第55話 勝利の実感と首飾り
「ウォルっ……ウォルっ! ウソでしょ……? ねえ、しっかりしてっ!!」
「ウォル様っ……!」
遠く。
それも厚い壁を隔てたようなところから聞こえるくらい微かに、ミナとムルが俺を呼ぶ声が聞こえた。
二人とも泣いてるみたいだ。
ああ……彼女たちを悲しませてしまった。
それが申し訳なくて、俺は暗闇の中に手を伸ばす。
ミナでも、ムルでもいい。
触れ合うことで、せめて二人の声が聞こえているよと伝えたくて――伸ばした手が、何か微妙に柔らかいものに触れた。
とても心地いい。
その手に触れる感触以外、もう痛みすら感じることは出来なかった。
既に全身の感覚がマヒしている――というワケではなさそうだ。
意識してみると手足には疲労の重たさを感じるし、口の中は砂まみれのじゃりじゃりで、鉄っぽい強烈な臭いが鼻を突く。
そして後頭部から肩にかけて誰かに抱き起されてる感覚も、はっきりと自覚できた。
っていうか――
「あれ、何ともない……?」
目を開けるとミナとムル、二人の泣き顔が視界いっぱいに入って来た。
ぼやけたりもせず、はっきり見えている。夢というワケでもなさそうだ。
自分で分かる限り、呼吸も正常。少し動悸が激しい気もするけど、心臓もしっかりと動いて全身に血を巡らせている。
俺は確かに、
全身の骨がバラバラになったような痛みもあったし、あの衝撃では内臓も無事では済まなかっただろう。
それなのに――どういうワケか、それらの怪我が嘘だったみたいに身体はまったくの正常だ。
一体なぜ……何が起こったんだ?
俺は自分の身体を確かめるように、伸ばした手にほんの少し力を込めた。
そして先ほども感じた微妙に柔らかい感触が、指に残っていることに気づく。
不思議に思って目で追うと――俺はまっすぐミナに向かって手を伸ばしていた。
彼女の薄い胸を、鷲掴みにしていたのだ。
「うわっ、ごめ――」
またミナに白い目で見られる。
そう思って咄嗟に謝罪を口にしようとしたけど、それより早く誰かが俺の首に抱き着いて来た。ミナだ。
たぶん俺の上体を抱き上げてたのも彼女だったんだろう。支えを失った俺は、押し倒されるように地面へと背中を打ち付ける。
「あなたはホントにっ……この馬鹿! 脅かすんじゃないわよっ……!!」
力いっぱい俺を抱きしめるミナの身体は、震えていた。
少し視線を移せば、ムルも安心したような笑顔を見せながら涙を拭っている。
彼女たちには本当に、心配をかけてしまったみたいだ。
「ごめん……でも大丈夫みたいだ」
俺は無意識に、ミナの背中に手を回して彼女のことを抱き返した。
それでもミナはしばらく泣き止むことがなく、俺はそのあいだずっと彼女の重みを――生きているという実感を、その身に感じ続けていたのだった。
やがて、やっと落ち着いて来たミナから解放され、俺が身体を起した頃。
「ウォル様……本当によかったです。あれが、ちゃんと守ってくれたんですね」
「あれ?」
ムルの言葉に疑問を返したその時、俺の胸元でパキッと何かに亀裂が入るような音がした。
「なんだ……?」
音の正体を追ってシャツの中を探ると、何か装飾品が首から下げられていたことに気づく。
引っ張り出すと、それはひび割れた緑の宝石がついた銀線細工の首飾りだった。
「これ、確か前にバナンで買ったやつだよね? 一度だけ負傷を肩代わりしてくれる『傷避け』って効果がついてたはず」
でもこの首飾りはムルに買って、彼女がつけていたもののはずだ。
それを何で俺が着けてるんだろう?
