亭主の好きな赤ちょうちん

美池蘭十郎

第1話


 冷房の効いた部屋で悪夢から目覚めたとき、私は自分がベッドの上で、大怪我をしているのに気づいた。頭部にかすかな痛みと、左足に違和感を覚え、周りを見ると白い壁に囲まれている。四方の壁は、実際の距離よりも遠く目に映っていたが、部屋は狭く頼りなく、しょんぼりと目の前に存在していた。

「ここは何処だ? 病院か?」と、私は戸惑いを露にした。

 傍らには、妻と娘がいて不安気に私の顔を覗き込んでいる。

「お父さん、やっと目をさましたわよ」と妻が口を開くと、そばにいる娘も涙ぐみながら

「よかったね」と、声をかけてくれた。

 私は「助かった……、助かったのか、お前たちも無事だったのか」と、妻の手を握り締めた。私たち家族は海難事故に遭遇したあと、救助されていた。私はしばらく意識を失っていたので、家族や職場の同僚たちに心配をかけていた。

 しかも、私だけが行方不明になっていたため、遭難後十日経過したときに海岸に倒れているところを発見されていた。最初のうちは、事故に遭遇したショックによる戸惑いや、助かった幸運への安堵感から、頭の中は膨張していた。

 当初は、気づかなかったが、事故にあう前と後とで、世界の大事な何かが大きく変化したのではないかという恐怖感が徐々に心の中を占領し始めた。

 妻の名前は、記憶と同じ冴子だが、顔立ちや雰囲気が寸分も違わない娘の名前が違っていた。私の記憶では、娘の名前は奈緒だ。しかし、何故なのか妻は娘を茉優と呼んでいた。娘が誕生したとき、奈緒が候補の一番目で、茉優は二番目に候補としていた名前だ。

 さらに、私の記憶では、救助船の近くにいていち早く助けられたのは自分自身で、妻や娘こそ海の波にさらわれて消息を絶っていても不思議ではない状況だった。実は自分が救助された船の上で長い時間気絶し、病院のベッドに運ばれてから目覚めたのではないかと感じていた。が、妻たちは「あなたは、気が動転しているために、正確に思い出せないのでしょう?」と気遣う。

 病院に見舞いに来る同僚たちも、大半に見覚えがなく、勤務先の名称や肩書も私の記憶とは驚くほど違う。しかも、年若い社員がなれなれしく「ともさんの事、皆心配しているからな。退院したらまた酒でも飲みに行こうぜ」とため口で話す。そこで私は、厳しい表情をして「君は誰に向かって口をきいているつもりだ」と咎めたところ、あきれたように「あんたのためだ」と不機嫌そうに口をとがらせる始末だ。

 そいつは「中井部長、あのう、ともさんは、ねえ。遭難して入院中のけが人ですからね。こらえてやってください」と同僚から宥められると「まあな、今回だけは勘弁しておくよ。あんたこそ、誰に向かって口をきいているつもりだ」と捨て台詞を吐いて病室を出て行った。

 妻は「あの方たちは、皆あなたが勤める永倉工務店の社員で、特にあの中井部長はあなたの上司じゃないの。まったく、覚えていないの?」と咎める。

 そういえば、彼らの作業着にはNAGAKURAの刺繍が入っていた。娘まで「お父さんは、中井部長は二十七歳ながらやり手なので、他の社員からも慕われていると話していたよね?」と不審がる。

――まさか!――と私は思った。私が二十四歳も年下の青年の部下で「ともさん」となれなれしく呼ばれている何て、想像もできない。

 妻に「長幼の序という言葉が使われなくなって久しいが、あんな無礼な若者も珍しいな」と嘆息して見せた。すると、妻は目を白黒させて「あなた、大丈夫なの? 気は確かなのかしら?」と戸惑うそぶりをみせた。

 私の記憶では、国内最大手の榎本建設工業株式会社で常務取締役が私の肩書だった。国内トップクラスの大学の法学部を卒業後、入社した会社で実力を認められた私は、近い将来の社長候補の一人と目されていた。

――つまり、これは何か大きな罠ではないか――と、直感した。

 そこで、海難事故の当日の新聞を取り寄せて読んでみた。私たち家族が乗船した船は「海皇丸」という名の豪華客船で、動くホテルのようだ。中にはレストランや、映画館があり、長旅を想定した医務室も用意されている。

 記憶の中では事故の起きた七月二十日は、アラスカへ向かう出発の日だ。クルーズは十四日間だ。日頃、家族を犠牲にして仕事に打ち込んできた私のせめてもの罪滅ぼしのつもりだった。

 ところが、新聞記事では国内クルーズ四日間を終えて「海皇丸」の帰って来た日が、七月二十日となっていた。事故の発生場所は同じで、猛烈な暴風雨によるものとされていた。乗客六百名のうち、六十五名が行方不明となっている。

 私はありえないと分かりつつも、隠しカメラが設置していないかと病室をくまなく探してみた。少なくとも、妻や娘までが何かの企みに加担して、私を欺く必要性がないのは確信していた。

 それでも、得体のしれない何者かに脅迫されていたとしたらどうだ? 家族を守るためにやむを得ず、私をだまそうとしている可能性はないのか? 何のために、どういう目的で、いつまで、私を欺く所業で誰がどんな得をするのか?

