三月の白いウサギ
ウメダトラマル
第1話 人生終了@京都
俺の人生は、終わった。
京都市内の某所。それなりの広さの公園にささやかな仮設ステージが点々と設置されている。そのうちの一つに、俺は立っていた。
盛夏を過ぎてなお燦々と降り注ぐ陽射し。カメラやスマホを構えてステージを囲む観衆の群れ。三〇……いや四〇人近い。さすが「俺」だ。
暑い。京都らしい盆地特有の暑さ。心なしか去年より暑い気がする。少なくとも横浜より確実に五度は暑い。
熱い。この場にいる人間から立ちのぼる熱気。お祭りらしい心地よい興奮で、観衆からも俺の身体の内側からも熱が込み上げてきている。でも、こっちはいい熱さだ。
明るいブルーのアイドル衣装。ツインテールの形に結いたピンクのウイッグ。百均で揃えた化粧道具で施したメイク。今このステージに立っているのは「俺」であって、俺じゃない。
持参した小道具のフリル付きマイクを構えて、俺はステージ袖のスタッフに目線で合図を送った。
渡しておいた音源が爆音で飛び出す。大丈夫なのかこんな音量? そう思ってチラとスタッフを見ると、ニヤッと笑って親指を立ててきた。ノリノリだ。これも「俺」の成せるわざか。
超人気アイドルアニメ「ドリームキャスティング!」略称ドリキャスの主人公、綾瀬アヤのテーマ曲「つらぬけ、恋の弾丸」。
与えられた時間は曲が終わるまでの五分。その間俺は、このステージで綾瀬アヤになる。
天衣無縫。天真爛漫。最強の笑顔を持つ最強のアイドル。
何千回も何万回も繰り返し観て、練習して、ダンスも口パクも完璧にマスターした。本人より上手い自信すらある。それともう一つ。
いまの俺は、最強に可愛い。
音の出ないマイクを構える。これも鏡の前で練習を積み重ねた満面の笑顔で、俺は観衆に向かって大きく手を振った。この五分、俺は三橋稜じゃない。二次元から三次元の現実世界に降臨した「綾瀬アヤ」そのものだ。
そう、俺は女装レイヤー。正確には女装コスプレイヤーだった。
第一三回京都市民コスプレフェスタ夏の陣。
新横浜からわざわざ始発の新幹線で京都まで来て、それもまだ歴史の浅い、地元向けの小規模イベントを選んで参加しているのには理由がある。
自他ともに認める陰キャな俺の、「陽」の部分。誰も知らない。知られちゃいけない。いやマジで絶対に知られるわけにはいかない。はっきり言い切るが人生が終わる。だから地元の神奈川じゃ、否、誰に会うとも知れない関東近辺じゃ、間違えてもこんな無謀な真似はできない。
低身長、痩せ型体型、女顔。生まれてからの一六年間、コンプレックスでしかなかった俺の外見を活かせる趣味。それがこの女装コスプレだった。
去年の夏に初めてこのイベントに参加して、自分の適性を知った。以降冬、二度目の夏つまり今回と、この場所、このイベントに来てもう一人の自分を解放している。コスプレするキャラはいつも中学時代からの俺の最推し、綾瀬アヤだ。
この女装コスプレ。自分で思っていた以上に向いていたらしく、初参加で撮影希望者の人だかりを作ってしまい、スタッフに誘導されてステージに上がるようになった。ステージは時間制限があるが撮影は自由。それ以外は許可制と、結構厳しいルールがあったらしい。市営のイベントだからかもしれない。ちなみにコスプレイヤー同士の撮影は周囲の邪魔にならなければ問題ないそうだ。
カメラのストロボが光る。「アヤちゃーん!」と野太い歓声が上がる。俺が大きく手を振ると、ピンク色のサイリウムが波を立てる。本物のライブでもないのに、みんなノリがいい。
もちろん、そうさせているのは俺だ。ダンスも口パクも表情も、間奏のエアギターだって一分の隙もない。完璧な綾瀬アヤとしてここに立っている。
歌詞パートが終わった。長い後奏。ダンスの振りも終わるが、綾瀬アヤはここで必ず最後のパフォーマンスをする。決めポーズと決めゼリフ。この日一番の笑顔で、俺は観客たちに目線を送る。そして胸元にマイクを引き寄せて、……うん、大丈夫だ。喉の調子も悪くない。俺は大きく息を吸い込み、拳を空に突き上げて、声帯の筋肉にグッと力を込めた。
「アヤが好きなら貫き通せ! アヤもみんなが大好きだーっ♡!!」
イベントの規模に似合わない、熱狂のある大歓声が上がった。……このパフォーマンスのためだけに喉から血が出るほど女声の練習をした甲斐があると実感できる、この瞬間。まあ、元々男にしては声が高いというところもあるけれども、それはそれだ。
拍手と歓声に見送られながら、俺はやり切った充足感と一緒にステージを降りた。
帰りの新幹線まではまだ時間がある。このあとは他の人のコスプレを眺めたり、同じ「ドリキャス」のコスプレイヤーと一緒に写真を撮ったりと、このイベントならではの楽しみ方をして時間を潰す……予定だった。
「お前、三橋だろ?」
はい?
一瞬で全身の血液が下がった。寒気。真夏なのに真冬みたいに鳥肌が立つ。金縛りに遭ったように動かない身体。俺はどうにか動かせた目だけで、俺を呼び止めた誰かのほうを見た。
「ああ、やっぱそうだった。何やってんだ、三橋? こんなとこで」
京都にいるはずのない、いてはならない見知った顔。同じ横浜の高校に通う、俺と同じ二年C組の高坂隼人。高坂は整った顔に人懐っこい笑顔を浮かべて「奇遇だな」と言った。
蝉がジワジワと合唱をしていた。エアコンの室外機の前に立ったときのような不快な風がウイッグのツインテールを揺らした。汗が一筋、頬を伝って顎から落ちた。
……終わった。
この京都で、俺の人生は終わった。そう確信した瞬間だった。
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