第59話 乱心と動く壁

「乱心したか、グァバレア卿っ……!」


 ハーヴォルド辺境伯が玉座から立ち上がり、伯爵に向かって叫んだ。


「黙れ、反逆者どもめがっ……! 儂が手ずからその首を刎ねてやるっ……!」


 フーッ、フーッと荒い呼吸を繰り返す伯爵は、完全に常軌を逸している。

 領主の間で剣を抜くなんて言い逃れのできない犯罪行為だし、まして騎士を斬りつけるなんて、領主に対する反逆に他ならない。

 この場で切り殺されても文句は言えない行為だ。


「もう言い逃れはできないぞ、グァバレア伯爵……無駄な抵抗はやめろっ!」


 一番近くにいたリナを背後に庇いながら、俺も叫ぶ。

 それを聞いた伯爵はぎょろりと血走った目で俺を見た。


「無駄な抵抗……だと?」


 数人の騎士に取り囲まれながらも、奴はニヤリと口元を歪めた。

 こんな状況になって、まだ何か打つ手があるっていうのか……?


「これでも……これでも無駄だと言えるか? 若造おおおおおおっ!!」


 奴が叫ぶと同時に、その身に纏った紫のガウンの隙間から僅かな光が瞬いたのが見えた。


 あれは――スキルエフェクトだっ……!


 正体不明のスキルの発動に、俺も、奴を取り囲んでいた騎士たちも身構えた。


 はたして何が出てくるのか、あるいは何が起こるのか。場合によっては即死級の攻撃もあり得ると警戒したものの――あれ、何も起こらない?


 一瞬、気を緩めそうになったけど……いや、違う!


「動けない……っ!? これはっ……!」


 ダグラスと同じ、《鎧化》だ!!


 けど、なぜ? 奴は俺に触れるどころか、手が届く位置にすらいない。

 それなのにどうして全身の衣類が《鎧化》してるんだ……!?


 その時、ふとその場にいる俺以外の全員が、同じく一歩も動くことができずに固まっていることに気がついた。

 みんな、その表情には焦りの色が浮かんでいる。


 まさか……!


「ダグラスと違って、直接触れなくても《鎧化》できるのか……? それも複数の相手を、同時に……」


 俺の問いには、伯爵自らが答えた。


「あんな出来損ないと一緒にするなっ……! 儂は布同士が触れてさえいれば《鎧化》できるのだ……!」


 布同士が触れていれば……?


「儂ひとりではこの場の全員には敵わないだろうと、油断したなっ……? 貴様ら全員を誅殺し、陛下には儂から事情を説明してやろう……ぐふふっ」


 伯爵は周囲にいる全員をじろりと見まわしながら、絨毯から足を離さないようにずりずりと靴底を引きずるようにして、こちらへ近づいて来た。


 そういうことか……!


 奴の《鎧化》は奴の靴、そしてこの部屋の床を覆う絨毯を通じて、俺たちの衣類に伝播しているんだ……!


 もしかしたら奴のあの歩き方も、こうしたスキルの使い方をする上でついた癖なのかもしれない。


 いや、今はそんなことを考えてる場合じゃない。

 このままだとこの場にいる全員が、口封じのため殺されてしまう……!


 伯爵は俺の方に歩いてくる――と思いきや、その進路は少し横にずれていた。

 その狂気に染まった視線の先にいるのは――ミナだ。


「…………」


 ミナもそのことに気づいているんだろう。


 彼女には《武器作成》があるけど、体勢が悪かった。

 手を胸に当てるような姿で固まっているミナでは、例えナイフなんかを作ったとしても、投げて攻撃することすらままならない。


 抵抗することができないミナの姿に、伯爵は下卑た笑いを強めた。


「ここにいる者は全員、我が剣にかかるだろう……それは決まっている。決まっているが……やはり最初は貴様でなくてはな……ミナティリア嬢」


 奴はじり、じりと、歩みを進めて行く。

 まるでミナの恐怖を煽るために、わざとゆっくり足を動かしているみたいだ。


「いやはや……貴様には失望したぞ? 儂の大恩に報いるどころか、領主まで抱き込んで儂を陥れようとはな……。飼い犬に手を噛まれるとはまさにこのことだ……! 貴様はなで斬りにして、裏切りに見合う苦痛をくれてやらんとな……どうだ? 恐ろしいか?」

