第246話 攻城戦の作法としては、割と古典的なメソッド
さて、クリミア半島に残存する唯一のソ連勢力、いや正確には「準備が整うまで、”意図的に包囲による無効化のみにとどめられていた”」程度の優先順序であったセヴァストポリ要塞に対し、遂に攻撃命令が出た。
実は、セヴァストポリ要塞には構造的欠陥、”急所”が存在していた。
本来の歴史には、それは急所とは呼べないものだった。
なぜならそれは、”海側の防御が弱い”というものだからだ。
ロシアがソ連となり、セヴァストポリ要塞を掌握した時代には、
”セヴァストポリ要塞を攻略できるような有力な艦隊は、黒海に存在しなかった”
というのが大きい。
つまり、セヴァストポリ要塞とは本質的に艦隊駐留拠点を護る要塞であり、「陸からの攻略による軍港の陥落を防ぐ」為の軍港と一体化した要塞だった。
その姿勢を増長させたのが、皮肉にもトルコが1936年に制定した”モントルー条約”だ。
そう、メルセルケビール艦隊がスクラップに偽装する羽目になった元凶、「非黒海沿岸諸国の排水量15,000t以上の軍艦のボスポラス海峡・マルマラ海・ダーダネルス海峡の通航を禁じる」という奴だ。
つまり、ソ連以外に”本来なら”セヴァストポリ要塞にダメージを与えられるような凶悪な軍艦を持つ国は存在せず、そうであるが故にソ連は「セヴァストポリ要塞の海側の防御力は、巡洋艦級の攻撃に耐えられれば良い」という考えに至った。
だから要塞砲は、「巡洋艦を火力で圧倒できる30㎝級で十分」だし、”本来ならば”ここにソ連黒海艦隊も並んでいる筈だった。
だが、現状は”本来とは状況が
ルーマニアの軍港コンスタンツァを母港とするドイツが分解して陸路で運び込んだ(!?)沿岸型
ここで港は、海上兵力という意味では丸裸になったのだ。
さて、冗談のような話だが……黒海艦隊の旗艦は、現状唯一生き残っているガングート級戦艦”セヴァストポリ”だ。
そう、セヴァストポリ要塞を母港とする黒海艦隊の旗艦が”セヴァストポリ”というわかりやすい構造だったのに、その”セヴァストポリ”がセヴァストポリ要塞を見捨てて撤退したのだ。
要塞は移動できないが、船は移動できるという差が出た。
まあ、冗談はさておき、この時一度、セヴァストポリ要塞に立てこもる赤軍の士気は崩壊しかけたが、政治将校の咄嗟の機転でウォッカをばら撒いた事で事なきを得たらしい。
まあ、ドイツにとり赤軍の士気など無関係ではないが、特段気にするような話でもなかった。
何しろ、最初から「自分たちにとって最も都合の良いタイミングで攻める」と決めていたからだ。
***
さて、ウォッカ・ドーピング(本当にウォッカだけか?)で士気は持ち直したとはいえ、セヴァストポリ要塞の危機はまったく去っていなかった。
要塞砲の射程外に遠巻きに包囲され、陸路による補給路は遥か以前に完全封鎖。空路はどちらの手にクリミア半島の制空権があるか考えれば、言うまでもないだろう。
そして、海路もUボートとSボートと航空機がタッグを組んで海上封鎖している以上、どうにもならなかった。
既に切り詰めていた備蓄食料も底をつき始め、最悪の結末がいつ訪れるかわからない……
そんな状況で、”それ”は起きた。
「おおっ、神様……何故、貴方はここまで我らに試練をもたらすのか」
禁じられた神への祈りをささげるやせ細ったセヴァストポリ要塞防衛司令官……
だが、要塞砲の射程外……
”
に関する対処は何も思いつかなかった。
セヴァストポリ要塞の誰もが、”黒海にセヴァストポリ要塞を撃滅できる火力を有する敵艦隊”が現れる事など、想定していなかったのだから。
正確には、クレムリン炎上から始まる首脳部の混乱により、ソ連上層部の誰しもが、”スクラップとして搬入された船団”のことなど、頭から抜け落ちていたのだ。
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実は、セヴァストポリ要塞の要塞砲は、その本質において、ガングート級戦艦の主砲である30.5㎝52口径長砲と同じ(むしろ前級のインペラートル・パーヴェル1世級戦艦の連装砲に近い)、基本構造が第一次世界大戦前の古い大砲と考えて良い。
