第5話 吸血

 人狼の首に深々と刺さった二本の長い牙。


 吸血鬼の逞しい喉が、嚥下する度にゴク、ゴク、と小気味のいい音を鳴らす。月光に縁取られたスッとした鼻梁に、無駄な肉なんて付いていない顎から頬に掛けてのラインは、これぞ造形美のひと言だった。とんでもない美形が、目の前に存在している。


 正直に言おう。目の前のこいつはヒトを食らう亜人なのに、ヒトの町でもなかなかお目にかかれないレベルのその顔のよさの所為で、私は完全に目を奪われていた。これがヒトの町にいたら、顔がいい男が大好物の妹の小桃なんか、もう絶対大騒ぎしている。間違いない。


 月明かりを反射させて黄金色に輝く瞳は、血が余程美味しいのか、幸せそうに細められていた。それすらも綺麗だな、なんてぽーっとしてしまう。うわあ……眼福。


「や、やめ……っ」


 初めはジタバタと吸血鬼の腕の中で暴れていた人狼が、血を吸われている内に次第にだらんと力なく垂れ下がっていく。キューン、キューンという弱々しい鳴き声が、耳に辛かった。


 目の力が失われてきていて、……あれ、これってやばくない? 亜人とはいえ、意思の疎通が出来る相手が目の前で今にも死にそうになっている姿を見るのは、あまりいい気分じゃない。


「あ、あの……その子、死にそうになってない?」


 思わず話しかけると、吸血鬼の男が涼やかな目を私に向けた。食事中だからか、少し猛った雰囲気の切れ長の大きな瞳には眼力があって、思わず一歩後退る。捕食してるその姿には妙な色気があって、思わず唾を嚥下した。


 吸血鬼はぐったりした人狼の首から顔を上げると、残った力で弱々しく男を睨みつける人狼を見て、首を傾げた。


「こんなんじゃ死なねえと思うぞ? 人狼は体力だけは有り余ってるからなー」


 話し方が、見た目と違ってアホっぽい。一気に残念感が場を占める。だけどそのお陰で、美形過ぎて近寄り難かった恐れに近い感情が、見事に皺々と萎んだ。


「そいつの仲間も近くにいると思うよ。襲われたら嫌だし、離してやりなよ」


 すると、吸血鬼がムッとした様に唇を尖らせる。子供か。


「お前、吸血鬼を馬鹿にしてないか? 人狼みたいに群れてなきゃ駄目な弱っちい種族と一緒にすんなよなー!」


 やっぱりアホっぽい。でも、これまで知らなかった知識なので、心の中に小さくメモっておく。人狼は群れる。吸血鬼は、多分群れない。


「だって、亜人のランキングなんて、知らないし」

「んー? ヒトは亜人のことは知らないのか?」


 意外そうに、大袈裟な表情で驚く吸血鬼。今日出会った他の亜人たちからは見受けられた、虎視眈々と私という獲物を狙う様子は、こいつからは不思議と感じられなかった。


 その所為だろう。私の口調も、気安いものに変わってきている。


「あんたたちだって、ヒトのこと大して知らないでしょ」


 普段だったら、こんな美形男子を前にしたら緊張して生意気な口なんて絶対に利けない。でも、こいつから漂う緩い雰囲気が、私の緊張をほぐしてくれていた。


 それと多分、こいつがヒトである私を助けてくれたからだ。


 亜人は皆怖い存在。生まれてからずっとそう教えられてきたけど、もしかしたら中には違うのだっているのかも。それがこれくらいの美形男子だったら、尚いい。


「んー。言われてみればそうだな。じゃ、仕方ねえな!」


 吸血鬼は、ニカッと明るい笑顔を浮かべた。これで納得しちゃったらしい。そして笑顔も非常に素晴らしい。思わずつられて笑顔になりそうになった自分の表情筋を、必死で抑え込んだ。


 吸血鬼は手にぶら下げていた人狼をぽーんと林の方に向かって投げると、手をパンパンと叩いて私の前にトコトコとやってくる。近付いてみると、こいつの背の高さがよく分かった。私の頭の天辺が丁度こいつの肩くらいにくるので、顔を見る為には上を大きく仰がないといけない。


 背が高くて顔が馬鹿みたいによくて、小桃だったら今頃きっともう大音量の黄色い声で叫んでいるだろうな、と思いながら見上げた。私は一応お姉ちゃんだから、叫ばない。


「人狼の血は不味くはないんだけど、毛が口に入るのがやなんだよ」

「まあ、ふわふわしてたもんね」


 親指の腹で、上唇をスッとなぞった。美形は、何気ない仕草も様になる。毛が付着してるのか、繰り返しグニグニやっている姿は、やっぱり見た目と違って幼い。それとも、亜人って皆こんな感じなのかな。


 魚人といいさっきの人狼といい、喋ってることは割と皆アホっぽかったから、そうかもしれない。


 視界の端に、別の人狼が、倒れている人狼の襟首を咥えて林に引っ張っていくのが見える。襲われたとはいえ死なせるのはちょっとなあ、と思ってしまっていた私は、内心ほっと胸を撫で下ろした。

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