碓氷さん、どっちですか?

はりぼちゃ。

碓氷さん、どっちですか?

 黒板に貼ってあるカラーコピー紙には、モナ・リザ。

 それについて教師が解説をしている。

 

 せっかくの美術の授業なのに座学をしているこの教師は、忖度という言葉を知らないのだろう。

 周りを見渡してみる。ほら、ほかの生徒も目がうつろになっている。

 高校入学してから最初の五月だというのにこの体たらく。いや、慣れてきたというべきか。

 

 僕の席は教室の最後列かつ、角の席だから周りが良く見える。

 目の前の生徒だってグラウンドにくぎ付けで、授業だって全く興味なさそうにしている。しかし、その横顔はモデルのように美しく、無機質だった。

 席替えをしたばかりだったが、その生徒の名前は憶えていた。碓氷うすいさんだ。以前は僕の後ろの席だった。挨拶も特にしないような仲だが。


 気が付けば授業が終わっていた。

 授業中に覚えたことと言えば、モナ・リザが男女のモデルを掛け合わせてつくられたということくらいだ。

 よし、明日からはちゃんと授業聞こう。とりあえず今日は放課までほどほどに頑張ろう。



 「ただいま」

 ぱちっと部屋の電気をつける。

 築十年、決してきれいとは言えないアパートに、僕は母と二人で暮らしている。

 父は、東京に単身赴任している。

 手を洗っていると、玄関の方からガチャと音が聞こえた。母が帰ってきたようだった。

 「おかえり。」

 「ただいま。」

 とだけ淡白な会話を済ませ、自室に向かう。


 課題をしていると、部屋のふすまを開けて顔をのぞかせた母が、「ごはんできたよ。」と伝えに来た。

 今日の晩飯は生姜焼きだった。


 食べ終わった食器を洗っていると、母が話しかける。

 「学校は楽しい?」

 「うん、ほどほどにね。」

 とだけ言うと、手をふき、また自室に戻る。

 特段母と仲が悪いわけではない。だが、特に話すことはないし、何より思春期なのだ。これくらい別にいいだろう。

 

 課題を適当に済ませ、時計をみやる。十一時半。

 いつものようにベッドに入り、スマホをいじる。

 SNSを見ていると不思議な気持ちになる。

 なぜインフルエンサーたちは見ず知らずの人に罵詈雑言を言われることもあるのに続けられるのだろう。

 そんな自分に得のないことを考えていると、一つの投稿が目に留まる。

 『今日なんか疲れたから自撮り上げとく』の文章と共に投稿されていたその画像にはセーラー服のスレンダーな体をした少女が映っていた。

 僕はなぜかその画像の人物に惹かれた。『いいな』と思った。

 続いてその投稿のコメント欄を見てみると『相変わらず男の子とは思えないほど可愛い!』『その美しさ憧れます!』などのコメントが残されている。

 

 僕は混乱した。

 

 この子は男の子だけど女の子みたいな見た目をしている。つまり、おかま?

 そして、それを『いいな』と思った僕は男の人が好き?つまりゲイ?

 でも、『いいな』と思ったのはあくまで男の子だと知る前であり、女の子としてその子を『いいな』と思った?つまり普通?

 いや、普通とはなんだ?

 性別っていったい何なんだ?

 そもそも僕は、今までに恋愛的に人を好きになったことがない。たぶん。おそらく。

 そもそも『好き』って?

 僕が思った『いいな』とは何が違うの?

 友情との違いは?

 おかまって何?

 ゲイって何?

 普通って何?



 アラームの音で目が覚める。

 そして、眠りについたのは結局明け方だったことを思い出す。


 金属バットってこんなに重かったっけ?と思いつつバッターボックスに立つ。

 今日の体育の授業、男子は野球、女子は……バレーボールだった気がする。

 そんなことを考えているうちに三振。ベンチに向かって歩く。

 そこでふと、昨晩の画像が頭に浮かぶ。

 きれいな肌に、少し厚い胸板。それを覆うセーラー服。

 本当に男とはにわかに信じがたい。

 それに対して僕が感じた気持ちは何だったんだろう。

 あれ?地面が傾いて……?

 「秋山!大丈夫か!」

 先生の声が聞こえた。



 かち、かち……。

 時計の針は一日の後半に差し掛かっていた。

 あ、そうか。倒れたのか。

 昔から体が強い方ではなかったが、倒れたのは何年ぶりだろう。

 それほど、疲れていたのか。

 

 ぐるぅ。

 そうだ、教室に戻って着替えたら弁当食べなきゃ。

 あれ、隣のベッドに誰かいる?

 自分のベッドのカーテンを開けると、隣にもカーテンがかかっていた。

 先生はいないみたいだけど、勝手に帰ってもいいよな。

 かかっていた布団から足を出し、ベッドから降りようとする。

 床に足を付けると、足がもつれた。

 あ。

 僕の体は隣のカーテンを巻き取りながら倒れこむ。

 倒れる瞬間、お隣さんの顔が見える。

 あれ、昨日の……、バサッ。

 お隣さんのお腹の上に倒れこむ。


 「あ、秋山くん、起きたんだ。」

 「あ、どうも、碓氷さん。」

 「あ、こちらこそ?」


 「あ、ごめん。」

 僕は体勢を立て直す。

 「あ、碓氷さんも体育で?」

 「あ……うん、そんなとこ。」


 気まずい。

 

 「じゃあ、僕はこれで。」

 はっとする。

 あれ、そういえば昨晩のあの人が着てたセーラー服って、うちの?

 なんで昨日は気が付かなかったんだろう。

 

 「あの……、いや。」

 訊こうとしたが、そんなはずはない。

 なぜならあの投稿は男の人のものだったじゃないか。


 「秋山くんどうしたの?」

 「いや、碓氷さんって女の子だよねーって……あはは、冗談冗談……。」

 あれ?なんで余計なこと聞いてるんだろう?

 さっさと教室に帰ろう。

 そのはずだったが、碓氷さんの表情がきりっと変わった。

 碓氷さんは帰ろうとした僕の腕をつかんで引っ張った。

 僕はされるがままベッドに引き寄せられ、碓氷さんに覆いかぶさった。

 「ねぇ、秋山くん」

 「は、はい?」

 「どこまで知ってるの?」

 問い詰めてくる碓氷さんは氷のように冷たい表情だった。

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