくお願い致します」と感謝しつつ、深々と頭を下げた。すると笑顔で「また、おかしくなったら。びしびし注文をつけますから。宜しいですね」と告げられ、吉田が真顔で、「鈍い男ですが、その時は宜しく指導してください」と真顔で返し、さらに「ただ、ちょいとばかり。江口さんの強靭な愛の鞭を、少々弱めていただけると有難いのですが。なんせ瘦せこけたこの身体、あまり強く打たれると折れてしまいますから」と冗談を飛ばす。

すると江口が、驚き顔で反論する。

「あら、まあ。何てこと言うの、吉田さんたら。愛の鞭だなんて…」と、はにかむように返した。

「冗談ですよ」と、太り加減の腹を摩る。

そんなこんなで、貴重な江口の特訓を終えた。

場外に戻り、つくづく思う。

「やはり、さすがだな。ちょっと俺の動作を見たぐらいで、悪い癖を見抜いてしまうんだから。それにしても的前と言うのは難しい。良かれと思い、またここをこうすれば上手く行くとの先入観から、間違った動作に気づかずやっていたんだからよ。しかし、これからが大変だが頑張るしかないか」と決意していると、何時の間にか側に寄ってきた牛尾が、冗談ぽくほざく。

「吉田さん、随分しごかれましたね。ズバリ数多く指摘されたんで、さぞかしがっくりなさったことでしょう。まあこの特訓も、上達へのいばらの道ですが。どうぞ落ち込まないように精進してください。それでないと指導されたことが水の泡になり、且つ、気が緩み怪我をする原因になりますから」と、背中を押しているのか、はたまた貶しているのか告げられた。

ばつが悪そうに返す。

「いろんなところを指摘され直されたけれど、随分ためになったので、これからの行射に役立つと思うんだよな。でも身体が固いので、指摘されたところがきちっと修正出来ているか問題だよ」

さらに続けて、「随分と直されたんで、全部覚えられたか心配になるよ。ああ、俺ももっと若ければ、即座に覚えられたんだが余り自信がないよ。最近は二、三日経つと、ほとんど忘れてしまうからな。結局、元の木阿弥になるんじゃねえかとよ」

「俺の記憶力なんか、年を重ねるそばからなくなるほどだぜ。ここが辛いところだ」と、能天気な言い訳けをしていると、横から佐々木が「吉田さん、大丈夫だって。弓道と言うものは、若ければいいとは限らない。それなりに、人生経験を積んで始めた人も沢山見てきているから。自信もって、取り組むことが大切なんですよ」と諫められる。

すると吉田が真顔で「有難うございました。やはり五段ともなると、言うことが違う。本当に心に染みますよ」と返すと、それを聞いていた江口が口を挟む。

「嫌だわ、吉田さんて。一生懸命教えしたんですから、身に付けて貰わないと困りますし駄目ですよ」と忠告され、背後から吉田の肩を軽く突いた。

ふいを突かれ、「あっ、すみません。江口さんに聞かれているとは思いませんでした。心してご指導いただいたことは、終生忘れないようにいたします」続けて

「けど…、私の場合。最近物忘れがひどくて、気が付いたら元に戻ってしまうことがあります。その際は、今まで以上にびしびしと指導して下さい」恐縮すると、江口が戸惑いながら告げる。

「まあ、しょうがない人ね。分かったわ、今度指導する時は今迄のように優しい指導はしませんから。目から火が出るくらいきつくやりますよ。覚悟して頂戴!」と、含み笑いを堪えながら言った。

すると同調するように牛尾が「そうですよ、吉田さんと言う人は、優しくしたらつけ上がりますから、厳しいくらいが丁度いいのです。江口さん、その点気を付けてください。それにこの人は会社勤めの頃、営業関係の仕事に携わっていて、はったりばかりで乗り切っていたと、本人自慢気に話していましたよ」

そんな打ち明け話に、江口が驚く。「ええっ、そうだったの。知らなかったわ。吉田さんは経理か総務の仕事をやっていたように見えるけど…」と口ごもる。

吉田が牛尾の忠告に反論する。

「いやいや、牛尾さん。つけあがるなんて滅相もない。ましてや、江口さんまでもが誤った解釈をするなんて」言い訳し、江口に問う。「そのように見えますか、とんでもない誤解になりますよ。私自身、確かに転勤族でして、北関東の宇都宮へ行っちゃ栃木弁で、また大阪に行っちゃ関西弁で、まくしたてられいたんですから。それに、生まれ育ったところが葛飾柴又で…」と言いかけたところで、牛尾が口を挟み。

「それで、その次は」とせっつく。すると吉田がとぼけ顔で続けた。

「はい、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかり、姓は車、名は虎次郎。人呼んで、フウテンのトラと発します」と名セリフを始めると、興味があるのか佐々木が尋ねる。

「そうですか、吉田さんが葛飾柴又ね…。と言うことは、東京の下町っ子と言うことですな」と持ち上げると、吉田がさらに調子づき、鼻をつんと上げ「そうなんです。ヒとシの発音が混じっちゃって、『ひゃくえん』と言えず『しゃくえん』になっちゃんです」とあっけらかんと言った。

すると側で聞いていた上地先生が「昔から東京の人は、ヒとシが逆転するんで有名だよ。これがまさしく東京人の方言だと思うよ」と解説すると、牛尾がもっともらしく「全国津々浦々、その土地の方言がありますからね。でも近頃はその方言も、徐々になくなって来ているみたいですね。減少している原因が、本当かどうか分かりませんが、スマホの利用にあるみたいですよ」講釈すると、佐々木が疑問を呈する。

「如何して、ですかね。スマホのラインとかユーチューブの利用が原因だなんてね…」

すると、牛尾が口を挟み「私も何処かで聞いたことあります。たしか、テレビのニュース番組で、アナウンサーが解説していたと記憶しています」とおぼろげに告げた。

すると一呼吸おいて、江口も同様に「私もスマホはよく使います。とくに仕事仲間でのやり取り、そして友達同士でラインでの情報交換や、特に無駄話には随分利用してますよ」

慌てて、「あら、いやだ。余計なこと言っちゃったかな」と照れた。

納得したのか、佐々木が了解する。「そうですよね、そう言われれば私だって、ラインを使って無駄話しているもんな。けれど不思議だ、スマホで方言がなくなるなんて」と、新たな疑問を呈していた。そんな会話に吉田が首を突っ込む。

「まあまあ、あまり深刻に考えない方がいいですよ。考えすぎると円形脱毛症になりますから、気をつけてください」とスマホと方言減少の関係性をぼかし注意すると、牛尾が「なんということない。結局吉田さんは、スマホの活用方法がよく分からないと言ってるんですよね。だったら分からないと、素直に認めた方がいいですよ」と突き放す。

すると惚け気味に、「まあ、そう言うこと。若者や学者じゃあるまいし、因果関係なんか分かるわけないだろ。それに使い方も難しくて、さっぱり頭に入らん。そんなことに費やす時間があったら、弓の練習をしていた方がましというもんだ」吉田が開き直った。

その様子を見ていた江口が、「まあ、三人の話はまるで幼稚な子供の会話みたいね」と、くすっと笑った。




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