なぜか皆から愛されて大公爵の養女になった話~転移TSから幸せになるまで~『オロレアの民 ~その古代種は奇跡を持つ~』

稲山 裕

(1) 第一章 一、奇跡(一)


 気が付くと、見覚えのない場所に仰向けで倒れていた。


 なぜか体は動かない。首だけは少し横に傾けられるのと、視線もなんとか動く。


 目がぼやけているせいで、景色は霞がかったようにしか映らない。が、こんな場所には居なかったはずだ。





 どこかの平野……と言われたら信じてしまうような広い場所。建物らしき形は見えず、そして人の気配も感じない。


 状況が理解出来ない上に、視界だけでなく頭もぼんやりとして考えがまとまらない。





(オレは……たしか、明日から旅行で……家に帰っていた)


 街の中だった。仕事を終わらせた夜の、帰り道だったはずだ。


 それなのに今は太陽の光を感じるし、風も少し吹いている。間違いなく外に居て、かなり開けた場所のようだ。





(ここは一体、どこだ? どうやってここに来たんだ?)


 翌日からの旅行に備えて酒も飲んでいなかった。社会人生活も二年と少しを過ぎ、有給を取って連休にしたのだ。計画した一人旅のために、家に帰ったら荷物の再確認をして寝るつもりだった。





(これが、直近の記憶のはずだ)


 間違いないはずなのに、その記憶はもう少し前の記憶に思える。帰宅していたのは、もっと何日か前だと感じるくらいには、時間が経っているような感覚だ。旅行に来ているのかとも考えたが、帰宅中から先の記憶が一切無い。いや……。





「……ル……ァ……」


 思うように声が出なかった。「車に撥ねられたような」と、言いたかったのだが。


 そうだ。会社の社長に勧められた旅行だったが、その計画を立てていて、それなりに少し浮かれて歩いていた。そこに、後ろに何か違和感を覚えて振り向いて――そう、ワゴン車が見えた――避けようのない速度で迫っていた。





 ……撥ねられたのか。だが、不思議と痛みなどは感じない。全身とても重いが痛みはない。


 あの速度で撥ねられたのならば、即死か、良くて長期入院コースだっただろう。ならば、全身麻酔から目が覚めたのか……と言うには無理がある。


 ここは外なのだ。


 白い天井などではなく、ぼやけた視界でも分かるほどに、雲ひとつ無さそうな青色が広がっている。

 しかも、何ならそよぐ風が気持ち良い。横目にうっすらと見えるのは、草原地帯のようだ。





 これは、とりあえず状況を整理しなくてはならない。仕事帰りに酒など飲んでいなかった。おそらくは事故に巻き込まれたはずなのに、今オレは、動けずに草原らしき場所に倒れている。





 根本的な所から思い出してみよう。名前に住所、生年月日。昨日?の日付。


(メザワ……ユヅキ……住所は……記憶にモヤが掛かっていて分からない。一九……何年だ? 七月八日生まれ……)





    **



 ――ユヅキは両親に愛されなかった。




 元々冷静で、突発的な事に対する対応力に優れていた。子供とは思えない落ち着きが災いしたのか、両親は子供らしさのないユヅキを嫌うようになった。




 当たり散らしても落ち着いたままじっと見つめてくるユヅキを、両親は気味の悪いものとして扱うようになった。両親からの八つ当たりはどんどんエスカレートし、小学四年生の時に、父方の祖父が見るに見かねて引き取った。





 祖父は道場を持つ武術の達人。その後は祖父に育てられ、武術も叩き込まれた。


祖父も不器用な所があるせいか、ユズキは情だけではなく哀れみも感じ取れてしまい、無償の愛情というものを知らない。





 そのせいか、引き取られてからの高学年の間は粗暴で、非常に好戦的な性格になっていた。だが、祖父に性根を正されて、中学に上がる頃には他者を気遣えるようになった。短気な所は残ってはいたが、厳しい鍛錬のお陰か感情を抑える術を身につけ、ケンカなどはしなかった。





 高校に上がる頃にはかなり落ち着いた性格に戻っていたが、逆に、世を儚んだような目をする事が増えていった。それというのも、友達の家族関係を見た時に、『なぜ自分は親から愛情を受けられなかったのだろうか』という、何とも悲しい気持ちになる事が増えたせいだった。