 いくつもの疑問を妻や娘に投げかける。すると、彼女らは戸惑い、驚き、私の精神状態を危惧する。そんな家族の心配を知りながら、私は腹立ちまぎれに食器や湯呑をひっくり返し、周囲の人間に八つ当たりまでした。

 医師はあきれたように「事故のショックは計り知れないものがあると思います。ですが、一家の大黒柱のあなたが、そんな調子では大切なご家族を守り切れないでしょう。しっかりしてください」と励ますと、看護師の女性も「私からもお願いします」と、私の様子を見た。

 それでも改まらないため、とうとう妻は「しばらく、精神科のお世話になってはどうかしら?」と言葉にした。今のままだと、いつ社会復帰できるか分からない。まずは、自宅に帰り状況を把握するのが先決だ。

 当面は、何事にも疑問を抱いていないふりをしなければならない。実際のところ、私は妻や娘、職場の同僚と称する面々に対して、質問したい内容が山ほどあった。ただし、今すぐすべて問いただそうとでもしようものなら、精神科送りは免れそうもない。

 病室には、見舞いのフルーツや差し入れの単行本などが置かれていた。単行本は私の好みのジャンルとは異なる時代小説ばかり五冊が重ねられていた。パラパラとめくってみたがまったく興味がないものばかりだ。

 骨折した左足にはギプスが嵌められているうえ、頭部にも包帯が巻かれている。医師の回診の時に、私は「まさか頭部を打撲して、脳に大きなダメージが残っている可能性はないのでしょうか?」と、素朴な疑問を投げかけてみた。

 医師は厳かな口調で「MRIなどの検査結果を総合的に判断して、脳の異常は認められませんでした」と答えた。私はほっとしたものの、反面で原因が分からない事実に苛立ちを感じていた。――いったい自分になにが起こったのか――という問いかけばかりが想起される。

 入院から十一日が経過した。遭難から数えると、三週間経った日の午後の出来事だ。昼食を済ませて、病室でテレビを見ていた私のもとへ一人の男が訪ねてきた。男の顔には見覚えがあった。

 病室のガラスに映った自分の顔と、見舞いに来てベッドの脇にいる男のツーショットを見たときに、それがまぎれもなく、高校時代の同級生の黒田だと気づいた。黒田は「木下が入院中だと、お前の会社の竹山係長が話してくれた」と、手に提げた紙袋の中から「黒松」のどらやきを取り出して「お前、黒松のどらやきが、子供のころから好きだったよなあ」と、いかにも懐かしそうな表情をした。

 黒田は小早川商事株式会社の筆頭取締役で、建設業界に太いパイプを持っていた。記憶に相違はなかった。黒田は「何事にも、辛抱が大事だよ。中学時代はからかいの対象だった俺の関西弁だって、かっこいい今の話し方に変えられるのだからさ。諦めないのが肝心だ」と、はにかんだような表情をした。私が「今の話し方のどこが、かっこいいのかね」と皮肉ると、彼は嬉しそうに笑った。

 それから数日後、実家の横浜から年老いた母親が見舞いに来てくれた。父親は三年前にすでに他界しており、母は一人暮らしだ。母もまず開口一番に「よかった、よかった」と私の無事を喜び、涙を流した。私は母に自分の兄弟の状況を尋ねてみた。

 私は、自分が一卵性双生児で、兄弟がなんらかのトラブルで入れ替わったのではないのかと思った。例えば、幼いころに、二人のうち一人が里子に出されるというケースだ。ありそうもないが、可能性は一つ一つ検証してみなければ真実に近づけないとも考えた。

 母は「双生児」という言葉を聞いて、フランクフルトソーセージと間違えて笑った。つまり、私が一卵性双生児の可能性はない。続けて、兄弟の事情を尋ねると、母は「尚子(妹)から国際電話があってね。とも(私)の事を心配していた。アリサ(孫)もジョージ(義弟)も元気だったよ」と、ほほ笑んだ。

 私の記憶では、五歳年下の妹がいて、彼女はアメリカ人と結婚しニューヨークに住んでいる。アリサという姪の存在も思い出した。母の話と私の記憶を照合して、そこは間違いがなかった。

 病院を退院して、やっと自宅に帰る状態になった。入院から二か月が過ぎていた。医師の診断で「けがも治ったし、精神的にも安定している様子なので、通院治療に切り替えましょう」と告げられた。私の精神状態はというと、胸の内では不安と疑問で溢れる寸前だが、それを露わにすると、精神病棟への転院を強いられる展開になる。

 それが、解決にはつながらないような気がした。素直に外科病棟を出て、しばらく通院する方針にした。通院治療は、リハビリをするだけの予定となっている。

 自宅に帰ると、今の自分の状況に関する何かヒントになるものが見つかる成り行きに期待した。そう考えることで、やっと気持ちが明るくなった。妻は「家族全員がまた同じ家に帰って暮らせるのよ。よかったわ」と柔和な表情を見せ、娘も「一時はどうなるかと思ったけどね」と同調した。

 私は彼女らを安心させるために「俺はもともとタフだからな。ちょっとやそっとではびくともしない」と見栄をはってみせた。「そうこなくちゃ。今の話し方はお父さんらしいと思う」と、娘はやっと笑顔を見せてくれた。

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