第1話 壁になる決意と追放された失意

 俺、ウォル・クライマーは壁になることを目指す冒険者だ。




 俺の父親は冒険者だった。


 子供の頃、俺が住む町に魔獣の群れが押し寄せてきたことがある。


 市壁は立てた板を並べただけ。それほど大きくもない町には守衛ガードの戦士団なんてもちろん常駐していない。

 農夫、鍛冶師、大工、木こり……動ける男が総出で迎撃にあたったけど、そんな些細な抵抗なんての意味がないほど、魔獣の数は多かったそうだ。


 あっという間に町の中は魔獣であふれ、住民たちはここで一番頑丈な建物、すなわち教会に逃げ込んだ。


 その教会も取り囲まれ、分厚い木製の扉もそう時を置かずに破られてしまう。


 あわや教会の中は大惨事に……と思われたその時、盾をかまえた一人の男が入り口に陣取り、魔獣の侵入を押しとどめた。



 それが俺の父親だった。



 まだ三~四歳くらいだった俺は朧気にしか憶えていないけど、迫りくる魔獣を大盾で押し返し、牙を受けても爪を受けても怯むことなく、近隣の街から戦士団が救援に駆け付けるまで教会と住民を守り抜いた父親のうしろ姿はすごく大きくカッコ良くて――



 壁みたいだな、と思ったんだ。



 そんな父親の姿に憧れた俺は、いつか自分もあんなふうに皆を守れる壁になりたいと思って冒険者を志した。


 ある日突然「ぼく、壁になる!」と言い出した息子に、母親はずいぶん仰天したそうだ。

 でも幸いなことに反対はされなかった。


 残念ながら体格には恵まれなかった俺だけど、十歳の誕生日にスキル《壁作成》が発現する。

 これはその名の通り、周囲の岩や土などを素材にどこにでも壁を出現させるスキルだ。


 すごい! 夢が一気に現実へと近づいた瞬間だった。


 みんな「壁を作るだけのスキルなんて何の役に立つんだ?」ってバカにするけど、どんなスキルも使い方次第だ。


 魔獣の攻撃から自分や仲間を守るのにはもちろん、相手の視界を塞いで左右に回り込んだり、壁による高さを活かして攻撃に繋げたりと便利な使い方ができた。


 特に低レベルの内から格上の相手と戦うにあたっては非常に役に立った。


 十三歳になるのと同時に冒険者になった俺は、本来ならひとりでは勝てないような魔獣を、《壁作成》を使って比較的安全に倒していった。


 その結果、年齢のわりにはかなりの高レベルまで到達し、冒険者になってから一年足らずでなんと――当時結成されたばかりだった、聖剣に選ばれし勇者のパーティの一員にならないかと誘われる。


 俺は夢だった英雄かべに向かって、着実に歩みを進めていた。


 そのはずだったんだけど――



□壁□壁□壁□壁□壁□



「ウォル、君にはこのパーティを抜けてもらいたい」


 勇者と共に旅立って三年、いよいよ最終防壁フロントラインを越えるにあたって、その準備をするために立ち寄ったモルドガッドの街にある宿。


 その一室で白銀の鎧に身を包んだ金髪碧眼の美青年、勇者クライス・ストライダーはそう切り出した。


「え……パーティを抜けろって……どうして??」


 同じ室内には戦士ジオディン、魔法使いスティーナ、神聖術師マリン――俺を含めた勇者パーティのメンバー全員が揃っている。

 そして俺以外の全員がクライスの後ろに控えていて、鋭く射るような視線を俺に向けていた。


 なんで……なんで四人とも、まるで魔獣を見るような目で俺を見てるんだ……!?


 突然のパーティ追放宣告に、俺はただ目を丸くすることしかできない。


「どうしてって……言われないとわからないワケ?」


 小柄な身体にローブを纏った少女スティーナ・ラジェットが侮蔑するようなまなざしで質問を返す。彼女のこんな表情はこれまで見たことがない。

 幼馴染の彼女とは度々くだらないことで喧嘩もしてたけど、それだって仲がいいからこそのじゃれ合いみたいなものだと思ってた。


「まあまあスティーナ、案外自分のダメなところは自分自身ではわからないものですよ。ねぇジオディン?」


 純白の法衣に身を包んだマリン・トゥルーダー。彼女は普段から落ち着いた振る舞いで、仲間たちのお姉さん的な存在だった。

 他のメンバー共々、馬鹿な真似をして叱られることも多かったけど、それは彼女なりに俺や仲間のことを想ってくれている証拠だと感じられて、内緒だけど少し嬉しく思っていたものだ。

 でも今のマリンの言葉は、口調こそいつものままだけど言葉には俺を嘲る意思が乗っている。


「うむ。クライス、ここは変に焦らさずハッキリ突き付けてやった方がよかろう。こやつはもはや我々のパーティには必要のない存在なのだと」


 ジオディン・ガルドバルドは相変わらず武人然とした堅い物言いだ。

 賭場に連れてかれて素寒貧にされたり、朝まで酒に付き合わされてひどい二日酔いになったり、一日中を鍛錬の手伝いをさせられて全身筋肉痛になったりと、彼には散々な目に遭わされた。けど気の置けない仲間として扱ってくれているのが分かるから、嫌だと思ったことは一度もない。