思い当たるフシは――
「あっ! もしかして夜中にムルが抱き着いて来た時……?」
そう尋ねると、ムルは恥ずかしそうに頷いた。
「ごめんなさい。きっと、直接渡そうとしてもウォル様は受け取ってくださらないと思ったので……こっそり着けさせていただきました」
なるほど。
突然身体をくっつけてくるなんてムルらしくないとは思ったけど、俺にこの首飾りを装備させようとていたのか……。
「こっそり着けたって……あなた、気がつかなかったの?」
ミナが「鈍すぎなのでは?」とでも言いたげに俺を見てくる。
正直、あの時は身体の前面に神経を集中させてたから、全然気がつかなかった。
「でもそっか……これを着けてたから、
代わりに、首飾りについた宝石は砕けてしまったみたいだけど。
でも十二分に役立ってくれた。
「ありがとう、ムル。おかげで助かったよ」
そう言いながら、俺はムルの頭を撫でた。
ムルは「照れてしまいます……」と肩をすくめながらも、嬉しそうな笑顔を見せてくれたのだった。
「それにしても――」
俺は近くに倒れていた
その姿は凄惨を極めていた。
全身至る所が血に塗れていて、蹄もひび割れ痛々しい。折れた牙や潰れた左の顔面はもとより、よく見ると残っていた右側の目玉までが飛び出しかけていた。
「最後、なんか急に
正直、それだけが腑に落ちない。
既に重傷を負わせていたとはいえ、あんな急に絶命するなんて、やっぱり変だ。
「二人は見てて、何か気づいた?」
問いかけると、ミナもムルも首をひねる。
「さあ……私にもよくわからないわね。あなたにぶつかった後、急にこう……ポンって
とミナ。
「それは私も見ました。膨らんだ身体の傷という傷から、一斉に血が噴き出していましたね」
とはムルの証言だ。
「身体が膨れ上がって、傷から血が噴き出した……?」
なんだろう。話を聞くと体内で何かが爆発でもしたみたいだ。
あの時、俺はまともにスキルを使えるような状態じゃなくて、《壁作成》の代わりに《壁消去》を使ってしまった。
空気の壁を作ろうとしたのに、逆に空気の壁を消去してしまったのだ。
結果として、一時的に奴の周囲にある空気が全部消えたから……もしかして、息ができなくなって死んだのだろうか?
でもそれだと、身体が膨れ上がったり、傷から血を噴いたり、まして血を吐いた理由が説明できない。
う~ん、まったく分からない。
「でもいいじゃないですか。勝ちは勝ち、コングラチュレーションですよ」
「うん、まあ、そうだね……ってうわっ!?」
急に後ろから声をかけられて驚いた。
振り向けば、そこにはクラルゥが立っている。ソフィア団長や
ちなみに、クラルゥは防衛における総指揮官なので、さすがに現場ではなく後方の臨時指揮所で全体に指示を送っていたはずだ。激流で魔獣を洗い流した後、すばやくグラミー団長たちを街の外に向かわせることができたのも、彼女の的確な指令のおかげである。
「おいやりやがったなウォル! こんな大物ひとりで仕留めるなんてようっ!!」
と言いながらスレインが背中をバンバン叩いてきた。
痛い。
「ひとりでじゃないよ。みんなの協力があったからだって!」
掌打から逃げるように身をよじりながら叫ぶ。実際その通りだから謙遜じゃない。
「それでも、素晴らしい戦果です。あなたが
ソフィア団長もそう俺を讃えてくれた。
彼女の言う通り、ひとりでも犠牲者の数を減らせたというなら、俺も
辺りを見回せば、街の外の魔獣は既にほとんどが掃討された後のようだった。
あちこちに横たわった死骸が転がっているけど、幸い見える範囲に人間の犠牲者は確認できない。
もちろん、壁上での戦闘を含めてまったく死者がいないワケじゃないけど、それでも戦果に対して圧倒的に被害が少ないのは間違いないだろう。
結果を見れば、無事街を守り切ったと言っていい。
そう、守り切ったのだ。
俺たちの勝ちだ。
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