 いつしか祖父の道場で、死ぬことを恐れないような危険な技を使うようになった。そのため、祖父から武術の使い方で咎められる事が増えていた。


 とはいえ、そのギリギリの攻防を繰り返す中で技術が磨かれた面もあり、高校卒業の頃には師範代を務められるほどの腕前になった。祖父は何も言わなくなったが、ごくたまに悲しい哀れみの目を向けられる事が、ユヅキには苦痛だった。





 なぜそのような目を向けられるのか理解できなかったので、教えられた秘伝などを懸命に練習したが、哀れみの目は無くならなかった。ただ、情があっての哀れみである事は理解していたし、普段は厳しくも優しい祖父を慕っていて、唯一の家族だと思っていた。





 しかし、そんな祖父も、ユヅキが十九歳になる頃に老衰で亡くなり、彼は心の支えを失ってしまった。高校卒業後は就職したお陰で生活の心配は無かったが、生きていく事とは何なのかが分からなくなった。というよりも、そこに疑問を持つようになってしまった。





 その後は、どこか無気力なまま過ごしていた。そんな彼を、見るに見かねた会社の社長から、気分転換でもしてこいと言われて旅行の計画を立てた。


ユズキが事故に巻き込まれたのは、その旅行の前日だった。





     **



(昨日は……金曜で、何日だっけ。おいおい、意外と思い出せないぞ。関東。そうだ、関東の……) 


 頭にモヤが掛かったように、ほとんど思い出せない。ざっくりとした日常的な事は浮かぶのに、自分の事が分からない。





 ――いや、もういい。とりあえずは、場所の確認だ。外に居るという事は、体は無事なのだろう。痛みも特に感じていない。


 街ではなく平野ということは、なぜか移動をしていて、遠くに来ているという事だ。





(撥ねられたかもしれない記憶は夢なのか? そもそもが、記憶に無いままどこにどうやって来たと言うんだ)


 どうにも、考えがまとまらない。支離滅裂なような気がするし、やはりほとんど何も思い出せない。





 仮に北海道のど真ん中だとすると、早くこの場所から移動しない事には、数日以内に水が無くて死んでしまう。


(今は涼しいくらいだが、夜はどうなる? 冷え込むなら火が必要だ。キャンプもろくにしたことが無いのに、どうやって火をおこすんだ? ライター……いや、鞄はどこだ。鞄だ。タバコなんて吸わないくせに、ジッポだけ持っていたはずだし、飲みかけの水も持っていた)





「う……」


 体が、重い。


 鞄を探したくて体を起こそうにも、力が籠らない。まどろんでいる時の、どうしようもなく起きられない感じに近いが、それよりも体に現実味が無い。意識が指先まで届かない。全てがゴムか何かの物体のようだ。





(目が覚めてから、なぜか体を起こそうと思えなかったのは、こういうことか。動きたくても動けないじゃないか)


 目は、少し見えてきたようでピントが合う瞬間がある。もどかしいが、さっきまでのようなぼやけっぱなしよりはマシだ。





 そういえば、耳も聞こえが悪いような気がする。ほとんど出せない声だが、かなりくぐもって聞こえていた。


 風を感じているということは、触覚はどこかで感じている……顔と頭だ。体はほとんど何も感じていないが、顔と髪の毛を撫でる風は感じている。臭いは……分からない。





 五感が、あまり機能していない。


(この状態で一人、平野で倒れているって、どういう状況なんだ?)


 もしかするとオレはさらわれて、遠くに捨てられたというのだろうか。ならば、痛みを感じられないほどの重傷を負っている可能性がある。





 大して有能ではない頭をフル回転させ、状況を考えれば考えるほど、何も出来ない現状に苛立ちと焦りを感じる。


「……あィ、お、ェイ、ぁぃ」


 何もできない。と、せめて泣き言くらい言いたかったが、それもままならない。そしてやはり、声はくぐもって聞こえる。





(どうにもならないな)と、少し諦め……それでも現実を受け止めつつ、右腕を動かす事に集中していた。


 腕はふわふわと揺れて、あまり言う事を聞かない動きだが、ゆっくりならば動かせるようになってきた。


(どうだ! オレはまだ諦めきってはいないぞ!)





