第43話 キューバ産葉巻の煙漂う場所にて




1941年6月4日、英国、ロンドン、ダウニング街某所




「ドイツから一方的な停戦宣言ね……」


 美味いはずのキューバ産の葉巻、”Romeo y Julieta(ロミオとジュリエット)”の紫煙を苦虫を嚙み潰したような表情で吐き出すのは英国首相”ウェリントン・チャーチル”で、

 

「良いじゃないですか? 受ければ。戦わずに済むのなら、それに越したことはない」


 向かい合わせに座っている同じキューバ産ながら”ヘンリー・クレイ”という銘柄の葉巻を対照的に楽しげにくねらせるのは、日本皇国駐英全権委任特使・・・・・・……つまり、英連邦に居る全日本人の政治的首魁である”吉田滋”だった。


「ヨシダ特使、話はそう単純な話じゃないぞ? 彼らが出してきた条件が、我々にとり”あまりにも都合がよすぎる・・・・・・・”。ドイツ人のやり口から考えて、必ず裏があるだろう」


「そりゃあ裏ぐらいあるでしょうとも」


 吉田はつい先ほど訪れたドイツの大使が人目を気にしながら持ち込んだ、”機密”のスタンプが押された公文書を見やりながら頷いた。

 そこに書かれていた内容は、要約するとこんな内容だった。

 


 

”我々ドイツより英日同盟に停戦を申し入れたい。これはあくまで期間を決めない一時停戦の要望であり、即ち終戦でも和平でも不可侵条約の締結でもない。停戦を受け入れるなら、我々は下記の行動をする準備がある。


 ・北アフリカよりDAK(ドイツアフリカ軍団)の撤退。ただし、装備は持ち帰れないので人員のみの撤退とする。

 ・ギリシャよりの完全撤退と今後の軍事的不干渉。

 ・シチリア島からの航空機と人員の撤退。

 ・英日の地中海保全の懸念材料となっているメルス・エル・ケビール(メルセルケビール)に停泊している艦隊の処遇についても、停戦に対する合意が得られた場合は考慮する用意がある。

 ・また英領アレキサンドリアに停泊している一部艦艇もその処遇に話し合う準備がある。

 ・加えて現在、処遇が明らかになってない「旧西欧諸国の植民地」に関する案件も話し合う準備がある。

 ・特記事項:特に仏領インドシナと蘭領東インドの取り扱いに関して

 

 


***




「制圧下に置いた、いえ占領した国の植民地の扱いに言及しているのが興味深いですな。特に仏領インドシナと蘭領東インドをわざわざ指定しているあたり、彼らも日英こちらの状況をよくわかっていると考えるべきでしょう」


「ボルネオ島北部は英連邦であり……」


「仏領インドシナは、(今や皇国の資源開発地域となっている)海南島の目と鼻の先です」


 二人の政治的狸……もとい日英の政治的代表格が、ドイツが何を言わんと欲すかを咀嚼する。


「ここから読み解けるのは、”イタリアの切り捨て”でしょうな。『俺たちが東を攻めている間、イタリア人と遊んでてくれ。北アフリカとギリシャ解放の手柄とイタリア本国は対価でくれてやる』というところでしょうか? 手間賃は日英にぶん投げる占領国の植民地とうことで」


 ややうんざりした顔をする吉田であった。

 正直、皇国が今以上の領地を欲していないことを知っている吉田としては、あまり想像をしたくない状況だった。

 自国の影響力がある土地が増えるとしても、民族問題という厄介ごとはできれば避けたいというのが本音である。


「ヨシダ君、君ね……少々、直線的すぎる表現ではないかね?」


「ここは英国人好みの持って回った言い方をすべきシチュエーションではないですよ。首相閣下」


 チャーチルはもう一度葉巻を吹かし、

 

「そこまで分かっていて、君は乗るというのかね? 彼らの提案に」


「そこまで理解してるから乗るのですよ。閣下」


 対して吉田は欧州周辺の地図を広げ、

 

「ドイツの狙いはバルト三国、東ポーランドとクリミア半島をウクライナなどの黒海沿岸地域……北進と東進を同時に行う腹積もりではないでしょうか? いや、限定的に南進も入るか? おそらくは優先目標はウクライナ平原の穀倉地帯とコーカサスの油田でしょうし。北の最終的な目標は、サンクトペテルブルク、今はレニングラードでしたか?の確保でしょう」


 と戦況分析を語る参謀のように淡々とした口調で説明した。

 

「可能かね?」


「可能でしょうね。無論、日英我々が妙なちょっかいをかけなければですが」


「ならば、我々は余計に君が言う”妙なちょっかい”をかけねばならぬ思うがね。それが紳士の嗜みというものであろう?」


「首相閣下は、”敵の敵は味方”だと思う政治思想ポリシーの持ち主でしょうか?」


 するとチャーチルは面白そうな顔で、

 

「君は違う政治思想をもっていそうだな?」


 吉田は頷き、

 

「敵の敵は敵でしかありません」


 断言する吉田にチャーチルは「楽しくなってきた」という表情を隠そうともせずに、


「具体的に述べたまえ」


「ドイツ人もロシア人も日英我らにとり、数が多いより少ない方が好ましい種族です。彼らが好き好んで勝手に殺し合うというのなら、いいでしょう。気が済むまでやり合ってもらえば良い。結果がどうあれ、我らにとり不利益にはならない」


「君はドイツを屈服させるという発想は無いのかね?」


「お忘れですか? ドイツが今となっては英国の隣国になってしまったように、ソビエトは建国当時より……いえ、その前より我が国の隣国なのですよ。我が国に好意的でない隣国が消耗するなら、喜ばしいというほかないのではないでしょうか?」


「なるほど……なるほどな」


 得心いったというチャーチルに、


「それと閣下。僭越ながらお聞きしますが……」


「なんだね?」


「ドイツが本気で英国と敵対する気がないこと、既にお気づきですよね?」


 するとチャーチルは人の悪い笑みで、

 

「根拠は?」


「北アフリカもギリシャもイタリア人が仕掛けた戦争です。こと軍事行動に関しては、ドイツ主導で英国に直接的に仕掛けた戦いは、”バトル・オブ・ブリテン”だけです。しかも彼らはあまりにもあっさりと敗北を認め、何故か”我々が容易につかめる”ように『アシカ作戦の中止』を宣言している」


 チャーチルは今度は美味そうに紫煙を吐き、

 

「アシカ作戦の存在自体が”ブラフだった・・・・・・”……だろ?」




 葉巻の煙漂う不健康な密室の空気の中、呆れるほど不健全な精神の会合は更に続けられた。

 そして、この夜の「チャーチル・吉田会談」こそが、この先の戦争の方向性を決める一つの要因となったのだった。

 

 もっともそれが、”表の歴史”で語られるかは定かではないが。

 

 












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