オモシロイ話を生み出すヤツは断じて許さん

鹿嶋 雲丹

第1話 出会いというより向こうが勝手にやってきた

「はぁ……」

 重いため息を吐きながら、男は重い足を引きずるように家路についていた。

「ただいまあ……」

 無事に家まで辿りつき、パチリと部屋の明かりを点ける。

 男のただいまの声に応えるのは、水槽のポンプ音だけだった。

 その肩から、ずるりと通勤用の黒いショルダーバッグが落ち、ドスント音をたてた。

「今日も……誰にも読まれてないし……」

 水槽の中でゆったりと泳ぐ、紅白の色をした金魚をぼんやりと眺めながら、男は呟いた。

「そりゃあさ、人気のあるコンテンツじゃないよ……だから読まれないのは仕方ないって思うけど……けどさあ……一人くらい、読んでくれたっていいじゃん……ゼロって……」

 ブツブツ言いながら、男は通勤用のスーツから部屋着に着替える。

 部屋の時計は、夜十時を過ぎていた。夕食は、既に外で済ませている。

 ぷしゅり、冷蔵庫から取り出した冷えた缶ビールが泡を吹いた。

「オレも、SNSで作品アピールしようかな……なんとなく、自信ないから、怖いんだけどさ……」

 スマートフォンの画面をスクロールしながら、男はある呟きに目を留めた。

「……これ、またか……」

 その呟きは、ある人物について書かれたものだ。

 呟いているのは、男がフォローしている、趣味で物書きをしている人物である。

 内容はこうだ。

『変なオッサンが、いきなり部屋に現われた。こいつが、最近SNSでちらほら見かけるオッサンなのか?』

 呟きは、一度そこで途切れている。

 男は缶ビールを口に運びながら、続きを読もうとスマートフォンの画面に触れた。

『オッサンに、面白い話を生み出す奴は、断じて許さんって言われた……おいおい、俺の書いた小説の閲覧数、知ってるか? ほぼゼロなんだよ! オッサンよお!(泣)』

 そこでまた、呟きが終わっている。

「くぅ……オレもだよ……めちゃくちゃ親近感だよ……なんなんだ、このオッサンは⁉」

 男は更に続きを読む。

『……ヤバい。続きを読ませろ、早く書け馬鹿者が、だって……なんだろ、ちょっと……いや、かなり嬉しいんだけど……オッサン自体は変だけど、俺、モノカキがんばるわ!』

 呟きは、そこで終わっていた。

「……やっぱり、こうなるんだよな……」

 はあ、と男はため息を吐いた。

 無料で書いた小説を掲載でき、無料で読者がそれらを読めるネット小説サイトはいくつかある。

 渾身の思いを込めて書いた小説。

 面白い! 書いててこんなに面白いんだから、誰が読んだって面白いに決まっている。さあ、読んでくれ! そして評価と感想を!

 と、男が思うようなことを思っている人間が沢山存在していることを、男はSNSで知って愕然とした。

 もちろん、時に励まされたり、なるほどと思うこともある。

 そんな仲間をフォローし、呟きをチェックしているこの男が気にしているニュース。

 変なオッサンが突然現れ、いちゃもんをつけたかと思うと結局励まして帰る、ていう内容だ。

「許さん、とか言っといてさ……結局最後にはモチベーション上げてんじゃん……なんなの、このオッサン? ……ていうか、オレんとこにも来てほしいなぁ……あぁ、切ない」

 男は肩を落とし、スマホの画面を小説投稿サイトに切り替え、自作品の閲覧数をチェックする。

 そこに並ぶ、無惨な〇。ゼロ。誰も見ていない証。

「はぁ……もう、書くのやめちゃおうかな」

 男は呟き、缶に残ったビールをぐいっと喉の奥に流し込んだ。

「この残ったビールの生ぬるささえ、なんだか切なく感じちゃうよ……オレ、けっこう重症だな……もう寝るか……ゲホッ!」

 男がむせ返ったのは、突然、部屋の灯りが点滅し始めたからだった。

「え? もしかして蛍光灯切れそう? いや、そんな感じの点滅じゃないよな……なんだよ、気持ちわりぃな……」

 男は慌てて立ち上がり、部屋の電気のスイッチをオン・オフさせる。

 やがて点滅は止み、部屋は元の明るさに戻った。

「なんだ、接触不良か……あぁ、びっくりした……なんかホラー映画みたいじゃん……オレ、苦手なんだよ、そういうのさ……て、テレビつけよ!」

「生み出す者よ……」

 背後の玄関から聞こえてきたダミ声に、男の血の気が一瞬で退いた。

 ど、ど、泥棒⁉ まさか、鍵をかけ忘れたのか、オレ⁉

 あまりの恐怖に声も出せず、男は恐る恐る声の発生源を振り返った。

「あ、あんたは⁉」

 そこに仁王立ちしていたのは、五十代後半と思しき小柄な男だった。

 身長は、おそらく一五〇センチくらいだろう。

 肌の色は浅黒く、深いほうれい線に同じく深い額の皺、加えてぼうぼうの黒いヒゲ。

 しかし、なにより目立つのは、肩に掛けた白地のタスキに書かれた、大きな赤い文字だった。

『面白い作家は成敗する』

 男の脳裏に、つい先程まで見ていたSNSの呟きが蘇る。

 来た……ほんとに来たかも⁉ あの変なオッサンがオレんとこに!

