第70話 停戦後の各国の反応と帝国ホテル




 日英とドイツの停戦、そして米国との会談不調はその後の世界に大きな影響、あるいは爪痕を残した。

 

 例えば、英国に居を構えていた多くの亡命政府が、ドイツとの停戦を受けて「英国はドイツと戦う意思なし」と判断し、交渉決裂の意趣返しに各国亡命政府の受け入れを表明した米国への移動を開始した。

 

 これは無論、本当の目的は意趣返しなどではなく「米国が参戦の口実を得る機会を作るため」の方策の一環なのだが、英国政府はむしろ……

 

『厄介払いが出来て丁度良い』


 というスタンスだった。

 実は英国も亡命政府の抱え込み過ぎで内心、その政治的なやり取りの面倒さに辟易していたのだ。

 特に英国の態度に激怒し真っ先に出て行ったのは、オランダ女王とその取り巻きである旧オランダ政府だ。

 実はこの時点ではボルネオ島などの蘭領東インドの扱いは一切どこからも公表されていなかったが、英国政府のドイツとの停戦合意に加え、親独的な態度が鼻に付き女王自らが解任したデ・ギア元首相をよりにもよって英国はオランダにチャーター船で送り返してしまったのだ。

 無論、オランダ王室に事前通達は無く、事後報告もなかった。

 実際、オランダ亡命政府がその事実を知ったのは、オランダから流れてくる「元首相の女王がいかに自分本位なヒステリックな判断で、オランダ国民を見捨てたのかを赤裸々に語るラジオ放送プロパガンダ」からであった。

 

 女王と亡命政府は英国政府に詰め寄ったが、英国政府は素知らぬ顔で、

 

『デ・ギア氏を解任し、公的役職のない無職の一民間人にしたのは女王陛下でしょう? ただの一民間人が帰国を希望し、現地(オランダ本国)の暫定だろうがなんだろうがの自治政府が許可した。それだけのことですが、何か?』

 

 これに激怒した蘭女王は亡命政府の家臣団と、カナダに退避していた娘まで引き連れアメリカのニューヨーク州に移動したのだった。

 この一連の騒動もまた、「ヒステリックな女王に堂々と正論をぶつけ解任された正義の人」というイメージ戦略を行っていたデ・ギア(初代オランダ共和国・・・首相筆頭候補)の格好の宣伝材料にされ、面白おかしく脚色されラジオの電波に乗って、あるいは新聞記事になり流布されたという。

 

 この尻馬に乗ったのが、西をドイツに東をソ連に取られて消滅したチェコはズデーテン地方を皮切りにボヘミア・モラビアと立て続けにドイツに併合(しかも厚遇)され、スロバキアは独立してドイツと昵懇となって消滅した国家”チェコスロバキア亡命政府”だ。

 いや、「(もはや存在しない)チェコスロバキアの再興を果たす」を目的としているチェコスロバキア亡命政府は、果たして亡命政府と名乗ってよいのだろうか? チェコは歴史用語になりむしろ併合後の方が生活は安定、スロバキアはドイツ傘下ではあるが、自治区ではなくちゃんと独立国として機能しているというのに。

 

 

 

 だが、ここで更に我々が知る史実とは大いに異なる扱いとなった国々がある。

 それを列記していこう。

 

 ・ギリシャ

  王様や王族がクレタ島に遷都して正統政府があるのに、亡命政権なんてあるはずがない。

 

 ・ユーゴスラビア

  そもそもドイツは放置を決めている。そして現在は内戦状態。亡命政府どころの騒ぎじゃない。

  

 ・ベルギー

  王室が「ベルギー元首相は降伏を受け入れず国民を見捨て敵前逃亡した」と発言し正式に解任+国外追放。亡命政府の存在を否定したため公的に亡命政府とは認められていない。降伏文書署名の翌日には王命の元に早速、新たな内閣の組閣準備が行われた。ドイツは国王の王権と王立議会の正当性を認め、最大限の尊重と保護を確約していた。

  

 ・デンマーク

  実はこの世界線では不可侵条約は未締結。戦略的な要所であった為に侵攻はしたが、6時間の戦闘でデンマークが降伏した。その後、ドイツはドイツ軍の駐留と一部基地のための租借の条件だけ出し、即座にコペンハーゲンを含む全土の解放(返還)と政府機能の復旧を行った。また、デンマーク王家の保護も明言している。つまり、逃げる暇もなかったため亡命政府は存在しない。

 

 更に異なるのが、ルクセンブルクとノルウェーだ。

 実はこの2国に関しては、この世界線においてドイツは侵攻していないのだ。

 何故か?

