第15話 少女の想いと壁との会話

 バナンの町。

 陽が暮れて薄暗くなる街の路地。


 ミナは今夜の寝床である宿に続く道を、とぼとぼと歩いていた。


 思い返すのはさっきの出来事だ。


 つい雰囲気に流されて、これまで誰にも明かしたことのなかった自分の過去を話した挙句、みっともなく泣きじゃくって、慰められるどころか施しまで受けた。


「あああああああっ! 恥ずかしいっ……!」


 顔から火がでそうだった。


 ただ痴態を見られただけならまだしも、自分を労わるように頭を撫でるあの男――ウォル・クライマーの手を、案外悪くないと――いや嬉しいとすら感じてしまった。


 それがまた恥ずかしい。


「落ち着くのよミナ。あいつは人のお尻に顔を擦り付ける変態なんだから」


 そう自分に言い聞かせて、なんとか平静を保っていた。



 宿に着くと、そこには言いつけ通り、既に帰っていたリナの姿があった。

 ベッドに腰かけ、足をぶらぶらさせている。


「おかえり、ねえさん。壁は越えられた?」

「え、ええ……おかげさまでね」

「ん、よかった」


 ぐっと両の拳を握るリナの姿に、挙動不審になりながらも合わせる。

 リナは満足したのか、ベッドに置いてあった紙袋を手に取ると、開けて中のものを取り出した。


 中サイズの黒パンに萎びた葉野菜とくず肉が挟まれたサンドイッチ。

 それを二つに割ると、大きい方をミナに差し出してくる。


「夕飯。今日は結構いいものが買えた。ミルクもある」


 テーブルの上には陶器の瓶が置いてあった。


 ただ、育ち盛りの少女二人が摂る食事としては、明らかに量が足りていない。

 そのためか、ミナもリナも年齢に比べると小柄で貧相な体格をしていた。


 防壁崩壊によって親を失った子供たちは、ミナたちを含めて数えきれないほど多い。

 そんな彼らに街や村の支援が十分に行き渡るはずもなく、結果としてそのほとんどは保護者のいない孤児となった。


 ミナたちの場合は少しがあってとある家に保護されていたけど、今はそこも追い出されてしまい、妹と二人でつつましい生活を送っている。


 孤児の行きつく先は、飢えや病に倒れるか、そうならないために盗みを働くか、はたまた誰でもなれる冒険者になるか、そのいずれかだ。


 死んだら両親には会えないし、盗みもしなくない。ミナが選んだのは冒険者になる道だった。実績を積んで上級冒険者になれば、最終防壁フロントラインを越えて両親を探しに行くこともできる。


 けど冒険者家業はその日暮らし。何とか日々を生きる糧を得るのが精いっぱいで、自らを鍛え、良い装備を手に入れて上級冒険者になるなんて、夢のまた夢だった。


 だから獣侵領域に挑もうともしない冒険者から、少しずつお金を頂戴するようになった。

 自分が上級冒険者になり、壁の向こうで巨神攻城兵ギガントノッカーを見つけて討伐に貢献できれば、それは回りまわって彼らのためにもなることなのだから……そう自分に言い訳をして。