 男は胸をときめかせながら、突如目の前に現れた謎のオッサンを注視した。

 角刈りの頭にねじり鉢巻、白い半袖シャツ、ペラペラの白い生地の短かいパンツに、茶色い腹巻き。

 それらの特徴はどれも、男が目にしてきたSNSでの呟きと一致していた。

 ちなみに、今は十一月半ばだ。

 まるで季節感のないファッションだが、そんなことは男にとってどうでもいい事だった。

「お前、物書きだな」

 渋い表情をしたままのオッサンは、男に向って言った。

「え、あ、はあ……まあ、自称、ですけど」

「オイラはな、オモシロイ話を生み出す奴は、断じて許さんのよ。それがなぜだか、お前、わかるか?」

 自己紹介もなしに、いきなり本題かよ……

「えっ……いえ、わかりません」

 男はうろたえつつも会話する。

「あのな、オイラもな、書いたんだよ。オモシロイ話っとのをよ」

「そ、そうなんですか」

 あれ? もしやオッサンも読まれない作家仲間なのか?

「ところがな、だあーれも見てくれなかったわけよ。すんげえ、オモシロイのに!」

 やっぱりそうだ! だから励まして帰るんだ! オッサン、オレのことも励ましてくれ!

「は、はあ……それはお気の毒様です」

「だからな、オイラ、頭にきてこう思ったわけよ。オモシロイ話を書くヤツは、全て成敗してやる、って」

 オッサンは、誇らしげに胸を張り、タスキに書かれたなぐり書きの赤い文字をアピールした。

 このオッサン……ほんとに励ましてくれるのかな……やっぱり、オレの気持ちをバキッと折りに来たんじゃないだろうか……

「いや……なに言ってるんですか……成敗って、物騒なこと言わないでくださいよ」

「お前が書いた、ハナシを見せろ」

「えっ?」

「お前のやる気を、メッコメコにしてやる!!」

 やっぱり!

「えっ、嫌ですよ!」

 ところが、オッサンは全力で拒否した男の手からスマートフォンをさっと奪い取った。

「あっ、ちょっと!」

「匂う……匂うぞ! お前が生み出したハナシは、ここにあるな! くくく……どんなに隠しても、オイラにはわかるんだ!」

 鼻息荒く、オッサンはスマートフォンを素早く操作した。そして、ピタリと動きを止め、画面を凝視する。

「あ、あの……スマホ、返してもらえませんか……」

「……うっせえ、黙れ……」

 オッサンはどんぐり眼で画面を睨みつけながら、呻くように言った。

 男にできることなどない。

 あれ……読んでるのかな……オレが書いた小説……な、なんだろ……なんかドキドキしてきた……

「おい、これ! 続きはどこだ⁉」

 スマートフォンの画面から顔をあげた途端、オッサンは叫んだ。

 その眼は、先程のどんよりしたものから一転して、きらきらと輝いている。

「えっ、あ、あの、まだ書いてないので、オレの頭の中ですけど」

 男はオッサンのあまりの変わりように度肝を抜かれ、ほんの少しかわいいと思ってしまった感情をすぐさま頭から追い払った。

「なんだと!! 信じらんねぇ‼ この馬鹿野郎、早く続きを書けぇえ‼」

「えっ、あ、はい、すみません」

 あれ、この展開は……

「お前が書いたハナシの続き、読みたいから、また来週ここに来るからな! いいか、もし書いてなかったら、オイラがっかりするからな? がっかりして暴れてやるからな?」

「いや、ちょっと、そんなにプレッシャーかけられたら、余計書けなくなるかも……」

「ん? あ、そうか、それもそうだな……っとに、モノカキってのは繊細なイキモノだぜ……じゃあ、適当な時に来るから、肩の力抜いて、適当に書けよ! じゃあ、またな!」

 ボワン、と、どこから湧いたのか不明な白い煙がオッサンを包んだ。

「げほっ、ごほっ、なんだったんだ、今の……」

 はあ、とため息を吐いて、男はへなへなと床に座り込んだ。

 あれ、ちょっと待てよ……適当な時に来るって……いったい、いつだよ……

「しまった! 曖昧にされるなら、はっきりと来週にしてもらえば良かった‼ まずい、続き、続きを書かないと……いや、その前にSNS……」

 オレんとこにも、変なオッサンが来たんだぜ! 書くぜ、オレは! 皆も諦めないで書こう‼

 男は震える指先で、スマートフォンに文字を入力し、投稿ボタンを押したのだった。

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