第119話 アラビア石油開発機構とペペロンチーノ風ソーミン・チャンプルー




 史実の”クルセイダー作戦”で英国が成し遂げられなかったリビアの大反抗作戦で、今生の日本皇国はトリポリまで陥落させた。

 

 ”ザバーニーヤ作戦”


 は成功で幕を閉じた。

 しかし、リビアにはイタリア人に服属し共闘した勢力があった。

 そう”フェザーン”だ。

 

 当然、日本皇国軍の捕虜の中にはフェザーン人もいた。

 トリポリ陥落後、日本人はイタリア人の回収と移送、トリポリの復興と治安回復を並行して行いながら、捕縛したフェザーン人をメッセンジャーという名目で解放した。

 

 リビアにおけるフェザーンの現状の立ち位置(立場の悪さ)と、今後の展望、そして”リビア三国連合トリニティ”の樹立に向けた要望などが、彼らにわかるようにかみ砕いた表現の書簡を持たせてだ。

 

 そして、彼らを送り出すとき、皇国特使の武者小路実共は、こう付け加えた。

 

「もし闘争の継続を望むなら、首長だけでなくあらん限り戦えるものは老若男女問わず全て連れてきなさい。皇国軍は全力をもって気が済むまでお相手しよう。和平を望むのなら首長と君たちの部族に居るイタリア人を連れて、適切な人数で来なさい。返答がないときは残念ではあるけど、敵対を継続するとみなすよ?」


 そう優しく問いかけるような武者小路に、虜囚生活から解放されたばかりのフェザーン人は震えあがったという。

 




***




 かくて数日後にフェザーン人は戻ってきた。

 首長を含む100人ほどの人数で、縛り上げたイタリア人を連れて。

 

 迎える日本人はトリポリ港から内陸に向けて陣を貼っていた。

 

 港には分かりやすい力の象徴として戦艦が停泊し、陸は戦車で埋め尽くし、空には戦闘機が見事な曲芸飛行を決めていた。

 

 そんな陣営でフェザーン人を迎え入れたのだ。

 正しく、あるいはいっそ清々しいまでの砲艦外交・・・・であった。

 

「現在、将来に向けた”リビア三国連合”準備委員会・・・・・、委員長の武者小路実共です。以後、お見知りおきを」


 そうフェザーン首長にアラビア式の友好の挨拶を交わす武者小路に、フェザーン首長はまず”生け捕りにしたイタリア人”を手土産に差し出したと記録が残っている。

 異教徒だし首だけの方が良いかもとも思ったが、帰ってきた同胞から「首を落とすなら、日本人はサムライソードの試し斬りに使うから、生きたまま渡した方が受けが良い」と聞いていたので、その通りにした。

 

 こうして、キレナイカ王国、トリポリタニア共和国に続く最後のリビア三国連合の構成国、”フェザーン首長国”の樹立が決定したのだった。

 

 


 そして、多くの転生者は気づいていた。

 本当の日本皇国の苦難は、ここからだということを。

 アラブとは、そういう土地なのだと。

 

 

 

 










*******************************










 実際、そこから先は軍隊ではなく外交と政治の仕事だった。

 

 日本皇国は、「まるで最初からリビアに石油があることを分かっている」ように、石油資源の早期開発と経済的自立を提言した。

 とにかく、武者小路が主張したのは、

 

「石油はリビアに住まう全ての人々の共有財産、アッラーからの恩寵であり、イスラム教徒はその恩恵に預かる権利がある。アッラーは決して富の偏在による人心の乱れを喜ばないだろう」


 という、あらゆる意味でこれまで接してきた西洋人が決して口にしないようなセリフだった。

 しかもリビアにおける日本皇国の立ち位置は、

 

「今のリビアに油田採掘する技術やパイプライン、石油化学コンビナートを作る技術は無い。だからこそ、日本が”代行”するだけだ。日本は石油の独占を決して望まない。石油の利権や管理権は、石油は国有財産なのだからリビアの公的機関が持つべきなのだ」

 

 と主張する。

 これが言えるのも、この世界線での日本皇国が自国領内の樺太北部の油田・ガス田開発に艱難辛苦を乗り越え成功したからだ。

 特に史実と異なり油脈の規模が大きく(推定で20億バレル以上はほぼ確定)一部が陸地まで伸びていたことで、開発の足がかりになった。

 他にも北海道、秋田、新潟で油田開発が行われ、採掘されている。

 実はここにも永らく続く日英同盟の恩恵があった。

 日本におけるエネルギー政策の一環である油田法の制定や開発ノウハウなどが、武者小路の背景にあったのだ。


 そう、今生の日本は規模は小さいが、アメリカ同様に産油国なのだ。

 ただ、産油量が日本皇国の使用量と大体同じとされている。(実際にはそうなるようにコントロールしているのだが。勿体無い精神は重要。限りある資源は大切に、だ)

 つまり産油国であっても石油輸出国ではない。

 

 「捕らぬ狸の皮算用」に聞こえるかもしれないが、自国の石油開発事業に実績のある日本人が言うなら出るだろうということ(つまり、それぐらいの信用を勝ち得ていた)で、「石油が採掘された場合」の話し合いも持たれた。

 

 この時、日本側は前述の通り「リビアの石油はリビア人の財産」であることを前提に、所有権はキレナイカ王国・トリポリタニア共和国、フェザーン首長国の三国連名の公的機関が油田所有権・管理権を持つこと(つまり石油資源の国有化)。

 また、石油開発の利益は、その油田が出た場所の8割が担当国、残り2割が残る2国に回すこと(つまり、キレナイカ王国の油田であげられた利益の内、80%がキレナイカ王国に入り、残り10%ずつがトリポリタニア共和国とフェザーン首長国に分配される)。この比率には弾力性を持たせ、話し合いによる分配比率の変更が可能とすること。

