第197話 史実よりちょっとだけ前倒しになりそうなヴォロネジ戦
スモレンスク防衛成功と、クルスクの攻略成功は、独ソ双方に大きな影響を与えた。
まずはドイツ側だが……
はっきり言えば、困惑していた。
負けるとは思っていなかったが、ここまで一方的に勝利するとは思っていなかったのだ。
故に、
「いずれにせよ”ヴォロネジ攻略”を本来のスケジュールより早めるしかあるまい。好機を逃すべきではない」
この世界線におけるドイツは、一見すると冒険的な軍事行動に見えても、その実はイレギュラーも考慮した万全の準備と、それに裏打ちされた十分な勝算があって初めて作戦を決行する。
ドイツは、その対外イメージと異なり、「堅実な戦争」を好む傾向があった。
そうであるが故の決断がベルリン、OKW(ドイツ国防軍最高司令部)で行なわれていた。
緊急会議の招集を命じたヒトラー自身、招集した面々に開口一番……
「ヴォロネジ攻略の計画前倒し、そのサブプランを吟味するように命じた私が言うのもなんだが……こうも早く再び諸君らの貌を見ることになるとは流石に思ってなかったよ」
周りが失笑すると同時に、
「カナリス君、端的に言ってヴォロネジの現状はどうなっている?」
「クルスクより退避した住民と守備隊により、端的に言って混沌とした状況になっておりますな。政治将校や政治委員、共産党員は事態を収拾するのに大分苦労しているようですな」
と
「大いに結構だ。精々、彼らには熱心に仕事をしてもらうとしよう。スモレンスク攻略に引き抜かれていたヴォロネジの部隊はどうなったかね?」
「彼らの帰還の目途は立っていませんな。どうやら各地から招聘した部隊はそのままに、後方より更に集めた部隊と合流させ再編する腹積もりのようです」
カナリスは詳細を述べ始めた。
アプヴェーアやNSRが各地に潜り込ませている諜報員や内通者によると、敗残のソ連軍は各地に”留め置かれ”ているらしい。
具体的には、スモレンスク攻略組の残存は、モスクワやその周辺の軍事拠点に、クルスクからの脱出組はヴォロネジに、その他の国内戦争難民も保護の名目で収容施設に閉じ込められ、外部との接触が禁じられているらしい。
理由は、当然のように”情報統制”だ。
ソ連において、共産党の
如何にソ連敗北の情報に関する箝口令を敷こうとも、必ずどこからか漏れる。
口伝えとはそういう物だし、だからこそソ連らしく”物理的な情報遮断”に踏み切ったという訳だ。
クルスク脱出に成功した軍は、そのままヴォロネジ守備に併合され、住民はそのままヴォロネジから移動せぬように厳命を受けた。
言い方を変えよう。
ヴォロネジは、言葉にこそしていないが、士気の折れかけたクルスクの守備隊とクルスクの住民を”そのまま受け入れる”事を強要された。
つまり、ヴォロネジは静かに都市が持つ人口キャパシティーを超えつつあった……
付け加えるとソ連の国内戦争難民は、「家族の生活を保障する」という交換条件で徴兵適齢期やそれからやや上や下へ外れても、鉄砲が担げて撃てそうな男を片っ端から徴兵していた。
難民収容施設は労働キャンプとしての機能も持っており、残された家族にもきっちり労働させる準備は整っていたのだった。
老若男女問わず国家への貢献をさせるとは、なんとも素晴らしき共産主義の理想がそこにあった。
無論、ドイツはその状況を把握したうえで、「市民の退去」を認めているのだ。
「後方からの増援は、いつものごとく中央アジアからの人的搾取かね?」
「いいえ。それも有りますが、東方……シベリア、ハバロフスク、沿海州などの極東地区からも限定的とはいえ引き抜いているようですな」
そうカナリスが回答すると、
「なるほど。フォン・クルスの一件もある。ソ連は、極東の防備を薄くしても日本人は攻めてこないと判断したか」
元々、日本皇国が今更大陸などに旨味を見出さない……北アフリカや東南アジアでいっぱいいっぱいなのは、ヒトラーは百も承知していた。
ただ、この場合はソ連がどう認識しているかが問題だった。
「近々、連中はモンゴルや共産中国、北部朝鮮からも”義勇兵団”を募るかもしれんな……」
ヒトラーはそう呟くと、
「では、我々がなすべきは米国の兵器や東洋系共産主義者が戦場に行き渡る前に、ヴォロネジを陥落させるべきだとは思わないかね?」
***
会議は、頃合いはいつかに移り……
「ベストなタイミングは、ソ連の”スモレンスクの第二次攻略”と同時であろうな」
とヒトラー。
