第13話 壁とお尻と路地裏の危機

「見つけたなら早く、穿かせなさい――よっ!」

「うごっ――!?」


 ズボンを脱がされ、大混乱に陥っていた少女――ミナは、無意識に振りぬいた靴の裏に奇妙な感触を覚えた。

 同時に、壁の裏に回った男の声にならない苦悶の声。


「えっ……?」


 それから一瞬の間を置いて――


「ひっ、にゃああああああぁ!?」


 ミナは自分のお尻に何か生暖かいものが押し付けられるのを感じて、思わず悲鳴をあげてしまう。


 しかも――しかも、何かに当たるんですけど!?


 おまけにそのから、規則的に風が吹き出て内股をくすぐる。


 これはまさか――


「あ、あなた……私のおシリに顔をうずめてるの――!?」


 な、な、な、なんてことを!!


「いやっ! ちょっとやめてっ! 離れてよ、この変態っ!!」


 何とか男を蹴りはがそうとするが、どうやら相手は脚と脚のあいだに入り込んでいるらしい。

 壁と身体のあいだにほとんど隙間もない体制では上手くいかなかった


「んっ……! やだっ……」


 それどころか抵抗するほど、動きに合わせて相手の鼻先が微妙な位置を撫でるように動く。


 見た目は温厚で誠実そうな男だったのに、動けない女の子にこんな真似するなんて――!!


 と、目の端に涙が浮かんできたが、そこでミナは相手の様子がおかしいことに気がづいた。

 さっきから顔を押し付けるばかりで、それ以外の――手で撫でたり、舌でなめたり――そういうことをする気配がまったくないのだ。


 そこで思い出されるのは、先ほど足の裏に感じた奇妙な感触と衝撃。


 まさかあいつ、気を失ってる――――!!?


「なんてバカな状況に――ひゃんっ……!」


 噴き出す息に敏感な肌を撫でられ、喘ぎ声が漏れる。


 まずい。

 いくら人通りの少ない路地裏とはいえ、絶対に誰も来ないワケではない。

 こんなところを誰かに見られたら、二度とこの町を――いや人のいるところを歩けなくなってしまう。


 かくなる上は、何とかしてこの男の目を覚まさせないと……!


 とミナが決意した、その時である。

 二人がいる路地裏に、誰かが石畳を歩く足音が近づいてきた。


「ウソでしょ……!?」


 足早に歩くその人物は、まっすぐこちらへ向かってくるようだ。


「ねぇ、起きてっ。起きてってば!」


 必死に壁の向こうの男へ呼びかけるが、反応はない。

 さっきの蹴りは、よくわからないけど、どこか急所のようなところを捉えてしまっていたらしい。鳩尾か顎にでも入ったのかもしれない。


 っていうか、もしそうなら、しゃがんでまじまじと見てたってこと――!?


 と男に対する怒りを燃やす。


 けどそうしているあいだに足音は近づき――



「ねえさん、やっと見つけた」

「リ、リナ!?」


 辻を曲がって姿を現したのは、ミナの妹、リナだった。

 ミナよりさらに小柄な身体にローブを纏い、彼女と同じ黒髪猫目。

 三つ編みにしたその神を手でいじりながら、眠たげな眼をミナに向けていた。


「今、ねえさんのにゃ~っ!ていう声が聞こえたから探してた……こんなところで何してるの?」


 とはもちろん、壁にはまったこの状況を尋ねているのだろう。

 普段からマイペースであまり物事に興味を示さない妹だが、さすがにこの状況は気になるらしい。


「何でもないのよ? ちょっと近道をしようとしたら壁にはまっちゃって……」

「……こっち、あいてる」


 と、壁のすぐ横を指さす。

 この壁は道のど真ん中にただ立ってるだけなので、誰が見ても回り込むのは簡単だ。


 今の言い訳はさすがに苦しかったか。


「そ、そう? 気づかなかったわ。あはは、すごく急いでたからね? んっ……!?」

「ねえさん、おバカ可愛い……」

「……あれ、何か言った?」

「なんでもない」


 そう言うとリナは壁を回り込んで背後に向かおうとした。

 ミナはその手をガシッと掴んで引き止める。


「待って、どこいくの?」

「手伝う。向こうからねえさんを押す。だめなら引っ張る」


 表情はあまり動かないが、「まかせて」とばかりに鼻を鳴らし、得意げな様子だ。


 珍しく行動的な妹の姿。普段なら嬉しいけど、何もこんな時じゃなくても!!


