第58話 裏帳簿と陰謀の終わり

「これは……」


 俺が渡した帳簿をぱらぱらとめくるハーヴォルド伯爵から、疑問とも驚きともつかない声が漏れた。


「なんだ……その紙きれが何だというのだっ!」


 辺境伯は焦れたように叫ぶ。

 奴からしてみれば、勝利が確定した瞬間に投げ込まれた不確定要素。強気に見えるけど、その胸中はさぞ不安だろう。


 ハーヴォルド伯爵は帳簿から顔を上げ、騒ぎ立てる辺境伯をじろりと睨む。


「これは、アルドグラム製錬所の取引帳簿だ。これにはある顧客が製錬所へ持ち込んだ物品が記録されている」


 それを聞いた辺境伯は、ピタリと動きを止めた。その顔面は血の気が引いて蒼白になり、口からは声にならない音をぱくぱくと吐き出している。

 そんな辺境伯を他所に、ハーヴォルド伯爵は帳簿を閉じて、片手で高く掲げた。


「その顧客の名はドゥーラン・グァバレア。売買された品は様々な金財とされているが、いずれも第五層相当の品質となっている。グァバレア卿、これはどういうことですかな?」


 ハーヴォルド伯爵が訊いているのはもちろん、それだけの金をどうやって手に入れたのかということだ。

 辺境伯がこの街に持ち込んだ財産は、伯爵家に把握されている。奴がそれほど大量の金を第五層から持ち出していないことは分かっているのだ。


 持ち得るはずのない量の金を、辺境伯が製錬所に持ち込んでいた。

 その理由を説明できるのならしてみろ。そういうことだ。


「それは……、懇意にしている商会からの貢ぎ物だ……」

「では、その商会の名をお聞かせいただきたい」


 もちろん、そんな商会は存在しないのだから答えられるはずがない。

 辺境伯は「あやつ……裏切ったな……!」とぶつぶつ言っているけど、もはや議論の余地は無かった。


「出所を示せぬというなら、現状で最も信憑性が高いのはミナティリア嬢の主張だ。これらの金財はそなたの指示で、彼女が運んできたものということになりますが?」

「ぐっ……貴様……」


 とうとう、辺境伯はハーヴォルド伯爵を睨みつけた。

 だけどそんなことで追及の手が緩まったりはしない。


「そうであれば、彼女は持ち主に言われて荷物の運搬を行っただけということだ。それは何の罪にもならぬ。反対にそなたには密輸の容疑、虚偽告訴の容疑、そして……国家反逆の容疑がかかることになる」

「! 反逆だとっ……!!」


 辺境伯はショックを受けたように後ずさった。


「当然でありましょう? 先ほどウォル・クライマーが話した通り、ミナティリア嬢がそなたの指示で第五層に出入りしていたのであれば、それはそなたがということ。一体何故か……説明できますかな?」

「それは……」

「よもや彼女が魔獣に襲われ、ご自身の財産が野に散らばってもやむ無しと考えていた……などとは仰りますまい。そなたが金銀財宝に並々ならぬ執着を持っておられることは有名でしたからな。金貨を一枚メイドに盗まれたと騒ぎ、その者の首を刎ねるほどに」


 そんなことまでやっていたのか……。

 辺境伯の悪名は貴族社会でもかなり知れ渡っているらしい。


「もちろん、ウォル・クライマーが唱えた説をそのまま信じるわけではない。魔獣を操る存在など、俄かには信じがたいものですからな。しかし――彼の指摘するように、不自然な点がいくつもあるのは事実。であるなら……彼の仮説も可能性のひとつとして、考慮しないわけにはいきますまい。もし彼の言うことがただの世迷言だと主張するのであれば……もちろんその証明に協力していただけるのでしょうな、グァバレア卿?」


