第182話 代償、あるいは因果応報





日本皇国、帝都東京、千代田区、霞が関




 その日、外務大臣執務室は重苦しい空気に包まれていた……

 

「野村さん、もう来栖の庇いだては不可能です」


 同期の古株、外務省人事部長の手に握られているのはドイツ国内で発行された新聞、その電信版を印刷したものだった。

 そこにはこう記してある。

 

”ニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグ、配下であるリガ・ミリティアをミンスク・スモレンスク間の鉄道拡充のための工事へ向かわせる”


 内容を要約すれば、ドイツ政府よりの依頼でサンクトペテルブルグの線路・道路復旧で名をはせた三国義勇兵団をベラルーシとロシアの国境にある街、クラスナヤ・ゴルカ近辺に開設予定の大規模操車場の工事に向かわせたというものだった。

 

 問題なのは、クラスナヤ・ゴルカはベラルーシではなくロシアの街・・・・・だということだ。

 ベラルーシならば、ドイツに征服され政府機能は暫定政権が行ってる状況だから、やりようはあった。

 だが、来栖が向かわせたのは少なくとも独ソ戦が始まるまでは、「ソ連御中枢であるロシアの街」なのである。

 

 もうスモレンスクまで攻略してるのだから、ドイツの街なのでは?と思うかもしれない。

 だが、ベラルーシは正式に”ドイツに降伏”し、必要な手続きも終わっている。

 だが、ソ連=ロシアは、降伏もしていなければモスクワも陥落していない。

 つまり、ソ連は未だにドイツと交戦中、つまり”健在”なのだ。

 

 そして、日本皇国とソヴィエト連邦は、日本皇国国内で工作員と公安機関が日々暗闘を繰り広げ、身元不明の死体がたまに発見される事実上の敵対関係ではあるが……”戦争状態にはない・・”。


「いくらドイツ政府の依頼とはいえ、”ソ連の主張する領土”に工兵隊と認識されても言い逃れできない組織を出してしまった。実態はどうあれ、責任者は来栖なのです」


 野村は小さくうなずき、続けたまえと促す。

 無論、人事部長は知る由もない。

 ”ドイツ政府の依頼”という方が建前であり、方便。むしろ来栖の立場を慮って出したものであり、来栖こそが作戦の原案作成を行った”首謀者”だ。

 実態はどうあれどころか、”バルト三国義勇兵団リガ・ミリティア”は、国家でも民族でもなく(主に面倒見の良さと民に寄り添う姿勢に惚れて)来栖個人に忠誠を誓う、来栖を”クルスの旦那”と慕う名実共に完全な私兵集団だ。

 ただ規模が、3万を超えて5万に迫ろうとしているから、建前上、”ドイツ政府(もしくは軍)の外郭団体”という大義名分が必要なだけだ。

 ぶっちゃけ、中身は準軍事組織だ。

 大体、リガ・ミリティアの構成員とその家族が「理想の指導者は?」と聞かれれば、ヒトラーやバルト三国の首相より先に「クルスの旦那だろ?」と十中八九言ってしまうだろうあたりが、もうどうしようもない。

 彼らは口々に語る。

 

『あの人は俺達に仕事をくれた、飯をくれた、声を潜めて怯えないで済む今をくれた、明日が来ることが当たり前の今日をくれたんだよ。それどころか、自分の給料が高すぎるってんで時には褒美だって酒までおごってくれる。そんな指導者他に居るか? それになあ、旦那は人が良すぎるんだよ。俺達が支えないと、悪い奴にすぐ潰されそうな気がするのさ。俺たちはさ、はっきり言って学の無ぇバカばっかだ。だけど旦那は俺達を絶対にバカにしねぇんだ。大事な民だって言ってくれるんだよ。だったらさ、役に立ちたいって思うぐらい当然だろ?』

 

 そして、こう続けるのだ。

 

『それにさ、今更、クルスの旦那の下以外で働こうなんて気は起きねぇんだよな』




***




 はっきり言おう。日本皇国外務省人事部長の苦言、いや上申は何一つ間違っていないと。

 いや、ホントこんな忠誠心が天元突破してるような連中を、”私兵”として持つ男を外務省にどうしろと?