「だ、だだだだ大丈夫! 大丈夫だから!! リナは先に宿に戻ってて? ね?」

「でも、ねえさんは顔が真っ赤。もしかしたら病気かも? 一緒に戻って早く休もう」

「大丈夫! 大丈夫だからぁ!!」


 焦る気持ちと下半身への刺激で、ますます頬が上気していくのを感じる。

 もはや涙目で吐息も荒い。

 心配してくれる気持ちは有難いものの、妹の存在が余計に身体を熱くさせる原因になっているのだ。


「お姉ちゃんね、実はこの穴を潜り抜けるために今まで頑張ってきたの。ほら、どれくらいダイエットできたかの成果が今、試されてるのよ――」

「! いつもねえさんがあんまりご飯を食べないのは、このためだった?」

「そう! そうなの!」


 もはや自分でも何を言っているのかわからないくらい支離滅裂な説明。

 だけどリナはリナで何か得心がいったようだった。


「わかった、先に戻ってる。ねえさん、がんばって」

「うん、リナも気をつけて帰ってね。ぁんっ……!」


 背後にいる男が身じろぎしたため、思わず艶っぽい声が漏れてしまう。

 リナは僅かに首をかしげていたが、言いつけ通り宿屋の方へてくてくと歩き去っていった。


 危機は去った。耐えきった――。



□壁□壁□壁□壁□壁□



 ふと気づけば、顔全体が何かとても柔らかいものに包まれている感じがした。

 手を持ち上げてそれに触れる。ふわふわで、すべすべで、とても触り心地がいい感触が手のひらいっぱいに広がった。


 ああ、ずっとこのまま顔をうずめて寝ていたい――。


 と息を吸い込みながら頬ずりしたところで。


「うん、リナも気をつけて帰ってね。ぁんっ……!」


 妙に艶っぽい声が耳に届く。

 それをきっかけに、俺の意識は急速に現実へと引き戻されていった。


「――――ハっ!?」


 顔をあげる。

 視界いっぱいに映るのは、小ぶりながら形のいい、しっとり汗ばんだお尻だ。

 俺は両手でそのお尻を掴んでいて、たぶんさっきまで頬ずりしていたのもそれなんだろう。


 手のひらには温かな体温が伝わる。

 それが、目の前にあるのは現実の人間のお尻なのだということを物語っていた。


「うっわぁ!?」


 状況はまったく把握できなかったけど、本能的に手を放して後ろへと跳び退く。


 俺は確か……ひったくりの女の子を捕まえて、ズボンを脱がせて、股間に蹴りを受けて、そのまま気を失ったのかな?


 そして今、目を覚ました時の状況。これはまさか――


「はぁっ……はぁっ……気がついたかしら?」

「ひえっ」


 壁の向こうから息も絶え絶え、しかし恐ろしく冷たい声が響いた。


「もうお財布は取ったわね?」

「はい……」

「それじゃあいい加減、ズボンを穿かせてもらってもいいかしら?」

「ハイ……」


 俺は慎重に慎重を重ねて肌に手が触れないよう注意しながら落ちていたズボンを引き上げ、ポーチを少女の腰に戻した。


「あと、この壁もどかしてくれる?」


 少女を捕えていた壁を消去する。


 ゆらり、と立ち上がった彼女は非常に緩慢な動きでこちらを振り向く。


 どんな恐ろしい顔をしているのか……そう身構えていたけど、意外にもその表情はにっこり笑顔だった。


 俺は少しだけホッとする。


「さて、それじゃあ――……どうやって死にたい? そのくらい選ばせてあげる。そこに直りなさいこの変態ぃいいい!!」

「ですよねっ! ごめんなさああああああい!!」

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