第4話 『甘えられる』

 休日。憂鬱な五日間の学校が終わり、一週間のうち二日だけ許された休みの日。

 いつもなら陸上部の練習で学校に出向かなければならないのだが、今日は顧問の先生の都合上休みになっている。


「久しぶりにちゃんと休めるなー。休みさいこー!」


 そんなわけで俺はリビングにあるソファに寝転がり、久しぶりの一日休みを満喫していた。

 平日じゃないため胡桃沢くるみざわの練習に付き合わなくてもいいし、すごく気が楽だ。

 …………と、思ったんだが。


 ――ブーブーブー、ブーブーブー。


 ソファー手前にあるテーブルの上に置いてあった俺のスマホから、突然着信音が鳴り始める。

 明沙陽は部活で、両親は仕事。なら部活の先輩からご飯の誘いだろうか、と思って寝転がったままスマホを取った。


「…………胡桃沢!?」


 スマホの画面に表示されているのは、部活の先輩の名前ではなく胡桃沢の名前だった。


「どうして胡桃沢が俺に電話してくるんだよ……」


 すごく嫌な予感がするが、無視するのはよくないためとりあえず電話に出ることに決める。


「……もしもし?」

『あ、もしもし飛鳥馬あすまくん? 今日部活休みだよね?』

「なんで知ってんだよ」

『陸上部の先輩から聞いた!』


 せんぱぁぁぁあああい!!!!!


「……なるほど。何か用?」

『うんっ。もし暇してたら今から会えないかなって思って』

「拒否権は?」

『ないよ』


 即答された。


「……わかった。いつものカフェでいい?」

『もちろんいいよ。じゃあ、私もういるから急いで来てね。じゃあね〜』


 …………なんでもういるんだよ。

 拒否権はないと言われた以上、行くしかない。

 俺は急いで出かける支度を始め、いつものカフェに走って向かったのだった。



 カフェに着くと、胡桃沢が言っていたのは本当だったようで既に四人がけのテーブル席に座ってカフェオレを飲んでいた。


「悪い、遅くなった」

「大丈夫だよー。急に呼び出してごめんね」

「それはいいけど……どうして急に?」

「もちろん練習するためだよ。早く座って」

「お、おう」


 今日は男子として女子にされて嬉しいこと『甘えられる』の練習をしたいらしい。

 俺は催促されて向かいの椅子に腰を掛けようとすると、胡桃沢が慌てた様子で待ったをかけた。


「……え、なに?」

「隣に座ってよ」

「…………は!? なんで隣なんだよ!?」

「いいから! 隣に座って!」


 そう言って胡桃沢は自分が座っている隣の椅子をポンポンと叩く。


「……はぁ、わかったよ」


 俺は言われるがまま胡桃沢の隣に座る。

 いつもは二人がけのテーブル席に向かい合って座っているが、今日四人がけのテーブル席に座っているのは俺を隣に座らせるためだったのか。


「なぁ胡桃沢、今日は『甘えられる』の練習なんだろ? 別にそれは『お家デート』の時でもいいんじゃないか?」

「じゃあ、今から飛鳥馬くんの家に行く?」

「……ごめん、それは無理」

「ならここで『甘えられる』の練習するしかないかな。まあ、『お家デート』の時にも甘えちゃうかもしれないけどね」

「じゃあ今日やらなくても……」

「なに?」

「なんでもありません!」


 反抗することは許されない。

 それは身をもって知っている。

 あと、最後まで付き合うって言っちゃったしな。


「……でもさ、外だと誰かに見られるだろ? 胡桃沢は恥ずかしくないのか?」

「んー、あんまり恥ずかしくないかも。あ、もしかして飛鳥馬くんは恥ずかしい感じ?」

「まあ……な。今まで女子と付き合ったことなんて一回もないし、甘えられたりイチャイチャしたりっていう経験ないからさ」

「やっぱり飛鳥馬くん可愛い〜♡」

「……うるせ」

「でもよかった」


 胡桃沢はホッと胸を撫で下ろす。

 なんでよかったと思うのか。何がよかったのかは分からない。

 だが俺としても『甘えられる』というのは初めての経験なため、胡桃沢で理性が崩壊しないように頑張ろうと心に決めた。


「じゃあ……」


 早速始めるようで、胡桃沢は距離をどんどん近づけてくる。そしてお互いの肩がぶつかり、密着したところで俺の左腕に自分の腕を絡めてきた。

 密着しているせいか、柑橘系の甘い匂いが鼻腔をくすぐる。


「ねぇねぇきょうくん」

「きょ、京くん!?!?」

「……少しの間だけ、京くんの優しさに甘えてもいい?」

「あ、ああ……す、少しだけな」


 俺の理性、もってくれぇぇぇえええ!!!


「ありがと。大好きだよ、京くん」


 そう言って、胡桃沢は俺の腕に自分の顔をスリスリと擦り付けてくる。


(な、な、なんだこれはぁぁぁあああ!!! 天国か!? 天国なのかここは!?)


「く、胡桃沢……? さすがにやりすぎだって……」

「……京くん、嫌だった?」


 顔をスリスリと擦り付けるのを止め、上目遣いで見てくる胡桃沢。

 頬は赤く染まり、生暖かい吐息が肌に伝わってくる。

 …………これ、ダメなやつや。


「…………嫌じゃない」

「よかった」


 胡桃沢は黄色いたんぽぽみたいな笑顔を見せ、再び俺の腕に自分の顔をスリスリと擦り付けてきた。

 頼むから理性、もってくれ……!


「京くんの匂い…………落ち着く」

「ばっ……! やめろ胡桃沢!」

「胡桃沢じゃなくて、実莉みのりって呼んで? 京くん」

「…………み、実莉、匂いを嗅ぐのはやめてくれ」

「やーだ」


 言うことを聞いたにもかかわらず、スンスンと匂いを嗅ぐのを止めない胡桃沢。

 このままだと本当に理性が崩壊してしまう。


「か、帰るっ! また月曜日に!」


 さすがにこれ以上やられると理性を保てる自信がないため、俺は強引に胡桃沢が絡めた腕を解く。

 そしてテーブルの上に置いてある自分のバッグを取り、逃げるように帰ろうとするが……。


「待って!」


 胡桃沢が俺に抱きついてきた。

 同時に背中に柔らかい感触がしたが、それがなんだったのかは考えないようにする。


「く、胡桃沢!?」

「調子に乗っちゃってごめんなさい。もう少しだけ……もう少しだけでいいから、お願い」


 今にでも泣きそうな顔で、上目遣いでお願いされる。

 こういうのには弱い。


「……わかった。あと少しだけな」

「……っ! ありがと」


 それから数時間、甘え続けられた。全然少しじゃなかった。

 もちろん、俺の理性が崩壊寸前までいったのは言うまでもない(本当に危なかった)。

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