 

 究極的に言えば、本来の組織立ち上げ理由から考えれば、どんなに長く見積もってもレニングラード陥落の時点で解散してもおかしくない”リガ・ミリティア”が、むしろやれることと規模を拡大させながら今も存続しているのは、究極的に言えば「クルスの旦那の下以外では働きたくない」という理由なのだ。

 

 客観的に言えば、来栖は別に善人でも聖人君主でもない。

 彼にしてみれば、「労働力兼納税者」を大切にするのは当たり前だった。国民とはすなわち国力その物なのだから。

 だが、考えてもみてほしい。

 バルト三国は、大国の都合で1年間のソ連の圧政下にあった。1年間、粛清に怯えながら暮らしてきたのだ。

 そして1年間という短い時間も良くなかった。

 圧政前の時代を国民全員が覚えていたし、そしてその1年の間に万という国民が、サボタージュだの反革命的だのとよくわからない理由と理屈で、まともな裁判もせずに粛清と言う名目で殺されたのだ。

 これがまだ、本国ロシアのように「圧政が当たり前の世代が大人になっていたら」また違うかもしれない。

 だが、1年じゃそれも不可能だ。

 

 ドイツ人は確かに『圧政からの解放者・・・・・・・・』だ。ロシア人を叩きだしてくれた事は感謝もしてるし、恩義も感じてる。

 だが、”クルスの旦那”は根本的に違う。

 

『クルスの旦那は殺してこいとも、死んでこいとも言わねぇんだ。旦那が言うのは、いつだって「立てるか、作るか、直すか」さ。今回だってそうさ。武器を持たされるのは、”赤いクソッタレ”共が何をして来るかわからねぇからなぁ。だから、自分と仲間を守る手段は必要だってな。旦那はよく言うのさ。無駄に殺すのはアカ共みたいな性根の腐った阿呆がやること。だが、テメェの命を守る引き金を引くなら躊躇はすんなってな』


 これが今回、”派兵”されるリガ・ミリティアの”志願者”たちの本音だ。

 そう、命令ではなく”志願”だ。

 志願で、15,000名もの男たちが、安全性が確保されているとは言い切れない場所に、「命を失う覚悟もせず」に行こうとしてるのだ。

 それはリスクをわからないわけでもないし、ましてや毎月1人に1ケース支給されるボーナスのウォッカに目が眩んだわけでもない。

 彼らはただ、「クルスの旦那に頼まれたら嫌とは言えねぇよなぁ」くらいで十分なのだ。覚悟なんて最初からいらない。

 何しろ、

 

 「まぁ、俺っちが死んでも、残ったかかぁと子供はクルスの旦那が何とかしてくれんだろう」

 「ばーか。クルスの旦那がそう簡単に死なせてくれるかよ。ドンパチが本格化する前にサンクトペテルブルグに戻すって言ってるし、旦那が何も手を打ってない訳ねぇだろーが」


 万事がこの調子だ。

 そして、来栖を慕うのは、何もリガ・ミリティアの面々だけじゃない。

 無論、腹心たる”ドイツ生まれの三羽烏”や、いつも侍らせる小姓三人衆だけでもない。

 想像してほしい。

 レニングラードになる前の、薄汚いボリシェヴィキが何もかもを破壊し燃やす前の”古き良き時代のサンクトペテルブルグ”を知る老人たちだってまだ大勢いるのだ。

 レニングラード時代は、市民はどんな生活をしていた?

 そして、レニングラードが再びサンクトペテルブルグとなった今、誰が生活再建の陣頭指揮を摂っている?

