第2話 社畜、犬になる

「…………っ! あれ? ここはどこだ?」


 目を開けると、とても明るい場所にいた。

 頭上には雲一つない青空。

 周りは緑一色の草原で、心地よい風が吹いている。


「気持ちがいい場所だな」


 風で波打つ草原がとても美しい。

 こんなに穏やかですっきりとした気分になれたのはいつぶりだろう。

 一日の大半、俺の目に映っているのはパソコンの画面だった。

 目が疲れるし、最近は視力もかなり落ちていた……って、あれ?


「眼鏡がない……でも見える? そもそも眼鏡はどこに……ん?」


 眼鏡を探していたら、視界に不思議なものが映った。

 そこには自分の手があるはずなのに、どう見てもこれは……。


「白い犬の足? ぷにぷにの肉球だ……」


 本当にこの犬の足が自分のものなのか確かめるため、少し動いてみる。

 すると、動物らしい動きで歩き回ることができた。

 更に確かめるために走ってみると、とても楽しくなってきた。


「すごい……! 早い! 気持ちいい! 楽しい!」


 成績は残せなかったが、真面目に走ってきた長距離ランナーの血が疼く。

 夢中になって走り回っていると、水たまりを見つけたので飛び込んでみた。

 ばしゃばしゃと騒いでみると、これもまた信じられないほど楽しい!

 このまま精神も動物になってしまうのか? と一瞬思ったが、それでもいいやと走り回っていたら、小さな泉を発見した。


「泥だらけになったから水浴びをしよう」


 そう思って近づくと先客がいた。

 スラっとしたシルエットの鳥で全体的に赤く、カラフルな翼と長い尾がゴージャスだ。


「クジャクっぽいけど……何の鳥だろう?」

「わたくしをただの鳥と一緒にしないでくださる?」

「!」


 話しかけられるとは思わず、びっくりして飛び跳ねた。


「鳥が喋った!」

「失礼ね。わたくしを『鳥』というのなら、あなたは『犬』じゃない」

「しかもセクシーボイス!」

「ふふ……悪い気はしないわね」


 声や話し方とゴージャスな羽を見て、スタイル抜群で妖艶な女性が脳裏に浮かんだ。


「っていうか……俺、犬なのか?」

「…………? この神界にただの犬がいるわけがないじゃない。あなたがわたくしを『鳥』と言ったから『犬』と言ったの。自分の姿が分からないのなら、水鏡で見なさいな」


 そう促されたので水面を見た。

 泉の水は綺麗で、はっきりと俺の姿を映していた。


「おお……犬……ぽい?」


 そこに映っているのは、確かに犬のような動物だった。

 中型犬サイズで、俺は見たことがない犬種だ。

 シベリアンハスキーに似ているが、虎柄なのでホワイトタイガーっぽくもある。

 尻尾も虎柄だがキツネのようでふさふさで、目は琥珀のような金色でとても綺麗だ。

 中々見た目は悪くないのだが、遊びまわっていたせいでやはり泥だらけだ。


「汚いなあ……。洗うか」


 目的通り、泉で泥を落とそうとした、その時――。


「何だこれ!」


 泉の底が光り始めた。

 思わず目を瞑ってしまうほど、強い光が吹き上げて来る。


「喚ばれているから、わたくしは行くわ」

「え? 待ってくれ! どこに行くんだ!?」


 目が覚めたら犬? になっていたという謎状況で会えた貴重な話し相手なのに、このまま別れるのは困る。


「行くなら、俺も連れて行ってくれ!」

「それは無理よ。呼ばれないと行けないもの。あなたは『神獣』で特別だから、行く方法があるかもしれないけど」

「え? 特別?」

「とにかく――。わたくしはもう行くわね」


 そう言うと、鳥は泉の中に飛び込んだ。

 すると、泉から水しぶきが上がることなく、波紋だけが広がり、鳥の姿は見えなくなった。


「ここが神界? 俺は神獣? 色々詳しく聞きたかったな……」


 泉の向こうには「呼ばれていないのなら行けない」と言っていた。

 追いかけても、俺は溺れるだけかもしれない。


「でも、一か八か飛び込んでみるか? ……あ、光が消えた」


 迷っている間に泉の底から差していた光がなくなってしまった。

 もう鳥の元へは行けないだろう。


「仕方ない。とりあえず泥を落として、また周囲を探索してみるか……ん? あ、また光った」


 ――来…………僕……応……し……っ!


「? 声がする……俺を呼んでいる?」


 何を言っているのかはっきりは聞こえないが、俺に向かって言っていることだけは分かる。


「これは……行かないと!」


 焦燥感に駆られた俺は、勢いよく泉に飛び込んだ。


『うわああああっ~~~~!!』


 泉の水面に飛び込んだ次の瞬間、俺はどこかに落ちた。

 水の中ではなく、普通に高いところから落下した感覚だ。


『死ぬ~~!! って、…………あれ?』


 結構な高さから落ちたと思ったのだが、何故か衝撃や痛みがまったくない。

 すぐに立ち上がることができた。


「…………ただの犬?」


 誰かの呟きが聞こえてきたので周囲を見てみると、金髪の美少年がいた。

 その後ろには、母親らしき美女が立っている。

 いかにも王妃様と王子様、という見た目だが……。

 さっきいたゴージャスな鳥が王子様の肩にとまっている。

 ……ということは、鳥を呼んだのは王子様だろう。


『ここはどこだ?』


 天井も壁も地面も石造りの四角い箱のような部屋で、中央に不思議な青い雲のような塊が浮かんでいた。

 俺はあそこから飛び出て来たようなだ。

 それによく見ると、王妃様と王子様以外にも神官っぽい服を着た大人が数人いる。


「ぷっ」

「?」


 王子様が俺を指さして吹き出していた。

 すると、王妃様や神官達もクスクスと笑い始めた。


「はははっ! まさか汚い犬を呼び出すとは!」

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