 そうして得たお金はせめて言い訳通り、冒険者として必要になった時のために別にしてある。

 強力な防具や遠征の必需品の購入、そして――必要なら壁を越えるための賄賂となるように。


 だから、日々の暮らしは上向く気配がなかった。


 ミナは、リナが差し出さすサンドイッチの半分をそっと押し戻す。


「言ったでしょ? 私はダイエットしてるの。だからリナが大きい方を食べて」

「ねえさんはそんなことしなくても可愛い」

「いいから、ほら」


 何かを言いたげな妹を制して、そのほっそりした手から小さい方をさらう。


「…………うん」


 リナも大人しく頷くと、一緒にテーブルについて食事を始めた。


 冒険者は身体が資本。本当ならもっと栄養のある食事を摂って、身体を作っておく必要がある。特に、壁越えが許可される上級冒険者を目指しているならなおさらだ。


 でも、妹にはできる限りひもじい想いをさせたくない。


 父も母もいなくなって、唯一残された家族だけは――絶対に守りたい。




 食事を済ませた後はすぐに就寝する。

 起きていればその分お腹がすくし、蝋燭代もかかるからだ。


 隣ですぅすぅと寝息を立てる妹の頬をそっと撫でる。

 安い宿だ。部屋にベッドはひとつしかなく、姉妹はいつも一緒に寝ている。

 寝巻なんてないから、お互い裸である。


 獣侵領域に入って両親を探すという目的は、なにも自分のためばかりではない。


 リナは故郷を追われた時にはまだ小さく、そのことをあまりよく憶えてない。

 そんな彼女に、できれば故郷の景色を見せてあげたかった。でもさすがにそれは叶わない夢だ。


「だったら、せめて住んでた街に咲いてる花のひとつくらい、手に取らせてあげたいわね……」


 彼女が住んでいた街の周囲にはピアネラデスという固有の花が群生していた。

 春になると一面が赤とオレンジに染まる花畑に、よく両親と遊びに行ったものだ。


 リナにはそんな両親との思い出すらない。それをかわいそうだと思うこともある。

 でも、妹の思い出はこれから作ってくことができる。


 いつか故郷まで辿り着いた時、ピアネラデスの種でも持ち帰って、どこかにあの花畑を作ろう。

 そこで自分と一緒に駆け回る記憶が、妹の幸せな思い出になるように。


「そうと決まれば、花の育て方を調べておかないといけないわね」


 生憎と園芸なんてやったことはない。誰かに聞くか、それらしい本でも見つけて勉強しておかなければ。


 また出費がかさむけど……。


 今の暮らしぶりでは本を買うどころか、貸本屋に払うお金も捻出できない。


「そういえば――」


 ふと思い出して、枕元に置いたポーチに手を伸ばす。

 取り出したのはウォルにもらった財布だ。


「これは盗んだんじゃなくてもらったものだから、生活に使ってもいいのかしら……?」


 悩むところだ。どう使ったとしてもあの男が文句を言うとは思えないけれど――。


「って、何よコレ!?」


 財布の中を覗き込んだミナは、思わず大声をあげてしまう。

 隣でリナがうるさそうに身じろぎした。慌てて自分の口を押さえる。どうやら起こさずに済んだようだ。


 改めて、財布の中に目を落とす。


「あいつ……たいして入ってないって言ってたのに」


 財布の中には数枚の金貨と、大量の銀貨が詰まっていた。

 部屋には窓の戸板から漏れ入る僅かな月明りしかないのに、それでもはっきりわかるほどにきらきらと光っている。


 金貨一枚あれば、ミナたちの生活ならひと月は暮らせる額だ。

 銀貨の数は二十枚ほど。ちなみに銀貨は百枚前後で金貨一枚相当が相場である。

 あとは銅貨が少し。これが一番少ない。


 ミナの財布は常に銅貨が一番多いので、これには少々やるせない。


 あの変態、こちらが気を遣わないように謙遜したんだろうか。


「…………むかつく」


 何故かはわからないけど、その優しさを向けられるのは悔しいような、気恥ずかしいような気分だ。

 その上で、自分があいつの思い通りに喜んだり感謝したりしたら、それこそ負けた気がしてしまう。


 それに――

 ミナはちらりと、ベッド脇に置かれた鞄に視線を移す。


 小ぶりながら中にぎっしりと何かが詰めれていることが伺える鞄。

 それはミナにとって自分の罪の象徴が入っていた。