対して”ダンケルク”と”ストラスブール”の主砲は、31年型の33㎝52口径長砲。口径も大きいうえに設計も新しく、射程も威力も発射速度もセヴァストポリの要塞砲を凌駕していた。
加えて、門数が違い過ぎた。
ソ連時代は伝説のように語られる30.5㎝連装砲だが、実際には1基2門しか存在しない。
また史実と同じように損傷し航行不能となっていた巡洋艦チェルウォナ・ウクライナから取り外した130㎜砲を転用して新たに6ヶ所の重砲陣地を構築するという涙ぐましい防衛努力をしていたが、結局、その射程内にドイツ軍が入ってくる事はなかった。
史実ではセヴァストポリ要塞攻略戦で活躍した威力はあるが射程の短い”カール自走臼砲”が、この場面に登場しないのはそういう理由だった。
対して、ドイツ黒海艦隊が有するのは、
しかも位置が割れている固定砲台のセヴァストポリのそれに対し、元フランス戦艦は海上を自由に動き、好きなポジションから自在に、ハイレートで砲撃してくるのだ。
数として8倍の門数、1門あたりの威力も射程も発射速度も上回る”海上機動砲台”に一方的に撃たれる……セヴァストポリ要塞の本格的な攻略は、こうして始まった。
本当に一方的な、「アウトレンジからの一方的な嬲り殺し」であった。
赤軍の一切の抵抗を許さず、一方的に撃ち込んでゆくのだ。
ちなみにこの元フランス戦艦の主砲最大射程は、40㎞を超える……長砲身による高初速を生かし、威力はともかく射程距離だけなら史実の大和型46サンチ砲に匹敵するのだ。
弾種は榴弾がメインだが、一部の重防御目標には、遠慮なく徹甲榴弾が用いられた。
何も出来ないまま、何もかもが壊されてゆく絶望感……
航空偵察や弾道解析から位置が割れていたセヴァストポリ要塞自慢の30.5㎝連装砲は、真っ先に「戦後、誰がどう足搔いても修復できないほど」破壊された。
無論、最優先攻撃目標である連装要塞砲を原型留めぬほど破壊した後、他の重砲陣地や弾着観測機の邪魔をする防空陣地も同じ宿命を辿った。
まさに”雉も鳴かずば撃たれまい”という状況である。
所々に防御戦の粗が目立つ……例えば、不用意に発砲して陣地の存在を露呈させるなどしているが、これは何も赤軍の技量の低さだけの問題ではない。
実は、思ったほど「セヴァストポリ要塞に立て籠もるソ連将兵」は実戦経験を積んでいない。
要塞自体にはバルバロッサ作戦初期に散発的な攻撃こそあったが、本格的な死闘ではなく、基本的には「要塞砲射程外での包囲」であったからだ。
ただ、以前語った通りにクリミア半島はセヴァストポリ要塞を除いて瞬く間に陥落し、また空路も海路も封鎖された(制空権も制海権も奪われた)為に「本格的に戦う前から窮地に落ちた」のが、セヴァストポリ要塞の現状だ。
正しく兵糧攻めの憂き目にあってると考えて良い。
***
そんな状況であったのに、セヴァストポリ要塞を巡る事態は秒針が進むごとに悪化の一途を辿っていた。
2隻の戦艦が、判明している高射砲陣地を含むあらゆる砲台へと榴弾を浴びせ、砲身を冷ますために一旦砲撃を休止した後……
赤色航空兵力や防空設備が摺り潰された事を良いことに、ドイツ空軍は艦砲射撃で穴だらけになった要塞全域へ、あらゆる種類の爆撃機をふんだんに投入した
”ナパーム弾による絨毯爆撃”
を敢行したのだ。
理由は単純だった。相手の心を折る恐怖爆撃ですらなく、あらゆるものを差別なく燃焼させ戦闘行動を取れなくさせることが目的だった。
何が燃えてるかなど問題ではなかった。
当然だ。セヴァストポリ要塞に民間人などいないのだから。
厳密に言うなら、He177などの大型機がナパーム焼夷弾による絨毯爆撃を行い、燃え広がっていない部分を見つけては双発爆撃機の精密爆撃やスツーカの急降下爆撃で効率的に火付けを行うという作戦だった。