 意味も理由もないからだ。

 フランスの制圧と友好国化ができれば、別にルクセンブルクのような狭い土地を抑えるのに労力を投じる必然性はなく、コストパフォーマンスが悪いと判断された。

 そしてノルウェーなのだが……そもそも史実においてドイツがノルウェーに攻め込んだ理由は、根本的には「英国の本土侵攻」を本気で考えていたからであるが、何度か出てきたようにこの世界線において”アシカ作戦”は本気で実行するための計画ではなく、あくまでブラフに過ぎなかった。

 本当の目的は英国の実力を図ることであり、ヒトラーの真の目的は「英国本土の上陸作戦など不可能」ということを徹底的に周知させることにあったように思える。

 

 そんな状況なのに地続きでもなく、海軍を消耗させるようなハイリスクな作戦をとる必要などなかったのだ。

 

 また、フランスのド・ゴール率いる自由フランスを僭称する勢力は前にもふれたとおりに史実と異なり、ロンドンではなくカナダのケベック州に居を構えているので、フランス系住民の志願兵募集を行っている関係もあり、そこから動く気は無さそうだ。

 ただし、英国の態度には激怒しているのは確かだが。

 

 ・ポーランド

  逆に史実と同じく「ロンドンにとどまっている亡命政府」もある。

  そう、”ポーランド”亡命政府だ。

  ドイツと関わった多くの政府・国家が我々の知る歴史と異なる歩みを始める中、ポーランドはアメリカに向かうことなく、状況を静観していた。

  その動きのなさが、逆に不気味と言えば不気味だった。












******************************










 さて、このような状況の解説を終えると、流石に日本皇国本土の動きが気になるところだ。

 そこで視点を帝都東京、ライト館の別名を持つ帝国ホテルの個室ラウンジに移してみよう。

 

「悪いね、休日なのに呼び出してしまって」


「ふん。一国の”Minister of Foreign Affairs”の呼び出しを受けて応じないわけにはいくまい? これも大使の務めさ」


 ”Minister of Foreign Affairs”、つまりは外務大臣だ。

 そう、人目を避けるようにこの席を設けたのは日本皇国外務大臣”野村 時三郎”であり、それに応じたのは米国駐日大使”ジョシュア・グルー”であった。

 今回は公務ではなくあくまで非公式な会合、「友人を飲みに誘った」という体裁をとっている。

 

「アメリカ本国は大騒ぎらしいね?」


「おかげさまでね。どこかの国の差し金なのか知らないが、米国うちの国務長官と英米首脳陣との会合内容が盛大にマスコミにリークされたからな。ご丁寧なことにうちの政権にいるアカに関するコメントまで添えて」


 野村は苦笑しながら、

 

日本皇国わがくには前々から注意喚起や警告はしていたはずだが? それに大騒ぎな理由は、それだけではないだろう? なんでも各国の亡命政府を名乗る集団やら王族やらが押しかけてきてるとか」


 するとグルーは溜息を突いて、

 

「それもこれも、日本と英国がドイツとの戦争をやめると宣言したせいだろ?」


「あくまで停戦合意に達しただけだ。別に和平も和睦も、予備交渉すらしてないが?」


「それでもだ。どうして、日本はその判断をしたんだ? 今日は本音を聞きたくて来たというのもある」


 野村は少し考え、

 

「ドイツは敵だ。だが、同時にソ連も敵だ。知ってるかね? ソ連は未だに我が国に対する浸透工作・間接侵略を諦めていない。おそらく英国でもそうだろう。ケンブリッジ・ファイブの醜態や失態を彼らは忘れてはいない」


 残念ながら事実であった。

 ゾルゲ・尾崎事件のみならず、既に”潰した”が「太平洋問題調査会」や様々な共産系組織や機関を隠れ蓑に暗躍を続けていた。

 

「明らかにしていないがね、皇国でも青年将校によるクーデター計画が存在していたんだよ。無論、表沙汰になる前に関係者のことごとくを”始末”したがね」


「なっ!?」


 そうなのだ。

 この世界では二・二六事件も五・一五事件も”未然に防がれた”だけであり、計画自体は存在していたのだ。

 ただし、それらの事実は表に出ることは無く闇から闇に葬られ、一時期”訓練中の事故死(武器弾薬の暴発など)”や”行軍訓練中の遭難”などの記事が新聞の片隅を賑わせただけだ。

 一部、開明的な報道機関が装備や人的資源の軍の質の低下を指摘したり、軍の訓練方法に問題があるなどの貴重なご意見を出していたが、自主的に情報誘導してくれるならありがたいと国は放置した模様。

 

「その背後に、少なからず赤色勢力が暗躍していた痕跡があるんだよ」


 正確には米国諜報機関の工作員の姿も見え隠れしていたが、賢明な野村はここでそれを言う必要はないと判断していた。

 そもそも、米国の諜報員と共産主義者の諜報員を分けて考える必要はないという事情もある。


「本当か……?」


 目をむくグルーに野村は小さく頷き、

 

「その状況で、『共産主義者を救うためにドイツとの戦争を継続します』だなんて言えると思うか?」


「……つまり、日本はソ連と水面下で暗闘中ということか……」


「違うな」


 野村は首を横に振り、

 

「日ソは日露の頃よりずっと戦争を継続中、砲弾が大規模に飛び交ってないだけで交戦中なんだよ。彼らと恒久的和平を結んだことは一度もない。日本が皇国である限り、これからもそうだろうさ」




 その言葉は鉛よりも重い響きを持っていた……

 それは厭が上でも今日もどこかで「不審な死を遂げた躯」が転がることを示していた。

 

 転生者達が陰日向に尽力して作り上げた”日本皇国”という国家システムは、史実の大日本帝国で散見されたこれ見よがしな暴力は「無駄ばかりでスマートではない」という理由から好まれない。

 反面、国家や国民の平穏を乱そうとする者……「この世にいるよりいない方が都合が良い存在」に対しては、史実以上に容赦も躊躇もないのだった。

 

 

 

 

 

 

 






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