 先ずは、頭を触る。この体の状態が、重傷からきているのだとしたら、頭部に何かしらの負傷があるはずだ。出血もあるだろう。幸い、頭の触覚は割とはっきりしているのだから、血でも付いていれば分かるはずだ。ねっとりと、もしくは固まった血に触れる感触があるだろう。





 しかし、無造作に頭を撫でる感触しかなく、出血の痕は無さそうだった。痛みも特に無い。


(失血死は、しなさそうだろうか)


 目覚めてから、どのくらいの時間が経っただろう。見えていた太陽は、地平に傾いていた。





 せめて体が動けばと、意識を腕に集中し、足に集中し、体幹をねじろうともしてみた。


 その甲斐があってか、少しずつ、体は言う事を聞くようになってきている。


 日が暮れる前に何とか動けるようにならなければ、ともすれば野たれ死んでしまう。





 もぞもぞと動き続けて、ようやく四つん這いになる事が出来た。どうやらどこにも、負傷している所は無さそうだった。


(ワゴンに撥ねられたわけではないのか……?)





 目も、それなりに見えるようになった。見渡せる限りに目を凝らしたが、一縷の望みであった鞄は、やはり見当たらなかった。絶望するほど何もない平野だ。かなり遠くの方には森や高そうな山が見えるが、建物は見当たらない。街道が割と近くにあるのが見えただけだった。





 もしかすれば近くに町がある。ただ、このまま動けずに水を確保できなければ、確実に数日後に死ぬ。目が覚めてから、数時間は経過しているのに誰も通らないこの道が、町からどの程度離れているのかは、今は考えたくない。





(陽の傾きが気になるな……)


 あと三時間もしないうちに、夜になってしまうだろう。


 四つん這いのまま、体の重みを感じながら徐々に力が籠るのを待つ。


 無駄に疲れないよう、全身に意識を巡らせ、体の重心を伸ばしきった腕に上手く乗せる。オレが唯一、人に自慢できるとしたら、ガキの頃から叩き込まれた武術と、それに伴う身体操作だ。この動かない体でも、なんとか四つん這いにまでなれたのはそのお陰だろう。





 という喜びは、馴染みのない重みを胸部に感じた事で消え去ったが。……感覚がゆっくりと戻ってきている中、胸部に不思議な重さを感じている事に気付いてしまった。


(あ?)


 そこには、ありえないものが付いていた。頭を垂らし、なんとか視線を胸元にやると……あるのだ。





 ――胸が。


(いや、そりゃ胸はあるんだが、オレに付いていないはずの形状をしてるんだよ)


 手に収まる程度の、丸く柔らかそうな白い脂肪が。


(何がどうなっている?)





 よくよく見みれば、手も小さく、指は細く、腕もひょろひょろだ。


(こんな腕……オレの腕じゃねぇ)


 あの鍛え上げた腕はどこに行った?


 ありえない現実にショックを受けた瞬間――動悸がして、目が回り、激しい頭痛で頭が割れそうになる。





「ぅぉおえぇぇ!」


 突然、胃が激しく痙攣し、その場に吐いてしまった。


(これは、夢なのか)


 やけに現実味のある、嫌な夢だ。





 意識が遠のく感じがするが、このまま倒れたら……吐瀉物に顔を埋める事になるし、何より、やっとの思いで四つん這いになれたのだ。ズキンズキンと聞こえる程の猛烈な頭痛に抗いながら、最後の気力を振り絞り、なんとか後ろに這う。


(この上ゲロまみれなんて、御免だ――)





    **



 ――夢、なのか。


「いいえ、これは夢ではありません。現実ですよ」


 男の声だ。声のする方に目をやると、そこにはやけに気配の薄い、顔の見えない男が立っていた。逆光が邪魔だと思ったが、それ以上は眩しいような気がして目を閉じた。





「すみませんが、あなたには転移していただいて、その土地で暮らしてほしいのです」


 転移……。


「これは多次元や時空などを完全に理解した者が到達できる転移技術でして。ああすみません、わたくし科学者ですのでご安心ください。それで、あなたのゴーストを私の生まれ故郷の星に移させて欲しいのです」