 少なくとも来栖は、サボタージュや非革命思想を理由処刑はしないし、市民に我慢を強いることも、無茶や無理を押し付けることもしない。

 

 

 

 今、「食うのに困らないサンクトペテルブルグ」という評判を聞きつけた、多くの食い詰めた「共産主義に馴染めないソ連邦人・・・・」が、家族を連れてサンクトペテルブルグを目指しているという。

 また、「背中から撃ってくる自国の軍隊」に嫌気がさした国家の命令で軍服を着させられた人間たちも、「軍人ではなく市民に戻りたい」と集っているという。

 制圧直後は100万人以下まで減ったとされるサンクトペテルブルグの人口は最新の統計では150万人に近づきつつあるらしい。

 レニングラード時代の最盛期の人口は約300万人……計算上、あと2年もすればそこまで回復するとされるし、もしかしたら実際はもっと早いかもしれない。

 当然である。誰が好き好んで密告と粛清に怯えながら暮らしたいと思うだろうか?

 

 忌憚なく言えば、来栖任三郎という男は、とっくに外務省の手に負えなくなっていた。

 これまで退官させられなかった理由は、停戦が成立したドイツやバルト沿岸諸国の不評を買いたくなかったのと、”外務省職員”という首輪を失った来栖がどう動くか全く予想できなかったからだ。



 

 だが、今回ばかりはもうダメだ。

 来栖が外務省職員というのが足枷……いや、ソ連との「開戦の口実」になり兼ねない。

 外務省が責任を負える範疇ではないというだけでなく、外務省が自ら開戦理由を作ってはならないのは当然だった。

 いや、ソ連も開戦、日本皇国に宣戦布告できるような状態ではないが、よしんばそうだとしてもソ連に外交的弱みを握られるなど冗談ではなかった。

 それこそ、何を要求されるか分かったものでは無い。

 

「理由を明記した上で1942年3月31日付で外務省を懲戒免職とすべきです。彼が外務省職員としてあるまじき行動をしたのは事実です。また、状況と情勢を鑑み、理由を明文化したうえで懲罰的国籍剝奪も行うべきです。外務省の命令下で行われたことに関連するなら懲戒免職で済ませる事もできたでしょうが、今回ばかりは来栖が”日本人であること”自体が問題になりかねない」


 この人事部長、別に来栖に何か悪意があるわけでは無い。

 だが、彼が知りえる全ての情報の中から、最悪の可能性を考え、最良の解決策を提示しているだけだ。

 

「来栖君を”トカゲの尻尾斬り”するという訳かね?」


 咎めるのではなく、確認するように野村時三郎外相は聞く。

 職員を懲戒免職するのなら、外相の内諾がいる。

 そして、野村もわかっていたのだ。

 この部長も好きでこの”憎まれ役”を買ってるわけでは無い。

 おそらく……いや、間違いなくこれは外務省上層部の総意なのだろう。


「その通りです。皇国全体に被害が出るよりはずっとマシだと愚考いたします」


 この男、つまり来栖が今の状態になるきっかけとなった人事を行った責任を、この男なりに取ろうとしているのだろう。

 

「ドイツやバルト諸国の関係悪化もありえるが?」


「覚悟の上です。米ソと現時点で揉めるほど、我が国には余力はないと考えます」

 

「ふむ。良いだろう。その方向で動くとしよう」




***




 一礼して出てゆく人事部長……野村は、窓の外を見ながら思う。

 

「やれやれ。これでは、人喰い虎に翼をつけて野に放ったようなものだな」


 食い殺す相手が特定できる事だけが、救いと言えば救いだ。

 

(だが……これで、日本皇国で来栖の手綱を握れる者は、誰も居なくなる)

 

 外務省だけでなく日本皇国臣民という”かせ”すら外された来栖が、果たしてどう動くか……

 

「吉田さん、これが貴方の望んだ結果ですか?」












  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る