第13話 不透明な未来 4
エルンストの部屋は屋敷の東側三階、一番奥に位置してい
た。
ランプを持ち先導するヘレナの後ろにフィーアがつき従う。
「いい、ご主人様の命令は絶対なの」
「はい」
「何があっても我慢するのよ」
言葉の意味をフィーアは察した。
やはり女奴隷の処遇など行きつく所はそれなのか。運命を受け入れて今後の人生を生きて行くべきなのか、それとも・・・。
「だけどね、私はエルンスト様を信じているわ」
「ヘレナさん?」
「私はお小さい時から、ずっとお側でお仕えしているの。だから何となくだけど、そうならない気がするわ。でもね・・・」
あなたの美しさが、ご主人様の心を揺さぶるかも知れない。だから、何かあっても我慢してね。と言うのだった。
エルンストの部屋に着くと、ヘレナはフィーアの白く小さな手をギュッと握ると、無言で部屋を去って行った。
ほとんどの灯りが消され、わずかに数本のローソクが揺れているだけだった。
どことなく身構えるフィーアに言葉がかけられた。
「俺にもまだ自制心はある。少し話をしよう」
扉の前で立ち尽くすフィーアにエルンストはソファーを勧めた。
「それだけの美貌と品の良さがあれば、遠縁の娘としてこの家からお前を嫁に出すことも出来ただろう。だが・・・」
だが、フィーアがたとえ貴族であっても、平民であっても、肩には奴隷の焼き印がある。一生奴隷として生きなければならない。残念なことだ。とエルンストは首を振った。
皮膚を焼き押印されたそれは、決して消えることはないのだ。
「俺の元で生きるしかなさそうだ」
言葉の意味をフィーアはどう理解すればいいのか迷った。
壁に掛けられたローソクの灯りは、怪しく二人の影を絨毯に投影している。灯りが揺れると、影も揺れる。まるで二人の心を表すかのようだ。
エルンストはフィーアの扱いに苦心しているだろうし、フィーアはここで生きていく意味を想い心が揺れる。
「お前は何故奴隷に身を落とした?」
きゅっと唇を結び、瞳を伏せるしかフィーアには出来なかった。
「罪を犯したのか?」
力なく首を振る仕草が、エルンストには逆に真実味を帯びているように見えたようだ。
「俺がお前を買ったのも何かの縁だ。お前はこの屋敷で身分を隠し、侍女として生きて行くことになる。だからお前の素性を知りたいのだが」
フィーアが口を開くのに、ローソクが数センチ短くなる時間を要した。
「何者かにさらわれ、奴隷商に売られました」
「・・・それは不幸なことだったな」
「私の言うことを信じるのですか?」
「疑う理由もないのでな」
エルンストは窓辺に移動した。
嵐はどうやら収まったようだった。
「お前のことを具体的に話してくれ」
ためらいながらも、フィーアは話を始めた。
奴隷になる前は幸せに暮らしていたけれど、ある日突然、両親が無実の罪を着せられて、殺されてしまい、逃げようとした自分は何者かに捕まり、奴隷商に売られてしまったこと。
奴隷となって数か月であること。その間売られずに済んだのは、自分が高値の割に細く華奢で、役に立ちそうもなかったからだと話した。
「この都に来るまでは、ほとんど農業地帯でしたから、私のような身体では農場に向かないと判断されたようです」
「納得だな」
エルンストはフィーアの折れそうな腕に視線を投げた。
「そんな細腕ではクワなど持てまい。農家には必要ないだろうな」
「奴隷商の男がよく私に言っていたのは、お前は妓館に高く売れると。大きな街に着いたらすぐにお前の人生は変わると」
「奴隷の第二の人生としては、悪くはあるまい。貴族や金のある商人の愛人になれるかも知れんからな。売春宿より余程いい」
フィーアはエルンストを睨んだ。
結局、この人も奴隷を、私を見さげているのだ。
「それがあなたの・・・、いえご主人様の本心なのですね」
「と言うと?」
「侍女にすると仰りながら、娼婦として扱うおつもりなのですね」
「俺は一般論を言っただけだ」
確かに愛人になることを目的にする女性も多い。野心を抱いて娼婦になるのなら良い。
けれど、本人の意思とは関係なく貧しい村から親に妓館に売られるとなれば、話は別だとフィーアは訴えた。
高位の人間の目に留まる女性は数少ない。ほとんどは使い捨て同然に扱われ、不幸な一生を終えるのがほとんどだ。とも付け加えた。
「随分と詳しいのだな。まさかお前、妓館にいたのか?」
「いいえ。ですが・・・」
鎖に繋がれている間、歳を取り妓館の店主に奴隷商に売られてしまった女性と一緒だったのだ。
「俺は娼婦を否定せん。太古の昔、神に仕える女性神官は娼婦だったとの説もあるくらいだ。体を売らねば家族を含め自分さえも生きられない者もいるだろうし、さっきお前が言ったように、成り上がる手段にする者もいる。娼婦とは必要悪な存在だ」
「必要悪と言い切れるのは、男性の立場だからではありませんか?」
「・・・そうかも知れん」
「ご自分の領内に妓館があることを恥だとは思われませんか?」
「お前・・・」
苦々しい表情でエルンストはフィーアを見つめた。
「お前と領土統治談議をするために、ここへ呼んだのではないぞ」
フィーアの「きゃっ」と叫ぶ声が、静かだった闇を切り裂いた。
その体はエルンストによって、床に押し付けられていたのだった。
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