 ……頭がぼんやりとしていて、その早口の内容がよく分からない。


「と言っても、あなたに拒否する術はないので、心苦しくも強制という形になってしまうのですが」


 何を、言ってるんだ。





「おお、話を聞いていただけますか。ありがとうございます。わたくしが苦労に苦労を重ねて数千年。そしてこの千載一遇のチャンスに、あなたという今までで最高の素体が現れたこの奇跡! 絶対に逃すわけにはいかないのです。申し訳ない気持ちも多少はあるのですが、そうも言っていられないと言いますか」


 一方的過ぎる。





「ええ、ええ。分かっております。こちらとしても、これ以上ないタイミングと申しますか、恐らくは生存していただける状況と環境であると確信しておりますので」


 話に理解が及ばない。





「これまでは、転移に耐えられる方がいらっしゃらず、またタイミングも合わせるとなると中々難易度が高くてですね。無理矢理移させていただいた方も居たのですが、やはりゴーストが定着せずに数分で亡くなってしまうという状況だったのですが……あなたという最高の、ああ、とにかく時間がありませんので、一刻も早く移させていただきますね。説明は可能であれば追ってご連絡いたしますので。ご武運を祈ります――ポチっと」


 ――祈られても。意味が――





     **



(転移……)


 転移という言葉が、頭に浮かんだ。今、『死んでからの記憶』が唐突に蘇った。


 移された……。





(星?)


『故郷の星』と、言っていた。


 ――意識が戻ると、幸いにも吐瀉物に顔面ダイブすることは避けられていた。





 なんとか後退あとずさり出来ていたようで、祈りのポーズのような姿でうずくまっていた。


 先程の動機や頭痛は消えていて、『ここ』に居るという出来事の顛末を思い出した。数日分経過していると感じていたあの感覚の元凶だ。飛んでいた記憶が今、繋がった。





 つまりこれは、夢じゃないのか。


(ゴーストを、移す?)


 死んだのか?


 魂を移したという事か?


 この体に?


 ――この細い腕に、小さい手に。


 胸があった。





(……性別が、違うじゃないか)


 オレの体は……やはり、撥ねられて死んでしまったのか。体ごと転移したのではなく、ゴーストとやらをこの体に……。





 しかしそれならば、なおさら危機的状況にある。今どんな容姿をしているのかは分からないが、変な男に見つかった時点で終わる。


 何とかもう一度体を起こし、四つん這いの姿に戻る。うずくまったままでは、足がしびれてしまうからだ。ただでさえ動かないのに、しびれは致命的だ。





(いや、星……地球ではなく、星が違うのか?)


 となると、どんな世界かも分からない。どんな文明であるのかも。


 他の星に移動できるレベルなら、凄まじい科学力だ。しかし……勝手なイメージだが、そこまで進んだ文明を持つ世界のように感じない。





 なぜなら、近くに見える街道がどうにもさびれているのだ。石やレンガで舗装されている所もあるが、土が踏み固められただけのような所もかなりある。


(もっと全てが整備されていてもおかしくないのでは……)





 それとも、都市と田舎では相当な落差があるのだろうか。


 だが、今はそんな事を考えている場合ではない。


 正直なところ人の助けが欲しいが、見つかっても危険なのかもしれない。助けを求められるだけの、相手の人格や民度があるのだろうかと。





 体がここまでどうにもならない上に、あの鍛えた体ではなく、華奢な女の身なのだ。ただでさえ今は、何をされても抵抗できないというのに。


(蹂躙されるまでがセットになっているなんて、思ってもみなかった)


こんなさびれた街道だ。偶然女性が通りかかるよりも、男が通りかかる可能性の方が高い。





 得体の知れない恐怖が湧き上がり、正常な判断も考えも出来なくなるような不安が膨らんだ。


(最悪の事態ばかりが思い浮かぶ)


 もう一度、頭を整理しなくてはいけない。





    **



 全てが現実であると仮定して、経緯を辿ろう。


 あの日、仕事の帰宅中に、事故で死んだ。


 そして、あの逆光のまぶしい場所で、科学者を名乗る男に、『ゴーストを転移』させられた。





(説明は、可能ならば追ってする?)


