第149話 米ソにおける間接的な転生者の影響とその顛末、ならびに最強狙撃手伝説は未だ終わらず




 一般にソ連の歴史書には「酷い戦い」と評されるムルマンスク攻略戦だが、後年の歴史家によれば最大の失敗は、

 

 《b》・米ソとも、ドイツが本格的な冬季攻勢を、”極夜”なんて慣れてるわけない劣悪な環境でやるとは思っていなかった《/b》


 と思い込んでいたことらしい。

 現代に生きる我々には妙な言葉に聞こえるかもしれないが、それを裏付ける証拠はいくつもある。

 奇妙な事に、米ソの最高意思決定者のアドヴァイザー的なポジションにいた人物は異口同音に

 

『ドイツは、冬季戦に関する研究もしていなければノウハウもない。また日の昇らぬ極夜に関する訓練も行っていないはず。なので、11月中旬あたりまでムルマンスクを防衛できれば、”銀狐作戦”は極夜が始まる12月には中止され今年度のドイツ軍による攻勢は無くなる。そうすれば、最も早くから稼働可能で最もモスクワに近いレンドリース受け入れ港がその真価を発揮する』

 

 と言い放っていたのだ。

 だからこそ、ルーズベルト大統領は国内の調整に手間取っていたレンドリースを、準備が十全にでき政治効果が期待できる1941年の12月25日クリスマス出航に合わせたし、それで十分に状況に間に合うと考えた。

 

 そしてソ連では、前話で「スターリンはムルマンスクを見捨てたわけではない」と記した際にも他にも優先して守るべき云々と書いたが、その判断に「ドイツ人に冬季戦の知識や極夜で戦うノウハウはなく、冬の間はムルマンスクに攻めてこれず、冬に戦えるフィンランド軍だけなら兵力差で押し返せる」という助言が判断材料としてあったようだ。

 つまり、この冬で陥落しないのなら無理に援軍を送る必要はなく、冬の間に届く米軍の援助物資で防衛できるだろうという読みだ。

 

 ただ、ソ連に関しては、その助言に信憑性持たせる証拠がいくつもあった。

 一つは、スモレンスクだ。

 ドイツ人は開戦から瞬く間にベラルーシを制圧し、スモレンスクを制圧したが、モスクワには何度が攻め寄せるが、いずれも撃退、防衛に成功していた。

 そして、秋に入る頃にスモレンスクからミンスクまでの防衛線を強化し、またベラルーシ内の共産党員狩りに精力を注ぐなどの行動から冬季攻勢は無いと判断されていた。(なお、極秘裏に”カティンの森”の調査をはじめていたが、ソ連は未だにそれを知らない)

 

 加えて、ムルマンスクの西にあるフィンランドのペツァモという街を拠点に何度か侵攻をかけてきているが、何れも返り討ちにしており、空爆の被害だけは日に日に増えているが、空爆だけで占領された街は歴史上存在しておらず、また極夜になれば空爆は不可能と判断されていた。

 

 つまり、この時点でソ連で「ドイツ人の真意」に気づいている者は一人もいなかったし、正直、今でも怪しい。

 そして、この情報と判断が、コミンテルンを通じて、アメリカ政府中枢に届いていたのだ。

 その受け取り手の1人が、”ハリソン・ホプキンス”。

 レンドリースの責任者で、大統領の懐刀だ。ただし、懐刀の刃は、赤錆・・が浮かび腐れ果てているが。

 

 

 

***

 

 

 

 だが、皆さんは不思議に思わないだろうか?

 これらの助言はまるで、まるで「前世の歴史を知る転生者・・・」が行ったように聞こえるだろう。

 

 だが、エピソード【His Story】で示した通り、普通に考えればアメリカでは政府要人になれる立場にはあがれず、ソ連では粛清対象になるような立ち位置にしか転生者はいないはずだ。

 

 だが、ここで神ですら思ってなかったエピソードの変遷が起きる。

 とある黒人系転生者が、これから起こるであろうことをメモに書き写した。

 だが、その男は当時はよくあった「黒人のくせに生意気」という理由のリンチで殺され、いつものように大した処理もされないまま”未解決事件”として幕を閉じた。

 別におかしなことではない。

 当時(公民権運動前)のアメリカ南部諸州では、殺人事件とは「白人が被害者だった場合にのみ適応される」が当たり前だった。

 リアルに”奇妙な果実”というブルースがあるが、これに歌われる”奇妙な果実”とはリンチで殺され吊るされた黒人のことで、このブルースがリリースされたのは、1939年……つまり、現時点を起点とするなら2年前だ。

 

 だが、ここで奇妙な果実となった黒人転生者に奇妙な糸がつながる。

 これは史実の話なのだが、この”奇妙な果実”の原詩と言っていい”苦い果実”は、ユダヤ人教師のエイベル・ミーアポルという男が、「ルイス・アレン」の名義で「共産党系団体・・・・・・の機関紙」に発表されたのが始まりだ。

 ミーアポルはアメリカ共産党党員であり、筋金入りの共産主義者であり、死刑になったローゼンバーグ夫妻(ソ連のスパイで超有名)の遺児を養子として引き取るなどという真っ赤な男だ。

 加えて言うなら、前述の「ルイス・アレン」名義で当時の超メジャー歌手”フランク・シナトラ”のヒット曲まで手がけているのだから、如何に当時の共産主義者がアメリカのあらゆる所に入り込んでたのかがよくわかる。

 まあ、今のアメリカも大差ないかもしれないが。

 

 リアルから再びこの世界線に話を戻すと、”この世界線のミーアポルあるいはアレン”に、リンチで殺された黒人青年の遺品が転がり込んで来るのは、必然だったのかもしれない。

 若き日のミーアポルが故人は何を思っていたのかと遺品のメモを開けば、そこに書いてあったのは未来の日付と、荒唐無稽とも思える内容だった。

 1920年代、世界恐慌が起きるほんの数日前の出来事だ.