 ハーヴォルド伯爵のもの言いは静かだけど、有無を言わさぬ響きがあった。

 辺境伯は何も言い返すことができない。ただ怒りなのか、屈辱なのか、よく分からない感情に身体をぶるぶると震わせているのみだ。


 奴から何も反論が出てこなくなったのを見計らって、ハーヴォルド伯爵は周囲に控えていた騎士に目配せする。

 するとその騎士たちが辺境伯へと近づいて行った。


「この場で話すことがないのでしたら、卿にはご退場いただきたい。続きは別の場所でするとしましょう。この城の地下監獄にて」


 地下監獄。

 その単語を聞いた辺境伯はばっと顔を上げた。


「監獄だと……この儂を……? ふざけるなっ!!」


 辺境伯は自身を拘束しようと近づいて来た騎士を「儂に触れるんじゃないっ!」と威嚇すると、尊大な態度でハーヴォルド伯爵に向き直る。


「調子に乗るなよ、老いぼれめ。伯爵風情がこの儂を裁こうなどと、身分というものを弁えろっ……!!」


 もはや言ってることがめちゃくちゃだ。

 高い身分さえ持っていれば、何をやろうと罪には問われないとでも思ってるのだろうか?

 この場の誰もが、辺境伯の浅ましい姿と横暴な態度に、白い眼を向けている。


 だけど頭に血が上っている今の奴には、それが分からないらしい。


「……ああ、そなたにはまだお伝えしていませんでしたな」


 そんな辺境伯に冷や水を浴びせるかの如く、ハーヴォルド伯爵は椅子から腰を上げると、近くに控えていた騎士のひとりを呼んだ。

 騎士はすぐに応えて、伯爵の隣に並ぶ。よく見ると手には筒のようなものを持っていた。


 あれは――勅令書簡だ。


「陛下からの王命をお伝えする」


 ハーヴォルド伯爵が声高にそう宣言すると、騎士が巻かれていた勅令書簡をばっと広げ、その内容を正面に示す。


「ドゥーラン・グァバレア辺境伯はグァバレア領の失陥しっかんに伴い、その爵位を伯爵位へ降爵とする。代わってバドゥル・ハーヴォルド・グランヴェンシュタイン伯爵を辺境伯へと陞爵しょうしゃく最終防壁防衛官フロントライン・ガード・オフィサーに任とする」

「――なっ……に……?」


 勅令書簡の内容に、奴は血走った眼を驚きに染めた。

 それはつまるところ、ハーヴォルド家とグァバレア家の立場が入れ替わったことを告げるものだ。


 奴の前にいる初老の男性は辺境伯の地位となり、奴自身はになり下がった。


「儂が……格下げだと?」

「驚くことでもなかろう。元々、辺境伯の地位は最終防壁フロントラインを守る役目と共に賜るものだ。どういうわけか王都でが手続きを妨害していた故、私がその地位を得るのに二年近くもの歳月がかかってしまったがな」


 立場が入れ替わったためか、ハーヴォルド新辺境伯の言葉からは、先ほどまで僅かなりともあったグァバレア辺境伯……改め伯爵に対する遠慮や気遣いといったものが無くなっているように感じた。


 もはや奴はこの場を逃れることはできない。


 年貢の納め時だ。


 このまま、伯爵は騎士に連行され地下監獄へ――と思ったけど、奴は往生際悪く俺たち……俺とリナ、ムル、そして傍に立っているミナに、憎しみに染まった眼を向けて来た。


「貴様らの企てだなっ……! ハーヴォルドの老いぼれと結託してこの儂を陥れたつもりだろうが、そうはいかんぞ……」

「……何、言ってるんだ?」


 陥れるも何も、自分の悪行のツケが回って来ただけだろ。


「儂を投獄したとて、勝った気になどなるなよ。王都にはまだ儂の味方が大勢いる……いち地方領主が下した判断など容易く覆してくれるわっ……! そう、そうだ。それに……」


 伯爵は何か、とても愉快なことを思い出したかのように口元を歪めた。

 その視線はミナを捉えている。


「もし仮に……仮にだ。その小娘が儂の命で第五層へ出入りしていたとしても……上級冒険者でない者が無断で壁を越えた事実は変わらん。そやつは冒険者の資格を剥奪され、二度と獣侵領域には行けず、くたばった両親に会うこともできんということだっ!! どうだ? ぐふふっ……はぁーっはっはっはっはっ!!」


