第4話 大奥は金欠です~絶望 壱

 憂鬱ゆううつな気持ちで隣に座る。

 しばらくの沈黙の後、金崎がからかうような声音で話しかけてきた。


「お小夜の方さまも、お八重の方さまも相変わらずでありますなぁ。高遠殿も気が休まらないでしょう」


 ――助けに入るつもりもなかったくせに。


 高遠は苦々しい思いを隠しつつチクリと返す。


「いいえ、これしきのことは大したことではございません。それより高みの見物は楽しゅうございましたか?」

「まさか。高遠殿の邪魔をするまいと思ってのことですよ。これから新しい御中臈おちゅうろう――名は、おはなさまでしたか。も加わることですし、お互い気苦労が絶えませんな」


 ――あなたがそうしたくせに。ほんっと迷惑なのですぞ!?


 と、改めて腹が立ってしまう。

 いつも他人事でいられるよう情が薄く冷たい態度を取る。

 故に『我かんせず者』と呼ばれている。


 したたかな蛇のような目に居丈高いけだかを象徴するような筋張った高い鼻。

 薄い唇には濃い紅が引かれ細い顎と筋が目立つ首筋は険のキツさを際立たせている。

 高遠より二歳年上の三十七歳だが痩せ気味のせいで、もっと年上に見える。そして大奥の倹約について反対派だ。

 金崎が思い出したというように口を開く。


「そういえば部屋方へやかた商人あきんどから聞いたそうですが、江戸市中えどしちゅうでは呉服店ごくふたな鼈甲問屋べっこうどんやなど華美なものを扱った店には奉行所の手が入り、言うことに従わなかった主らが手鎖百日てくさりひゃくにちの刑を受けて自宅謹慎となったそうですな。御公儀ごこうぎも倹約に必死ですこと」


 未だに自分だけは別という物言いだ。

 つい高遠は反論してしまう。


「それだけではありませぬ。あの感応寺かんのうじをも破却はきゃくしたのですぞ。倹約を甘く見てはならないという警告かと思いまするが」


 感応寺は御三家ごさんけ御三卿ごさんきょう、大名旗本から大奥の女中衆が参拝する格式高い寺だ。それを破壊したのは、


『贅沢をすれば権門けんもんに繋がるものでもこうなる』


 と、いう幕府側の見せしめだ。

 その効果は絶大で民は首をすくめるように暮らしている。

 金崎はチラと高遠を見やり、言う。


「大奥が御公儀ごこうぎにとらわれすぎるのはどうかと思いまする。大奥は上様をお慰めする場所で、華やかであることこそ本来の姿。沢渡主殿頭さわたりとものかみはそのことをお忘れになっておられる」

「しかし、大奥も危機管理を持つべき事案と考えまするが」

質素倹約しっそけんやくなど下々しもじもが守るべきこと。わたくしたちは、大奥がつつがなくあるように務めればよいのです」


 話を聞く気がない人になにを言っても無駄だ。

 高遠は小さくため息を吐き、それきり黙り込んだ。


 嫌な気持ちで仕事を終わらせ部屋に戻った。

 こんな日は夕餉を食べて原稿に向かうのが一番だ。

 部屋方へやかたかすみに、「茶を煎れてくれ」と頼み、脇息きょうそくにもたれかかった。

 実に疲れる一日だった。

 しかし、改めて危機感を抱くのは『大奥だけは別』という金崎の考え方だった。


 ――質素倹約しっそけんやくは現在も大奥を追い込んでいる。金使いを改めなければ、もっと痛いしっぺ返しがくるように思えてならないのだが――。


「高遠さま。どうぞ」


 思慮しりょがかき消され、運ばれた茶に口を付け、喉を潤した。


かすみ。変わったことはなかったな?」

「はい。特にございません。間違えられた届本の回収も済んでおります」

「届本……」


 呟いた瞬間、ゾワッと背中が総毛立った。

 急いで隣部屋のへ入り、文机の横に置いた綴本とじぼんを探した。――が、


「――ない……」


 推敲すいこうしようと出しっぱなしにしていた九冊は消えていた。机の下や左右を見てもまっさらな畳があるだけだ。

 膝の力が抜けてへなへなと座り込む。


 ――どうして箪笥たんすにしまわなかった――……!


 本の行く末に明るい未来などない。

 むしろ人生の終わりに手を掛けたようなものだ。回収した本のなかに無関係な題名の本があれば当然中身を改められる。そして問題になる。


 なって当然だ。なにせバッチリ濡れ場のある男色本なのだ。

 大奥の風紀に関わる一大事。間違いなく塩沢しおざわに連絡がゆき、目を通されることになるだろう。

 脳内にゴーンと寺の鐘が鳴る。


 ――終わった……。高遠あかね、ここに散る。独身、三十五歳。大奥を出てから勤め先はあるだろうか――。


 霞たち部屋方へやかた四名が次々に、


「ご気分がすぐれないのですか?」

奥医師おくいしを呼びましょうか?」


 と、声をかけてくる。

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