そして、敷地全体に十分に火が回り、セヴァストポリ要塞が良い感じにローストされた頃合いを見計らって……直径80㎝、重量7tを超えるコンクリート(ベトン)防壁貫通用の巨大砲弾が飛んできた。
これも単純だった。
”グスタフ”と”ドーラ”は仕上げにして”
未だ原型が残っている、あるいは防御が行なわれていそうな場所を射貫き、強制的に外気と連結させて燃焼による酸素を奪わせるのが目的だった。
ナパーム火災の中でも艦砲射撃は継続され、最終的にドイツ黒海艦隊は戦艦2隻合計で1000発以上の砲弾をセヴァストポリ要塞に撃ち込んだ計算になった。
ちなみに榴弾の爆風程度では、簡単にナパーム火災は鎮火されない。
むしろ、熱で脆くなった基地の構造物や生きたまま松明に成り果てたかつでの同僚が細切れになりながら飛び散り、被害を拡大させた。
そして、ナパーム弾投下は断続的に一昼夜続けられ、延べで500tほどが要塞に満遍なく散布されたようだ。
そして、グスタフとドーラは、それぞれ20発ほど撃った後に、沈黙を守っていた。
壊れて射撃不能になったのではない。
火災が酷くなり過ぎて、航空機による上空からの効果確認も不可能になってしまったからだ。
まあ、80㎝砲弾は、無駄撃ちできるほど安くはない。
それに弾薬庫や燃料タンクの誘爆、巨大火災現場で突如として起きた複数火山の噴火の様な光景に、更なる追撃が必要か思案していたのだ。
***
そう、もうお気づきだろう。
一見すると力技、火力によるパワープレイにしか見えない攻城戦だが、実は巧妙に計算されつくした作戦だった。
まず、艦砲射撃をジャガーノートとして使い、厄介な要塞砲やドイツ軍に対抗できる火力をアウトレンジから沈黙させる。
航空兵力も海洋兵力も喪失し、敵が要塞持ち前の火力と防御力頼みだとわかっていたからこそ、取られた選択だった。
然る後、要塞全域に”火付け”を行う。
抵抗できない艦砲射撃にさらされた……こうなれば、よほど訓練を受けた兵でもパニックを起こす。
具体的には、深く考えずに地下へと続く退避壕や防空壕の扉を開けようとする。
あらゆる可燃物を燃やし火災旋風すら起きる周囲のナパーム大規模火災による熱量、そして、空気より比重の重い有毒ガスや可燃性ガスがそちこちで充満するなか、そんなことをすればどうなるか?
だが、それでも要塞全体を無力化できないことは、ドイツ軍はよく知っていた。
例えば、地下30mにあるベトンで守り固められた弾薬庫には、いくら地表を炙っても火勢は届かない。
だからこそ、「80㎝砲弾で防御を穿ち、燃え盛る外気と強制連結」することににしたのだ。
そのための砲弾型ブンカーバスター、”80㎝対ベトン弾”なのである。
ドイツは最初から降伏を促す気も、セヴァストポリ要塞を自分達で使う気も最初からなかったのだ。
港はまた作り直せばよいとさえ考えていた。
純粋に”セヴァストポリ要塞を使用不能”にできればそれで良かった。
まさに、合理主義ここに極まれりだ。
いや、もしかしたら逆に古典的な側面もあるのかもしれない。
使っている武器が違うだけで”兵糧攻め”や”火攻め”は、人類が城を生み出した時代から続く、ポピュラーな城攻めの作法だからだ。
いずれにせよ、ひどく”チュートン的な攻城戦”であるのは、間違いないだろう。
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ドイツの占領部隊がセヴァストポリ要塞に突入したのは、完全な鎮火が確認された攻撃終了から三日後の事だった。
公式(戦史)的にはこの日、1942年8月15日がセヴァストポリ要塞の陥落日とされた。
だが、降伏できたのはごくわずかな人間だけだった。
激しい抵抗を受けたわけでもない。
生存者は、少数だが確かに存在した。
だが、生存者の多くは精神の均衡を崩し、あるいは重度の火傷や酸素欠乏症で”降伏を言いだせる状態に無かった”のだった。
これが偽る事なきセヴァストポリ要塞攻略の顛末であった。
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