 どういう理屈なのか分からない事は、全てスルーしておこう。


 転移は、華奢な女性の中に行われて、今のオレは女の姿で……。





(やっぱり、現実を受け止めきれない)


 いや、これはやはり夢なのではないだろうか。ここまで現実じみた夢は見た事がないが……。


(違う、そうじゃない)


 今現在、体は動かず、水もなく、日も暮れようとしている。





 素性の知れない男に見つかるのはまずい。


(そういえば、野生動物は、生態系はどうなっているんだ?)


 野犬のような獣がいるのだとしたら、それもまずい。夜行性の肉食獣がいたら、やはり終わりだ。火を起こす術も道具もない。苦労してもう一度四つん這いになり、何度も、しつこく何度も周りを見渡したが、鞄も何も、荷物を何一つ持っていない。





(……考えられる最大の不幸は、何だろうか)


 蹂躙されて拉致された場合、生きてはいけるのかもしれない。何よりも絶対に耐えられないが。それとも用が済んだら殺されるのだろうか。


(野犬に生きたまま食われるのも、相当きつそうだ)





 無事に町に辿り着けるような展開は、普通に考えて無さそうではある。


(動けない時点で……詰んでるんだよなぁ)


 後は、運を天に任せて、善良な人に助けてもらえる事を祈るしかない。


 自力でどうにかは、体が動かない以上はできそうにない。





(今夜を耐えられれば、明日には体がもっと動くだろうか)


 それでも、この華奢な身では出来る事が限られてしまう。元の鍛えられた体とは決定的に違うのだ。


 そもそも、この状態から一晩で回復するのかも定かではないという不安は、心が削られる。





(……いや、待てよ? あの男は、生存できる状況だか環境だかと言っていたか)


 今の状況は最悪だが、環境的には大丈夫なのだろうか。


(例えば、野犬のような肉食獣は近くにいない。とか、善良な市民しかいない。とか……)


 しかし、平和な日本でも悪漢は居るし、山なら熊も出る。





(楽観なんて出来ないな……)


 命に危険が差し迫り、それを打開する手立てが無いとなると、ネガティブにしか考えられないようだ。


(せめて体さえ、元のままなら……)





 あのような事故で簡単に失われた事も、心に穴を開けている。


(案外、殺意のない車の突進ってのは、分からないものなんだな)


 殺意さえあれば、真後ろからであっても察知出来るし、避けられない距離に迫る前に回避出来ただろう。居眠りかわき見か、攻撃性が無くて気付けなかった。





(言い訳をするなら、旅行に浮かれてたから……なんてなぁ)


 と言った所で、終わってしまった事は覆らない。察知出来なかったのだし、そして回避出来ずに車に撥ねられて死んだのだ。





(あっけないもんだな)


 ――死んでしまった事も、転移させられた事も、女になってしまった事も、まさしく刻々と死に直面している事も、何も受け入れたくない気持ちでいっぱいになっていた。





    **



 なんだかんだで、一番ショックなのは自分が事故で死んだ事のようだった。


 理解できない現状の中でも、『後ろから猛突進してきた車に撥ねられた』というのは、確かな記憶と共に現実感を持っていた。何ならば、今では激突した瞬間まで思い出せるのだ。そしてそれが、余計に自分を傷つけていた。





 昨日? までは、事故でさえ何とか回避できるだろうという驕りがあった。そのくらいにはキツイ鍛錬に耐えて、若くして師範代となれるだけの強さや身体能力を誇っていた。


(まぁ、それこそが驕りだったんだよなぁ)


 ――気付きが自分の死でもって。という、なんとも手痛い教えではあったが……本当に、自分は事故で死んでしまったのだ。





 ……こんな事を、空が赤く染まり始めるまでうじうじと考えていた。もう何度も同じことを考え続けている。体もあまり動かないままで、四つん這いから立ち上がろうとしては諦め、そして事故の事を思い返していた。


(この体も、何なんだ。理解が及ぶとかってレベルじゃねぇよ……)


 やはりこれは、死後の世界というものだろうか……いや、死んだ後だから合っているのか。





(だとしても、女の体にさせられるとは……)


 苦し紛れに何度か体をまさぐってみたが、無いはずのものがあるし有るはずのものが無かった。余計に苦い思いをしただけだったが、今はこれが現実なのだと、ゆっくりと受け入れるしかなかった。