 また必ず有事に備え、純利益の中から一定金額を資本プールとすること。

 日本皇国は、「開発と採掘、精製の代行」を行いそれを経費として受け取り、また優先輸入権を持つこと。

 そして、石油開発事業も会社(石油資本)ごとに行うのではなく、資本御集中投下と相互監視の観点から官民合同プロジェクト”アラビア石油開発機構(アラ石機構)”を立ち上げ、開発・精製までを一貫して迅速に行うことが提案された。

 

 彼らの知る外国人(=欧米諸国)ではありえないほど、譲歩ではなく「リビアに配慮された」内容に目を白黒させながら、これからリビア三国同盟となる三カ国の代表は異口同音にこう告げた。

 

「「「我々は、日本皇国以外とこと石油事業に関しては商売したくない」」」

 

 リビア人には、「自らを律する手枷を自らはめた」ような日本人の態度に感動すると同時に対比となる感情、つまり「根こそぎ何でも奪う西洋人に石油を渡したら、何をされるかわからない」という恐怖心を隠さなかった。

 それほどまでにアラブ世界に強欲さを見せつけた「野蛮な西洋人」に対する不信感は強かったのだ。


 困ったのは武者小路だ。

 リビアの石油資源を日本皇国が独占したとなれば、同盟国の英国との関係もぎくしゃくしかねない。

 そういう(例えば米ソが)付け入る隙を作るのは、勘弁願いたいのだ。

 だからこそ、折衷案を持ちかけた。

 

「今は戦時下であり、非常時の暫定措置という形で、日本皇国が一括管理という形で請け負うし、また駐留費用を”原油が出た場合、現物払い”という形で捻出するなら、その間の国防も請け負おう。無論、石油が発掘されるまで支払は待つし、分割でも構わない。万が一出ない場合は、請求は発生しない」


 とリビアに満額回答するような前振りをしてから、

 

「ただし、戦後世界……武力ではなく話し合いで大半の物事が解決する時代が来たと判断出来たら、リビア国営企業との合弁会社が条件付でも他国の石油資本の受け入れを考慮してほしい」

 

 そう提案した。

 

 

 

 さて、もうお気づきだと思うが、日本が本当に欲したのはリビアの石油ではない。

 石油は確かにあるに越したことはない。

 だが、本当に欲しいのは「安定した平穏なリビア」だ。

 これがどれほど日本の将来に影響するのか……それは”未来を知る転生者達”の願いでもあった。

 

 こうして、「リビアという平和な国を作る」ための長い長い、決して負けることの許されない”本当の闘い”が始まったのだった。






















”EXステージ”


 武者小路が武力を使わない闘争を始めたのと同じ頃、地中海方面における日本皇国軍最高司令官”今村仁”大将は、別のとある戦いを終わらせていた。

 

「これで取引成立ですな」


 彼が握手していたのは、親独中立国として国際社会に復帰したばかりのフランス、その通商代表部の大物だった。

 

「確かにデュラムセモリナ種を使ったパスタ1万tを期日までに用意しましょう」


「Merci beaucoup とても助かります」


「いえいえ、こちらこそ。これからも良い取引を。それにしても日本人は気遣いが過ぎますな? イタリア人など”英国人の絞り粕マーマイト”でも舐めさせておけば十分だというのに」


 フランスからの使者は、実に率直なイタリア人(と英国人)に対するコメントを言えば、


「これも保身ですよ。イタリア人が食事を拒否して餓死でもされたら、後が面倒だ」


「では、今は何を与えているので?」


「我が国にも”素麵”という小麦を使った保存のきく乾麵がありましてね。パスタに比べれば柔らかいですが、それを沖縄という南方の島出身者が郷土料理の”ソーミン・チャンプルー”という物をベースにトウガラシやニンニク、コショウを利かせてオリーブオイルで炒めれば、アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ(Aglio, olio e peperoncino:ペペロンチーノの正式名称)風になると言いまして、これが存外にイタリア人の受けがよくて」


 実はペペロンチーノ風ソーミン・チャンプルーは実際にあるレシピだ。

 また、ペペロンチーノは一般に細いパスタを使うので、硬めにゆでた素麵(冷麦でも全然おk)を使って作ると存外に違和感がない。

 なので、イタリアーノな捕虜たちは”Pasta morbida al peperoncino bianco(白くて柔らかい唐辛子のパスタ)”と称して好んで食していた。

 

 フランス人特使は思い切り呆れた顔をする。

 なんで日本人がそこまでイタリア人を丁重に扱うのかさっぱりわからなかったが、

 

「……少し味わってみたくなりましたな。その、珍味を」


 興味は別の物に移った。

 美食家グルメを自称する彼としては、異国情緒のあるその料理を味わってみたくなったのだ。


「もし、時間があるようでしたら昼食を一緒にいかがですか? よろしければソーミン・チャンプルー・ペペロンチーノ風を運ばせましょう」


 こうして、日仏のささやかな親善が行われたのだった。

 この”小さな取引”が後にどのような影響があったのかはわからないが、少なくとも「リビアの(とりあえず現時点の)統治成功」は、フランス人に光明を与えたのは事実だった。

 フランスは、自分たちが売れる土地、”日本人にとって価値のある土地・・・・・・・”を持っていることをよく知っていたのだ。

 

 これが後の、”世紀の商戦”につながるとは、この時、日本人は誰も考えてなかったに違いない。

 歴史は今、より愉快な方向へ流れようとしていた。

 

 なお今後、日本皇国にかかるプレッシャーは考えない物とする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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