第47話 再始動~究極の二択 伍

「一度は中止になった男色本出版ですが、出版の再契約を結びましてございます。そして、売り上げを、すべて大奥に入れたいと考えております」


 叶が驚いたように言う。


「どういうことですか? 新規商品停止例しんきしょうひんていしれいで、好色本の出版はできなくなっているはず」

「はい。ですので、私家版しかばんで出すことにしたのです。私家版であれば幕府の手が入ることはありませぬし、わたくしの個人契約である以上、表向きも、奥向きも関係ありませぬ」

「個人契約とは? 小説を書いたわけでもない高遠殿がこれ以上出版に関わることは余りに危険では……」


 御年寄のなかで唯一、作者が高遠だと気づいていない中野が忠告する言葉を投げかけた。

 叶には初っぱな、筆跡でバレていたし、塩沢に根回しをしてもらったが、他は無表情を武器に『契約代行者』の仮面を被っていた。嗅ぎ回っていた金崎はどこかで気づいただろうが、人が善いというか、鈍いところがある中野は最後まで騙されてくれたようだ。


「中野殿。小説の作者はわたくしなのでございます」

「――な? あ、あの男色本の作者が高遠殿……?!」

「隠し立ていたしたこと申し訳ございませぬ。大奥を乱すことのないように、知る人間を絞る必要があったのです」


 中野は、いやなんとと驚きを隠せないでいる。

 そこへ塩沢が、高遠の真意を測ろうというように問うた。


「なぜ。なぜ、そこまでして出版にこだわるのじゃ。たいした金にならぬ上に、金崎に二の舞になってもおかしくないのだぞ。もはや沢渡主殿頭は正気ではない。お前まで失えば今度こそ大奥は終わる」


 高遠は全員を見渡し、スッと息を吸って両手を突き、力を声にこめるように答えた。


「いいえ、塩沢さま。大奥は終わりなどいたしませぬ。終わらせないために選んだのでございます。――大奥は春日局かすがのつぼねさまが築き、永きにわたって受け継がれてきた太平の世を続かせるための代え難き場。

 決して沢渡主殿頭に支配されるべき場所ではございませぬ。いかに沢渡主殿頭が正気を失っていたとて上様がご健在である以上、大奥を取り潰すことなどできませぬ。そんなことをすれば無事では済まない。

 大奥が表向きに対して持つ力を計れぬほど愚かな男ではございませぬ。でなければ金崎殿を切り、大奥の力を削ごうとするはかりごとなど考えませぬ」


「――確かに……そうではあるかもしれぬが、高遠よ。再び主殿頭が動けばお前を守ってやることができぬかもしれないのだぞ。そのことはわかっておるのか?」


 塩沢の声音は厳しい。

 甘い考えで物事が動くことはないと誰よりも知っているからだ。だかこその大奥総取締役である。そして、甘い考えで動いているのではないと塩沢を納得できなければ自分は御年寄から退いて当然だ。


 だが、この賭けに勝つことができれば、高遠家の長女として恥じない生き方が、大奥の秩序を守る御年寄、『鉄面皮の高遠』として堂々と生きていくことができる。


「わかっているつもりです。ですが本が売れれば、沢渡主殿頭はわたくしになど構っておけなくなるでしょう」

「どういうことじゃ」

「沢渡主殿頭がもっとも嫌う倹約の規律が乱れるからです。それも、江戸を巻き込む形で」

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