 その罪とは、冒険者たちから盗みを働いたことではない。

 それも悪いが、鞄の中身はもっと性質の悪い、自分が既に穢れた存在だと思い出させるものが詰まっている。


「あいつ、本当の私を知ったらどんな顔するのかな……?」


 あんなお人好しにすら、軽蔑されてしまうのだろうか。


 それは少し、悲しい気がする。


 嫌われるくらいなら、優しくされたくなんてない。


「決めたわ。リナには悪いけどこれは明日、あいつにそのまま突き返してやる」


 そう心に決めたミナは財布をポーチに戻すと、リナと向かい合って眠りについたのだった。




 そして翌朝。

 ミナはウォルの姿を探して宿屋の近くを歩いていた。


 彼がどこの宿をとっているのかはわからないけど、大抵の場合、町の宿屋は一カ所に集まるように建てられている。余所者は一カ所に纏めておいたほうが管理しやすいからだ。


 だから適当に付近を歩いていれば見つけられるだろうと考えて――実際、すぐに見つけることができた。


 見つけてしまった。


 見てしまった。


「……何やってるのかしら、あいつ」


 ミナがその姿を発見した時、ウォルは数件の宿――その建物を囲む壁によって袋小路になった道の先にいた。


「――それで、お金が無くなっちゃったから次の町に行く前に、何か依頼を受けなきゃなんだよ。え、昨日? ムルにもいくらか預けてあったからね。宿代と食事代はなんとかなったんだ」


 よく聞き取れないけど、どうやら誰かと話しているらしい。


 邪魔したら悪いし、出直したほうがいいかしら……?


 そう思って様子を窺うミナだったけど、奇妙なことに、話している相手の声は一切聞こえてこない。

 まるで、彼はその場にいない誰かと喋っているみたいだ。


「……どういうこと? 誰と話してるっていうの?」


 気になったミナさらに袋小路に接近する。

 けれど陰になっていたどん詰まりまでが視界に入ったのに――やはりそこには誰もいなかった。


 でもウォルは壁に向かって延々と喋り続けている。


 楽しそうに。


 これは、まさか。


「あはははっ、それは言いっこなしだよウォルロット。俺だって考え無しだったなって思ってるんだから。あーっウォルフレッド、君まで笑うなんてひどいじゃないか――」


 かっ


「壁と話してる――――――――っ!!!?」



 そのあまりの衝撃に、ミナは思わず建物の陰に身を潜めた。


 変な奴だと思ってはいたけど、一体あの男、何が面白くて返事もない壁と延々会話を繰り広げているのか。


「いや、聞いたことがあるわ……!」


 長いあいだ孤独に苛まれ続けた人間は、やがて周囲にあるものに人格があると思い込んでしまうらしい。

 それは人形だったり、ボールだったり、あるいはそこらへんの空気だったり。

 そうしたものを自分の友人だと認識して、あたかも相手から返事があるかのように会話したりする……らしい。


「あいつ……そんなことになるくらい寂しい生活を送っていたの……?」


 自分に優しくしてくれたのも、もしかしたら久しぶりに人と話したのが嬉しかったからなんだろうか?


 思えば、故郷を追われてからずっと、ミナの生活は苦しいものだった。

 でも自分にはリナがいてくれた。彼女のためを想えばどんなつらい出来事にも耐えられたし、ボロボロになって帰ってきても部屋で妹が出迎えてくれれば、それだけで何が起ころうとも頑張る力が湧いてくる。


「でも、あいつはずっとひとりぼっちだったのね――」


 つらい。

 もし自分が同じ境遇だったらと思うと涙が止まらなくなる。


 でもこれで得心がいった。

 昨日の常識ではありえない破廉恥な行為……あれも人との接し方が分からないが故の、不幸な事故だったのだ。


 きっと女の子どころか、同性の知り合いすらいないんだろう。

 もしかしたら女の子のお尻をみだりに触ってはダメだということさえ、教えてくれる相手がいなかったのかもしれない。


 もちろん、それですべてが許されるわけではないけど――


「あいつにはもう少しだけ優しくしてあげよう……」


 ミナはそっと目の端に溜まった涙を拭いた。

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