 

 そのメモはミーアポルにとってまるで「予言書」のようなものであり、彼はそのメモの存在を秘匿したままアメリカ共産党へ入党し、政府への浸透工作をかけるコミンテルンの主義者たちと友誼を結んだ。

 

 

 

 一方、ソ連の方はもう少しシンプルで、粛清した相手の持ち物を物色していたとある共産党員が、同じような内容のメモを見つけたのだ。

 無論、彼はそのメモを参考に、「預言者のように」危険を擦り抜け、共産党の幹部として出世し、ついにスターリンに助言できる立場まで上り詰めた。

 そして、この軍部を指導する立場にあった共産党幹部がまとめたムルマンスクのレポートが、ミーアポルとつながりのある政府内のスパイへと流れ、「先見の明がある」とされていたミーアポルに確認し、「その内容に誤りがない」と確認すると、上司へ……”ハリソン・ホプキンス”へ「本国から分析レポート」として提出された。

 

 


 中々に愉快な喜劇だろうと思う。

 そして、この「転生者の遺物が作成させたレポート」により、ドイツが冬も戦う覚悟を決めた事に気づかず、結果としてムルマンスクの陥落を招いたのだから、より愉快な気分になってくるものだ。

 

 












******************************










 ムルマンスク都市部制圧戦を戦い抜いたロンメルは、存外に上機嫌だった。

 というのも、全く期待していなかった戦車戦が、思いの外経験できたからだ。

 それも、T-28中戦車にT-35重戦車と言うT-34やKV-1以前の30年代の古株レア戦車を相手に。

 T-28は故障中でレニングラードに送られなかった物を何とか修理したもので、ロンメル自身が座乗する車両が仕留めたT-35は図体が大きく重すぎて運び出せなかった物だったらしい。

 要するに移動トーチカ、あるいはKV-2重戦車街道の怪物のように使おうとしたのかもしれないが、ドイツ自慢の長砲身75㎜砲から放たれる高速徹甲弾相手では、如何せん防御が薄すぎた。

 

 既に市街戦に入って1日が経ったが、掌握は大分済んでいた。

 戦車をトーチカにすれば、より新しいドイツ製の戦車で射貫かれる、陣地を作って立てこもっても重砲で吹き飛ばされる。

 瓦礫を簡易要塞に使おうと思ったら信じられない巨大砲弾で区画ごと吹き飛ばされる……

 

 こんな戦いを、それも極夜の闇の中で続けていたら、如何にロシア人でも摩耗する。

 ドイツ人ならともかく、スオミ人はこういう戦いに慣れている。

 連中が雪中ゲリラ戦に強いのは知ってたじゃないか!と。

 

 実際、2万人のフィンランド軍がその真価を発揮したのは、市街地攻略戦だった。

 彼らは、極夜を自らのカモフラージュとし、実に効率よくロシア人を仕留めていった。

 

 そして、同時に奇妙な現象も起きていたのだ。

 投降、降伏するロシア人が加速度的に増えているのだ。

 彼らは、一様に

 

『上官も、政治将校もみんな殺された。眉間や心臓を一発でえぐられて。きっとまた”白い死神”が出たに違いないんだっ!!』

 

 と恐慌状態に陥ったという。

 

(”シモン・・・・ヘイヘ”か……)

 

 ロンメルは、その心霊現象じみた現象に心当たりがあった。

 銀狐作戦のフィンランド軍側のメンバーにユーティライネン少佐・・の名があったからもしやと思えば案の定だった。

 

(今生では負傷してないようで何よりだ)

 

 ヘイヘは未だ無傷のまま、今日もムルマンスクのどこかで赤い誰かを射貫いている事だろう。

 

(そういえば、今生ではドイツ製の小銃を使っているという話だったな)

 

 史実のヘイヘは鹵獲されたソ連製のモシン・ナガンを愛銃としていたが、この世界線では冬戦争の頃にはフィンランド軍が導入していた(ドイツから無償供与されていた)”Kar98b”を使い、今はその英雄的活躍が讃えられ、ドイツ政府から勲章と共に12丁まとめて贈られた”Kar98k”を、フィンランドのご当地企業サコー社がヘイヘ用にカスタム&チューンアップしたものを現在は使っていた。

 

 史実でも今生でも反射を嫌ってスコープを使わないのは、相変わらず。

 ただ、この世界線のヘイヘは、軍に入隊する前より第一次世界大戦の敗北で放出されたドイツ製の小銃Gew98を猟銃(愛銃)として使っており、マウザー系の小銃は非常に扱いなれた物だったようだ。

 もしかしたら、それが負傷のおう/おわないを分けたのかもしれない。

 

 そして、史実のヘイヘは継続戦争への参戦を希望したが、負傷が原因の度重なる手術により叶わなかった。

 しかし、この世界のヘイヘは未だ無傷……その神を信じぬ共産主義者相手に増え続けるだろうスコアがどこまで伸びるかは、まさに「神のみぞ知るGod Only Knows」だった。

 

 











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