「そうなると四月の初旬以降ですかな?」
とはマンシュタイン。
「フォン・クルスの任命式より前という事はあるまい。そこまで余力があるのであれば、引かずに攻撃を継続している。ソ連にとって、一刻も早く奪取すべき土地である事に間違いはない」
ヒトラーの言葉にこの場の全員が頷き、
「任命式の段取りその物は、ゲーリング副総統とノイラート外相、ゲッベルス宣伝相が上手く運んでくれてるので問題は無いが……」
史実と違い、軍務から完全に切り離されているとはいえ、ゲーリングに不満は無かった。
基本、派手好きで承認欲求
この役目、リッベントロップがやりたかったようだが、外相と宣伝相を率いるのは流石に立場上無理だった。
言うまでもないだろうが、ノイラートとゲッベルスの本当の役目はゲーリングのお目付け役だ。
リッベントロップ程度であれば、「お前にそんな権限も立場もねーじゃん」と表ではニコニコしながら内心で舌を突き出される程度で済むが、仮にもドイツの副総統ともなればそうもいかない。
実態が国民人気が取り柄の主に国内プロパガンダ用のゆるキャラ立ち位置であっても、副総統という立場である以上、対外的にはそうは捉えてくれないのだ。
むしろ、ゲーリングの実態を知った上で確信犯的に相手は交渉を仕掛けてくる狸共が少なからず今回の来客に混じっているのだ。
気前のいい軍事支援など口約束された日には、軍需相のトート博士と経済相のシャハトの酒量と胃薬量が増えること請け合いだ。
「まあ、クルスクの防護準備もままならぬうちにヴォロネジに攻勢をかけるのも無謀の極みだ。かと言って、ウクライナ軍に全て任せるのも心許ない」
実際、住民も守備隊も退去し、将軍や政治将校が捕虜になった後も、コソコソと街に潜み破壊活動を勤しもうとする不逞の輩はいるものだ。
主にNKVDにより組織される共産(赤軍)パルチザン、NSRの特殊部隊の標的である。
マンシュタインは頷き、
「心得ておりますとも。幸い、ウクライナはベラルーシほど治安維持に苦労はしていません。帰国帰農政策も現在のところは順調です」
史実と異なり、ホロドモール前後に国を出たウクライナ人をドイツは、ソ連にだんまりで相当数を保護していた事は前にも書いたと思う。
ドイツにいる間、彼らをただ遊ばせてるのではなく、国費にて最新鋭の農業技術やノウハウを教育することをドイツは行っていた。
つまりは、将来的にレーヴェンスラウム全体の胃袋を支える穀倉地帯の創出が、ようやく始められたという事だった。
ロシア人が殺し過ぎたために肥沃なはずなのに荒れ地となっていたウクライナの土地を再開墾するのは苦労もあるが、生産的で戦争よりよっぽど有意義な活動だとヒトラーは考えていた。
まあ、そもそも亡命ウクライナ人の国内での処遇から帰国・帰農までヒトラー肝いりの計画なのだが。
ウクライナ解放軍やら臨時政府やらと表裏一体の計画だ。
ウクライナは史実では、当初はドイツは「ソ連からの解放者」として歓迎されたが、彼らの独特な人種感とも相まって、「その幻想を自らぶち壊した」のもドイツだった。それが、誰にとっても得のない”ウクライナ蜂起軍”を生み出す結果につながった。
結局、史実のドイツは解放者になり切れなかったのだ。
だが、今生ではその反省を生かし、ドイツ……というよりヒトラーは、徹頭徹尾「品行方正な解放者」として振る舞うことを南方軍集団に要求していた。
無論、”ナチズムの忠実あるいは厳格過ぎる”軍人の中には、「そこまで厚遇する必要があるのか?」と具申する者もいなくはなかったが、ナチズムなど所詮は”民心を纏める道具”程度にしか思っていなかったヒトラーは、彼らを「現実的なメリット」で論破するのに躊躇いはなかったし、何なら軍務から外れてもらうのにも躊躇いはなかった。
まあ、そういった面々が後にヒトラー暗殺計画を立案するのだが……まあ、結果はお察しくださいだ。
ナチズムさえ日々、徐々にソフティケートされてる昨今、彼らの居場所はあまりにも少なかった。
まあ、未来の話はこれぐらいにして……
「いずれにせよ”ヴォロネジ攻略”を本来のスケジュールより早めるしかあるまい。好機を逃すべきではない」
と冒頭の言葉に戻る。
「諸君、準備を始めたまえ。私は諸君らの努力にこそ期待する」
こうして、史実より少しだけ早い”ヴォロネジの戦い”が決定されたのだった。
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