第13話

 目が覚めると真っ白が視界を覆った。

 それが天井だと気付くのに、しばらくかかった。

 息をすると、胸が少し痛む。その痛覚が引き金となり、眠っていた身体の感覚が徐々に戻ってくる。「ん、ぁ」

 しかし、腰から下はいくら意識を向けても動かない。指先も、足も、膝も。麻痺しているような変な感覚である。

 起き上がろうとするが身体が重く、首しか上がらない。柵がついた幅の微妙なベッド。真横には棚とテレビ。消毒液とかすかなアンモニアの臭いがカーテンに閉ざされた小さな空間を漂っている。

 左腕からは半透明の管が点滴袋に向かって伸びている。

 ここは、病室の一角か。

 気を失っていたのか、単に眠っていただけなのかよくわからない。地面とお友達になってから、意識を失った。いや、意識を失う前に110番通報をしたのだったか。何しろ記憶が曖昧だ。通報した時に黒色セダンのナンバーを伝えられたのか。その先の自身の行動についても何一つとして自信はなかった。

「……」

 見た感じ、個室をあてがわれた訳ではなさそうだ。てっきりもっと物々しい機材に囲まれて目が覚めるものだと思っていたが、重症患者扱いではなさそうだ。

 これで先輩が無事ならもっと安心できるのに。

「おはよー」

 からり、とカーテンが開かれた。

 メッシュ柄のマッシュウルフ頭が目に飛び込んできて思わず二度見した。ついでに身体も反応して上半身がバネのようにしなる。痛みが駆け巡って「ってぇー」情けない声が喉から絞り出た。

「後輩よ。よく生きていたな。根性あるじゃんか」

「先輩こそ」

 よくご無事で、そう続けようとして躊躇った。

 先輩はよれよれのガウン姿で、心なしか弱って見える。考えれば、彼女はどういった経緯でこの病院に行き着いたのかよくわからない。結果はこうしてお互い生きて出会えたが、拉致された後あいつらに何をされたのか、いや、何かされたからこそこの病院にいるのだ。

「おいおい何だよ」

「せっ、先輩は、大丈夫でしたか?」

「大丈夫なわけねーだろ」

 答えるなり先輩はどしっとベッドに腰かけた。

「肋骨四本、いや、五本だったか? 後は経過観察で入院してんだ」

「骨を、そんな……」

「かくかくしかじか細かいことは後回しだ。間一髪貞操は守れたから安心しろよ。んなことよりお前はどうなんだよ」

「僕は、えっと」

 言い淀む。腰から下に意識を向けるも一向に感覚は戻らない。これは、ちょっと洒落にならないのではないか。

「下半身不随、車椅子生活、後遺障害……」

「ちょっと! そういうのやめてもらえます?」

 不穏すぎる。

「大丈夫。将来働けなくても私が養ってやる。心配すんなって」

「リハビリを続けて奇跡の社会復帰してやりますよ」

「無理無理。だってお前ひょろっちぃもん」

「むきー!」

 先輩はからからと何でもないように笑う。見たところその表情に陰はなく、なんとなく本当に「間一髪」助かったのだと安堵した。

 僕は息を深く吸い込む。

「先輩」

「何だ」

「パソコンはバキバキですし、僕の身体もしばらく使い物になりません」

「……」

 先輩は軽口を挟むことなく黙った。続きの言葉を待つように。勿論、僕も先輩の慰めや同情の言葉を期待なんかしていない。

「でも、執筆は諦めません」

 僕は、小説家になる。瀬良浩介や他の作家なんかが目じゃないくらいの。

 将来は大賞とか取り巻くって、デビュー作が名前代わりになるくらい有名になってやる。

「僕が一人前の作家になった時は……その時は、僕の隣にいてくれますか?」

 声は震えて、でも、視線は先輩からぶれることはない。先輩はこちらを見ずに宙を見上げ「うーん」と思案するように唸っていた。

 今度はこちらが答えを待つ番のようだ。

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