 そう吐いて捨て、奴は狂ったような高笑いを始めた。


 確かに、奴の言う通り。

 例え誰かの指示を受けていたとしても、ミナ自身の意思で壁を越えたことは事実。

 ルイナさんにも相談に乗ってもらったけど、それは冒険者の規約に反する違反行為だ。

 それを覆すためには、王都にあるギルド連盟斡旋所の本部へ赴いて、規約に背いたのは止むを得ない事情があったためだから処罰を免除してほしいと請願する必要があるらしい。

 ただし本部の判断は厳しく、規約違反の例外はほとんど認められることは無いそうだ。


 こちらとしても先送りにするしかなかった問題を持ち出され、ぐっと押し黙るしかない。


 伯爵は俺たちが何も反論できないと見るや、勝ち誇ったような態度をさらに強めた。


「どうだ……分かったか? この儂に勝ったつもりでいたなら、それは大きな間違いだ……貴様ごとき、道具風情が、持ち主に逆らうことの愚かしさが……分かったかっ!?」

「そなたはさっきから、何を言っておるのだ?」


 そんな伯爵を冷ややかな目で見降ろしながら、ハーヴォルド辺境伯が割って入る。

 呆れた様子を隠そうともしないハーヴォルド辺境伯の態度に、伯爵はニヤついた笑いを引っ込め、「……なに?」と辺境伯に向き直った。


「どういう意味だ、ハーヴォルド卿?」

「どういう意味も何も、先ほどそなた自身が言ったではないか。その娘はミナティリア・ナジェラーダ……『壁の守り人』の一族であり、故に『王の鍵』についても知っていたのだと」


 思い返せば、確かに伯爵はそう口にしていた。

 最初はミナがナジェラーダ家の人間だということを否定していたのに、俺の主張から自身を弁護するため、あっさりと覆してしまったのだ。


「……それが、どうした?」

「わからんか? 『壁の守り人』の一族であるなら、彼女は『王の壁』を管理する側の人間だ。管理者が己の判断で壁を越えたところで、何も問題はあるまい」

「! ……なん、だと?」


 伯爵は衝撃に固まった。


「私とて冒険者というわけではないが、前線基地オーバーフロンティアへの慰問のため、獣侵領域へ立ち入ったことは何度かある。……もっとも、は八年ものあいだ、一度も顔を見せたことがないという話だから、管理者であれば壁を超える権限を持つことを、知らなかったとしても無理はないがな」


 やれやれ、といった調子で首を振るハーヴォルド辺境伯。


「ああ、それと王都にいるそなたの味方とやらは、もうおらぬ。全員、不正な手続きでそなたを最終防壁防衛官フロントライン・ガード・オフィサーの任に留め置こうとした廉で更迭された。そなたを含め、王弟派もこれで終わりよ」

「なっ、なっ、なっ、なんっ……な?」


 ハーヴォルド辺境伯が口にしたことの意味は、残念ながら俺には分からなかった。

 けれど二の句が継げない伯爵の反応を見る限り、奴にとってよほど衝撃的で、なおかつ不都合なことだというのだけは分かる。


 とにかく、これでミナが冒険者資格を剥奪されることもなくなったということだ。


 助けてくれる仲間もいなくなり、今度こそ奴は完全に終わりだ。


 ハーヴォルド辺境伯も同じ意見だったんだろう。

 これ以上、奴につき合うつもりはないと言わんばかりに手で追い払うような仕草をみせると、騎士たちに「連れていけ」と命じる。


 伯爵の周囲に控えていた騎士たちが奴を取り囲み、今度こそその腕に手を駆けた――まさにその時。


「儂に……儂に、触れるなぁあああああああっ!!」


 突然、謁見の前全体に響き渡るような絶叫を上げる伯爵。

 次の瞬間には腰に下げていた宝剣を抜き放ち、あろうことか自分を捕えようとする騎士のひとりを斬りつけた。


 騎士は咄嗟の出来事に反応が遅れたものの、ろくに洗練されていない斬撃は鎧に弾かれ事なきを得たようだ。


 他の騎士たちも伯爵から距離をとり、各々の剣に手を掛ける。


「貴様ら――貴様ら、貴様らこそが国家反逆の徒だ……儂を陥れ、その権力を掠め取りたいだけの下賤な盗人どもっ……! この場で、儂自ら成敗してくれるわっ……!!」

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