第9話:第二夫人と主人




 とりあえずの指示が終わったのだろう。

 執事が応接室へと戻って来た。

「説明させていただきます」

 深々と頭を下げるその姿は、実年齢以上に老け込んで見えた。



 先程の女は子爵家の三女だそうで、マリアンヌが実家に帰った直後にメイドとして雇われていた。

 正妻が不在なのを知り、夜にケヴィンのベッドへと潜り込んだしたたかな女である。


 見事に令嬢の色仕掛ハニートラップまったケヴィンは、毎晩ベッドに来る女を抱き、ついには子供が出来たのだ。

 当たり前である。

 マリアンヌは健康を害していたから妊娠しにくかったが、健康な男女がやる事をやれば当然の結果だった。


 既成事実を盾に第二夫人の座を手に入れた女は、屋敷内で女主人として振る舞った。

 ケヴィンからも従うように指示されてしまい、執事には屋敷を管理する最低限の権限しか無くなってしまったのだ。

 仮でも女主人となったシモーヌは、その権限を使い、決まっていた屋敷の点検を「お金が勿体無い」と勝手に破棄し、浮いたお金で自分の装飾品を買った。


「屋敷なんて壊れたら直せば良いじゃない」

 シモーヌは、屋敷の管理を全然理解していなかった。

 高位貴族の屋敷で壊れたから直す、という事がどれだけ恥ずかしい事なのかを、そもそも下位貴族だったシモーヌは知らないのだ。



「ジェルマン侯爵夫妻は知っているのね?」

 マリアンヌが執事へ、静かに問い掛ける。

 今までのマリアンヌなら「お義父とう様」「お義母かあ様」と呼んでいたのに、完全な他人行儀である。

 この状況を義両親も許したのだと、予想しているからこその態度だった。


「マリアンヌ奥様が体調を崩してご実家へ帰られたので、しょうがないだろうと……」

 体調を崩した原因は自分達の息子なのに、それは棚上げのようである。

「それなら話し合いも円滑えんかつに進みそうね」

 マリアンヌは口の端を持ち上げた。




 夕方になり、いつもの時間にケヴィンが帰宅する。

「ケヴィ~ン!」

 足音荒くシモーヌが迎えに行くのが聞こえた。

「廊下を走るなんて、幼子じゃあるまいし」

 紅茶を飲みながら溜め息をく。

 マリアンヌは応接室でくつろいでいた。

 迎えに出る気は毛頭もうとう無い。


 暫くすると、シモーヌと執事から話を聞いたのだろうケヴィンの足音が聞こえてきた。

 わざと大きな足音を立てて威嚇するのは、いつものケヴィンの手口だ。

 大きな音で威嚇して、暴力で威圧する。

 最悪の男である。


「帰って来たくせに、なぜ主人を迎えに来ない!」

 扉を開けると同時に大声で怒鳴りつけ、ダンダンと足音を大きく鳴らしながらマリアンヌの目の前まで大股で歩いて来る。

 マリアンヌは飲んでいた紅茶をテーブルへと置いた。

 それをモニクが素早く片付ける。


 それとほぼ同時に、ケヴィンが右手を振り上げた。




 パァーンと小気味良い音が室内へ響いた。

 頬を張られた音である。

 一足遅れて追い掛けて来たシモーヌは、廊下でその音を聞いた。

 マリアンヌがケヴィンに殴られたのだろうと、ニヤニヤしながら二人の居る応接室へと足を踏み入れる。


 そして、目の前の状況に、唖然として足を止めた。

 床に倒れて頬を押さえているのはケヴィンの方で、殴られているはずだったマリアンヌは、冷たい視線を床のケヴィンへ向けていた。



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