第11話導く光

 大吾の活躍を、若手の登壇を心から喜べない者がいた。

 大吾にオーナー案件でレギュラーを奪われかけた八谷原やたがいはじめである。


 彼は日本最速と謳われたフォワードであった。長髪を振り乱しながら走る姿は、元アルゼンチン代表のカニーヒアを彷彿とさせ、昔からのサッカー愛好家からの人気も高い。

 だが、足元の技術がおぼつかなく、抜け出してもゴールに結びつくことは少なかった。技術さえしっかりしていれば、彼は日本代表のユニフォームの袖に、一度は腕を通していたことだろう。


 岡山の街には愛着がある。

 岡山は、神奈川出身の自分を拾ってくれた唯一のサッカーチームであり、妻も二人の息子も馴染んでいる。子供が岡山弁をしゃべるようになったときは、八谷は初めは驚愕したが、それをもって自分の生涯を終える場所を見つけたとも感じた。


『どうしようもなく、岡山というチームと街が好きだ』


 今では誇りを持って言える。

 キャプテンは年下のユースからの生え抜きの利根だが、自分もチームの精神的支柱だという自負もある。


 33歳。実際、自慢のスピードにもかげりが見えていることに自分でも気付いていた。

 そのときに監督から申し付けられたのは、インサイドハーフへの転向であった。トップスピードは衰えたとはいえ、一瞬の加速はまだまだ。


『それでマークを引きはがし、数的優位を作れ』


 そう言われた。


 その気になり、インサイドハーフとしての技術を身に着けようとしていた。ちょうど向島真吾という逸材が出てきて、センターフォワードではやっていけなくなったところだ。

 基礎的な技術をこの歳で磨き直す。我ながら子供に帰った気分がする。


 そんな折、向島大吾という男が、ユースから昇格してきた。

 

『圧倒的な技術!!!』


 これほど後悔したことはないだろう。プロスポーツ選手において、もっとも大切な基礎技術で差を見せつけられたのだ。


 サッカー選手とは花火であると八谷は思っていた。

 毎年、作られる花火があるからこそ、サッカー界が燃え上がるのだ。

 派手に打ちあがる八尺玉や、地味ながらも愛好される線香花火。早く燃え尽きるものもいるし、長く燃えるものもいる。火が付き易いものもいれば、湿気しけって火そのものが付かないものもいる。

 しかし、向島大吾という男はどうしようもなく極上の花火・・・・・であった。火がついて炎と化した彼は遅かれ早かれ、自分を抜いてレギュラーを獲得するであろう。


『向島はいつかステップアップして、岡山を出て海外へ行くのはほぼ確定事項。そのあとにまた、レギュラーに戻れるかもしれない』


 八谷も一度は海外からのオファーが来た。だが、現実味を感じられずに日本に残る道を選んだ。選んだというより、向こうがオファーを取り消したからでもある。

 そのときの消極性が、今までの自分に火を付けてきた。

 今現在はどうだろう? 花火の火が消えたときが、その選手の引退の刻だ。自分の内なる炎は、もう燃え尽きたのであろうか?




 その月曜日は、サブ組はいつもと同じように練習があった。スタメン出場していたものは、月曜日は完全オフの日が多い。それだけで、自分が絶対的なレギュラーではなくなってきたと実感せざるを得ない。


「はぁ。これじゃサラリーマンと一緒だな……」


 ハンドルを触診するかのように、トントンと指で叩く。それだけでも自分がイライラしているのがわかる。


 何度目かの信号待ちを終えて、練習場の駐車場へと車を置いた。一番乗りのはずだ。


「ヘタクソは練習しなけりゃならんからな。だが、練習したところであの向島からレギュラーを奪い返せるかどうか……」


 弱気になる自分を発見した。心が折れかかっているのを感じる。もうここらが潮時というやつだろうか?


 グラウンドへ出ると、もうすでに練習しているやつがいるではないか! 貧弱で、今にも折れそうな陰鬱な影。


「む、向島……」


「八谷さん、おはようございます」


「お、おう。向島。早いんだな、俺が一番乗りだと思ったんだがな……」


「ええ、試合で自分の足りないところがわかって来たから。それを試したくて2時間前くらいからやってます」


(2時間!?)


 八谷は時間を確認した。今は午前8時だ。ということはこの若者は6時には練習をしていたことになる。


(部活の朝練かよ……)


 八谷の心を何とも言いがたいものが走る。


「おまえ、いつもそんなに早くからやってるのか」


「そうですね。目指すべき場所があるから……ちゃんと寝る時間はとってますから、遊んだりとかして睡眠を犠牲にするっていう馬鹿な真似はしていませんよ」


(この子はプロだ! 16歳年上であるはずの自分に、この意識が17歳当時あれば日本代表に入れたかもしれない……)


 八谷は激しく動揺し後悔する。

 実力だけで負けているのではない。

 意識からして負けているのだ。


「バロンドールを取ります、か……」


 2000年代初頭まで、それほど日本ではメジャーな賞ではなかった。2001年に受賞したマイケル・オーウェンも、受賞するまでその賞の存在を知らなかったくらいだ。


 最近では、バロンドール獲得を公言する若手選手が増えてきている。正直、口だけで『今週の目標』くらいにしか考えてないやつだとも思う。


 向島大吾は、内に秘めたる闘志を隠している。そう思う。

 普段は深刻ぶるのが好きな、張り詰めた雰囲気を感じさせる嫌なヤローだ。しかしながら、努力する人間を馬鹿にするほど八谷の性根は腐っていない。むしろ、嫌悪感が逆転して好感へと変わっていく。


大吾・・、おまえのその練習に明日から俺も混ぜてくれないか?」


「俺と八谷さんだったら、練習メニューが根本的に違いますよ?」


 口の減らないヤローである。自分には基礎練習がお似合いであるとでも言いたいのだろうか。


「でも、八谷さんのスピードが俺は欲しいです。走り方とか、ランニングフォームとかそういうのを教えて頂けたら……」


「そうか。実は、俺の走り方は、元陸上部の友達や体育大学の教授に指導してもらっている」


「そこまでやっているんですか?」


「プロで生き抜くためには、俺にはスピードしかなかったからな。おまえのような技術を身に着けるのは、もう無理だ。俺も、基礎技術を最低限若い頃から高めておくべきだった」


 八谷は深くため息をつく。彼は幼い頃は、野球とサッカーの二刀流であった。最初からどちらかへ絞って力を注いでいれば、いずれかで大成出来ていたやも知れない。


 大吾は八谷のため息の意図・・までには気付かない。八谷の人生を圧縮したため息なのだ。人生経験の薄い大吾にわかるはずもない。




「大吾、俺は負けないぞ。例えオーナーがおまえを使えと指示したにせよ、俺は自力でおまえからポジションを奪い返す」


「はい」


「でも子供たちは正直でな。サッカーをやっているんだが、『移動砲台』の真似をする。うちの子供はおまえのサインを貰って来てくれとうるさい。ポジションを争うライバルに言うには情けなさ過ぎるが、今日の練習が終わったら4枚色紙にサインをくれるか?」


「八谷さんとこ子供4人でしたっけ」


「馬鹿野郎! 俺と嫁の分も含めてだよ!」


 八谷は顔を背けて少し赤らめながら言った。




(ポジションを争う若い敵ライバルに塩を送り成長を促す。広いプロ・サッカーの世界で一人くらいそういう存在がいても良いだろう? うちの妻や子供、家族はわかってくれるさ……)


 八谷は自分のプロとしてのノウハウを大吾に教え、導く一条の光となることを自身のプロ最後の仕事にするよう決意したのだ。

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