(頭がおかしくなりそうだ)


 逆光の空間に居たあの男は、何者なのか。彼の言っていた事が、脳に焼き付いているかのように今は鮮明に思い出せる。





『これ以上ないタイミングと申しますか、恐らくは生存していただける状況と環境であると確信しておりますので』という言葉。もはや、これに賭けるしか無い状態だし、どこか諦めの境地に至っていた。


(もうどうにでもしてくれ……って、ちょっとだけ思っちまった)





    **



 赤焼けの明るい空から、ほのかに暗い色へと変化しだした。


(薄明か、あと数十分で真っ暗になるな……)


 太陽が地平線より沈んでもしばらくは空を照らしていて、その光が地表も少し照らしているという、暗いがまだ少し明るい。そんな状態の事だ。以前どこかで聞きかじった知識だったか。





(少し、冷えてきた)


 日が落ち、辺りの空気は冷たさをどこからか運ぶようになった。吹く風はもう、心地よいとは思えなかった。


(以前の体ならば問題ない程度だが……)


 今の体は、この気温に耐えられるだろうか。すでに、風が吹くたびに肌寒さで体が小さく震えるのだ。夜間や明け方は、もっとしっかり寒いのかもしれない。あまり良くない状況だ。


(やっぱり詰んでるじゃないか……)





 全てを諦めたわけでは無かったし、重く動かない体も、おそらくは立つくらいなら出来そうな目途は立っていた。

 自分の姿かたちには諦めの境地ではあっても、どうしても、命を諦める気持ちにはなれなかったのだ。


 モヤモヤうじうじとしている間も、体を動かそうとし続けていた。汗ばむくらいには。

 それでも空気が冷たいと感じるのだから、凍死はしなくても寒さで十分に眠れないだろう。体力の低下は、次の日の生存率を大きく下げてしまう。





(せめて、街道に出なければ)


 自力で街道に沿って移動する、などとは思っていない。しかし、一縷の望みで救助を求めようにも、街道に出ていなければ望みさえ無くなるのだ。





 仮に人が通り掛かったとしても、今の薄明かりでは街道に居なければ見落とされるだろう。

 夜になればなおさらだ。


 助けを求めるには、どうしても街道には居なくてはならないのだ。


 声が出ればその限りでも無かったが、かすれた声が漏れる程度では、気付いてもらえる可能性が低い。


 それに、このだだっ広い場所を、徒歩で移動している酔狂な人間はほぼ居ないだろう。

 となると、何かしらの車なり何なりに乗っているはずだ。道の脇に倒れている人間など、気付かないか見捨てていくに違いない。





(もうちょいなんだけどな)


 四つん這いで、這っては休み這っては休み、ようやく街道まで後少しの所まで進んでいた。


 かといって、倒れ込んでしまっては車に轢かれるかもしれない。


(二度も撥ねられたくないしな)


 四つん這いでも悪くはないが、なるべくなら立っていたい。


(車が通れば、だけど)





 半日は経っているはずだが、気絶していた間を除けば、誰一人として通行していない。


 どちらにせよ望みは薄いが、可能性のある方に賭けるしかない。

 ならば、『街道に居る』一択だろうと思った。


 可能ならば、車が通るタイミングで立ち上がりたい。問題は、夜間もずっと待機するのか、眠って朝からにするのかだが、答えは決まっていた。


(偶然通りかかるという、淡い期待にすがるしかない)





 これだけ何も通行せず、こちらの体力もいつまで持つか分からない状況下では、今夜に賭けるしかないと踏んだのだった。この体はきっと、朝まで持たない。


 あの男の言を真に受けるつもりは無いし、水も無い状況で明日も同じ事が出来るとは思えない。汗も少しかいている。脱水と冷えと疲労のせいで、体が震え始めている。





(そもそも、この体が『いつから飲まず食わずでここに居たのか』が分からないんだよ)


 もうすでに、意識の不安定さも感じていた。うたた寝などではなく、意識が一瞬飛ぶようになってしまっている。


 このありえない状況になって半日が過ぎ、緊張も疲労も、限界などとうに超えているのだ。

 元の体でもキツい状況を、この動かない華奢な体でどこまでも耐えられるはずがないと、覚悟を決めていた。



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