「……何言ってるのよ。あんたはこれまでやってきたことの、当然の報いを受けるだけだわっ!」


 動けないにも拘わらず、ミナは怯むことなく言い返す。

 けどそんな彼女の行いも、伯爵の嗜虐心を煽るだけみたいだ。奴は舌なめずりしながら「つれないことを言うな……」と荒い息を吐き出す。


「まるで他人事のように言ってくれるな。貴様、まさか自分には何の罪もないとでも思っているのか……?」

「…………」

「忘れたわけではあるまい? 貴様の手、貴様の身体、貴様の魂がどれほど汚れているか……んん? 忘れたわけではあるまいっ……!」


 ミナが黙っているのをいいことに、伯爵は調子づいて声を張り上げた。

 けどすぐ違和感に気づいたみたいだ。


 ミナは恐怖に震えても、不安に苛まれてもいない。ただただ侮蔑と怒りをもって、奴を睨みつけてるだけだということに。


「――何勝手なこと言ってるんだ……」


 俺は何も言わないミナのに代わって声を上げた。上げずにはいられなかった。

 奴は怪訝そうに俺の方へ首を回す。


「お前が、何も知らない子供に領主の責任を押し付けて、自分の思い通りに使っていただけだろっ……! もし彼女が汚れてると思ってるなら、それはミナ自身じゃない、お前の罪によってだっ!!」

「な、んだと……?」


 怒号にも似た俺の叫びに、奴は怯んだような表情を見せた。

 そんな奴に、ミナが冷たく言い放つ。


「……いつだったか、『友人が私の正体を知ったらどう思うか』って訊いたわね……? これがその答えよ」


 彼女の瞳には、もう絶対に奴には屈さないという強い意志が満ちている。


「もちろん、私に何の罪もないとは思ってないわ。この手を汚して、あんたの言いなりになっていたのは事実。……でも私の仲間は、私の過去を知っても受け入れてくれた……一緒に償いの道を歩むと言ってくれたっ……! お生憎様ね。そんな仲間がついてるのに、あんたのことなんか怖がるワケないでしょっ!!」


 ミナの啖呵に、伯爵がギリっと奥歯を噛み締めたのが分かった。


 何だかんだ言いつつ、奴はミナに執着してる。今でもまだ、自分の思い通りに動き、思い通りに泣いたり恐怖したりする道具だと思っている。


 その彼女に正面切って反抗されて、思い通りにならないことに憤りを感じているのだ。


 宝剣を握る奴の手に、力が込められた。


「……いいだろう。それほど信じ合い、絆を深めた仲間だというなら――目の前でその仲間が無惨に散る様を、とくと眺めているがいいわっ!!!!」


 そう叫んだ奴の目が、俺の方を向く。


 上手くいった。奴のターゲットが俺に切り替わったんだ。ミナを狙われるより、ずっとやりやすい。


 伯爵はずるずる歩きながら、手にした宝剣を真上に振りかぶった。

 と言っても手首に力が入り過ぎで、握りも雑だ。このまま振り下ろしたら、間違いなく腕を痛めてしまうだろう。

 スキルは確かに強力だけど、ダグラスと違って伯爵自身に武術の心得はまったくないらしい。


 とは言え、動けない人間を斬りつけるだけなら、力いっぱい剣を振り下ろすだけでもこと足りる。

 それでも俺に焦りは一切なかった。


 ミナも焦るようなことはなく、俺を心配する素振りもない。


 当たり前だ。


「くたばれ若造が……!!!!」


 伯爵の剣が振り下ろされると同時。


「《壁作成》!!」


 念じた直後、俺と奴のあいだに一枚岩の壁が屹立する。

 ガギィン、と甲高い音を響かせ、奴の剣は壁によって弾かれた。


「ぐっ――!?」


 奴の苦悶する声が聞こえる。恐らく、手首を痛めたんだろう。

 あんな適当な握りで硬い岩の壁を思いきり打ったりしたのだから、当然だ。


「くそ、何だこの壁は……っ!? 貴様のスキルか? くだらんっ!!」


 なんだと?


「こんな壁一枚で何ができるかっ! こんなもの回り込めブッ――――!!!?」


 その台詞を最後まで言い終わるより前に、伯爵は壁と衝突して強制的に口を閉ざされた。


 でも奴が壁にぶつかったワケじゃない。


 のだ。


 俺と伯爵のあいだに立つ壁。

 それが物凄い速さで奴に向かって動き出し、その身体を押し飛ばして、勢いを弱めることなくその肥満体を運んでいく。


 そして――


「ぶぎゅっ!?」


 領主謁見の間の壁際まで追いやられた奴は、そのまま二枚の壁に挟まれるように押し潰された。


 一拍の間を置いて、勢いで奴の手を離れ飛ばされていた宝剣が床を打つ音が響き渡る。


 その場にいる誰もが、目の前で起こったことに唖然としていた。


 まあそれも当然だろう。突然壁が動き出すなんて、誰が想像できただろうか。



《壁移動》。



 最初にその補助スキルの名前を見た時、俺はそれが壁面や壁上を自在に移動するスキルなんだと思っていた。


 だからフォルガドネの森でも、特に試したりすることはしなかった。


 その後、街の防衛戦で壁上や壁面を自在に動けたら有用だろう……と思い、試しにスキルを使ってみた時は、俺も度肝を抜かれたものだ。



 まさか、壁の方が動いてふっ飛んでいくなんて。



 壁に挟まれた奴から、弱々しい声が聞こえて来る。


「ば、かな……壁が、うごくなど……そんな非常識なことが……ある、か……」


 それなら、今日から常識に加えとけ。



 壁は、動く。

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