 それなのに天井に迫るほどの巨体から俺を見下ろす瞳は、普段の豪快な彼からは想像できないほどの冷たさだった。


 みんな、クライスが聖剣に選ばれて勇者になり、旅を始めたその当時からずっと苦楽を共にしてきた仲間のはずだ。

 特に問題を起こしたことはないし、良好な信頼関係を築いていたはずなのに――


「必要ないってなんだよ。俺は……俺の《壁作成》はこれまでみんなを守ってきたじゃないか? それを――」


「ああ、『』はね」


 混乱しながらも口にした抗議をクライスが断ち切った。


「確かに、旅に出たばかりでレベルが低かったころの僕たちは君の《壁作成》に助けられたよ。まだ敵わないような格上の魔獣を倒すのにこれほど使い勝手のいいスキルも珍しいだろう」

「それなら!」

「しかし、だ。もう僕たちは駆け出しの冒険者じゃない。この三年間の旅でレベルも上がって、君の壁に頼らなくても戦えるだけの力をつけたんだ」

「となれば、壁を作るしか能がないアンタはもうお役御免ってワケ。ひとりだけ旅を始めた頃からたいしてレベルも上がってないし、戦力として必要とされてないのよ。わかった?」

「あなたがいなくなれば旅の費用もひとり分浮きますし、道中で受ける依頼の報酬も四人の方が取り分を多くできますしね。私たちにとってはいいことづくしです」

「何だよそれ……!」


 俺は意識せず拳を強く握りしめた。

 あまりに身勝手な彼らの言い分に怒りが湧いてくる。


 けど今言われたように、俺には「壁を作るしか能がない」というのもまた、否定しがたい事実だった。


 もちろん俺も冒険者のはしくれ。魔獣と戦う力にはそれなりに覚えがある。


 しかし剣の腕はクライスに敵わず、力はジオディンに敵わず、スティーナのように魔法を使うことも、マリンのように神聖術で仲間を助けることもできない。


 さらにこの三年間は壁による補助に徹していたので、旅を始めた頃は仲間の中で最も高かったレベルも、今や全員に追い抜かれて――置いてかれていた。


 そしてその《壁作成》も――


「大体、そなたの壁も今般の強力な魔物が相手ではさして役に立っておらぬだろう」


 ジオディンの容赦ない一言が俺を貫いた。


 そうなんだ。


 仲間たちが強くなるにつれ、相手にする魔獣もまた強力なものが増えていく。

 日々強さを増す相手に対し、俺が作る壁はしだいに有効なものとは言えなくなっていた。


 防御のために壁を出しても数回の攻撃で破壊されてしまうようになり、そうなれば身を隠す手段としても心許ない。

 高所という優位な位置を取るのに役立っていたことも、今や軽々と壁より高く跳躍するクライスやジオディンには関係ないだろう。


 その上、これから向かう最終防壁フロントラインを越えた先で待つのは、今とは比べ物にならないほどに凶悪な魔獣たち。


 もはやこのパーティに俺は必要じゃない……そう言われると言い返す言葉に詰まる。


 ただそれは戦いにおいての話であって、《壁作成》にはほかにも様々な使い道がある。


 そう訴えたかったけど――


「……わかったよ」


 決して納得したわけじゃなかった。


 でも、まるで用済みになった道具を捨てるような彼らの態度に、俺は深く失望していた。


 そんな彼らに懇願してまでパーティに残してもらうなんて、あんまりにも惨めじゃないか!


 それに「お前は必要ない」とはっきり言われたんだ。

 残りたいとゴネるのは自分のことしか考えていないということ。


 それでは俺を切り捨てた目の前の彼らとおんなじだ!


「今まで世話になったね。今日中にこの街からも出ていくよ。もう……もうこれきり会うこともないだろうね」


 俺を追い出したこと、後悔するなよ。


 感情のそうまま叫びたくなるけど、どうにかこらえた。


 俺は部屋の隅に置いてあった荷ほどきもしていない鞄を手に取る。


 そして、人差し指にはめていた指輪を取り外した。


 銀のリングに赤い宝石が輝くそれは、シスターリング――この勇者パーティの、仲間の証だ。


 俺はもう彼らの仲間じゃない。


 手の中の指輪を一瞬だけ見つめ、ほんの少しだけためらいを挟む。


 勇者パーティの一員になって、みんなでこの指輪を作った時の胸の高鳴り。


 未知なる冒険への期待と、英雄に近づける実感にワクワクしていた気持ちは、今でも鮮明に思い出せる。


 仲間との絆であると同時に、俺の夢の象徴だった指輪。


 俺はぐっと目を閉じて気持ちを押さえつけると、指輪をクライスに差し出した。


 しかし意外なことに、クライスは手のひらをこちらに向け、


「いや、それは君が持っているといい。売ればいくらか生活の足しになるだろう」


 と受け取りを断った。


 パーティを追い出されれば資金面でも心許なくなる。俺にとっては願ってもない申し出だ。


 正直に言えば俺への気遣いというより、僅かばかりの手切れ金みたいに思えて腹が立つ。

 この施しと引き換えに文句を垂れるなよ。そう言われた気がした。


 でも背に腹は代えられない。


 俺は声にないような「そう」という音を喉から発して、指輪をふたたびはめると、足早に宿の部屋を立ち去った。

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