第20話

 騒ぎを聞きつけて入ってきたヴァルターに、コルネリアとキァラが視線を向ける。


「ヴァル様」


「コルネリア!」


 キァラの太ももから血が出ていることを確認したヴァルターは、すぐにコルネリアに走り寄る。


「大丈夫か?怪我は?」


 コルネリアの肩にそっと手をのせ、ヴァルターが心配そうにたずねる。キァラのことは全く眼中にないようで、自分の方を見ないヴァルターに、キァラが怒りで身体を震わせる。


 大丈夫、と伝えるためにコルネリアが頷くと、ヴァルターは腰に手をまわしてぐっと抱きしめた。


「ヴァル様!」


「マルコ。この状況を説明できる奴はいるか?」


 入り口にいるマルコに問うが、彼は首を振る。


「キァラの叫び声を聞いた者が入った時には、すでにこのような状況だと。そうですね?」


「は、はい。キァラ様の大きな声が聞こえまして。部屋に入ったら、キァラ様が出血して、奥様に謝ってらっしゃいました」


 マルコに促され、最初に部屋に入ってきた侍女が答える。すると、キァラが一瞬にたりと笑い、わざとらしく泣き声をあげる。


「私がヴァル様のことお慕いしていることが、許せなかったみたいで。きゅ、急に。私の太ももを刺したんです!」


(――この子、本当にやばいですわ!ヴァルター様はどう思っているんでしょう)


 ピックの先端が数センチとはいえ、自分の足に刺すなんて正気の沙汰ではない。そんなことを思いながらも、ヴァルターが何と言うのかコルネリアには想像がつかなかった。


「俺の責任だ。俺が責任を取ろう」


「ヴァル様!嬉しい!」


 ヴァルターの言葉にキァラが喜び立ち上がる。コルネリアはふらり、とめまいを感じた。


「大丈夫か?すまないコルネリア。すぐに終わらせる」


 ヴァルターはそう言うと、抱き締めていたコルネリアをそっと離す。そして、彼女の両手を見て、少し微笑んだ。


「強く握りしめているな。もう、離していいから」


 コルネリアが無意識にずっと持っていた本を、優しく指を解いてヴァルターが床に置いた。


「ヴァル様?」


「俺に好意を持っている、と分かった時点で領土へ返すべきだった。罪を重ねさせたのは俺の責任だ。すまない」


 キァラにそういうと、ヴァルターは廊下へ出て壁にかけてあった剣を手に取った。


 その様子にキァラがひぃ、と短い悲鳴をあげる。


「コルネリアは聖女であり、この国の王妃でもある。そんな彼女を下手な罠にかけようとしたことは、腕一本で償ってもらおう」


「待って!待って!ヴァル様!」


 剣を手に取ったヴァルターが書斎に入り、キァラに近づく。


「マルコ!ねぇ、みんな!ヴァル様を止めて!」


 そう言いながらキァラが使用人たちへ目線を向けるが、彼らはさっと視線を合わせないように目を伏せた。


「何かあったんですか?キァラ?」


「兄様!助けて!」


 屋敷の騒ぎに気がついたクルトが、書斎を覗き込む。剣を抜く主に、泣きながら這って逃げる妹。何かを察したのか、クルトはその場で土下座をした。


「申し訳ございません。何をしたのかは詳しくはわかりませんが、おそらく奥様を傷つけるようなことをしたのですよね?」


「そんなことしてない!あの女が私のことを刺したの!」


 キァラはクルトのそばまで足を引きずり移動すると、コルネリアを指差して言った。


「キァラ。コルネリアは両手に本を持っていたが、どうやってお前を刺したんだ?」


「それは……」


「なぜ、コルネリアがわざわざ、低くて刺しにくい太ももに刺すんだ?」


 問い詰めながらヴァルターがキァラに近づいていく。


「絶対にあり得ないことだが。もし、コルネリアがお前を傷つけても、すぐに治して隠すことは簡単だろう」


「ヴァル様。私を信じてください」


「キァラ。こんなことが許されると、周りが信じてくれると。本気で思っていたのか?」


 低い声で淡々と言うヴァルターの姿に、キァラがガタガタと震え出した。


「申し上げます!キァラはフュルスト家の長女です。直接ヴァルター様が手を下すのはよくありません!帝国との戦争中に、国内で揉め事を起こすわけにはいきません!」


 クルトが頭を下げたまま言うと、ヴァルターはそっと剣を持つ手を下におろした。キァラはフュルスト男爵夫婦の晩年にできた子で、二人からとても可愛がられている。


 キァラの罪を納得はするだろうが、腕を落とせば反感を買うことは必須だ。


「キァラは私が責任を持って、今からフュルスト領土に返します。結婚をさせて、二度と領土から出ないようにさせます!」


「そんな!嫌よ!」


 キァラがそう言うと、クルトがぐっと拳を握り締め、キァラの頬を殴った。鈍い音がし、キァラがよろける。


「お前は黙っていろ!本当はもっと重い罪になることなんだ」


「でも。私。結婚が嫌だからこっちに来たのよ。あんな田舎にずっといるなんてゴメンだわ」


 ぽろぽろ泣きながら言うキァラに、コルネリアは一つため息をつく。このままだと話が終わらない、そう判断をして机の上にある紙とペンを取りに行った。


「コルネリア?」


【領土から出さないことは可能なのですか?】


「はい。俺の友でもある男と結婚をさせ、その家からは出ないようにさせます」


 結婚というより、軟禁といった方が正しそうだ。コルネリアはなるほど、と頷く。


【屋敷で24時間監視するのは難しいわ。もしも、出てきたら?】


「中からは開けられない地下牢で、過ごさせるようにします。もしも出てきたら。その時は俺が責任を取ってキァラを殺し、騎士を辞任します」


 地下牢、という言葉にキァラが何かを言おうとするが、その頭を強引にクルトが床に押し付けて何も言わせない。


【ヴァルター様はどう思いますか?】


「コルネリアにしたことは許せんが、クルトの言うことも一理ある。だが、それなら結婚ではなく、修道院の方がいいと思う」


 この世界では貴族の子女が犯罪を犯しても、死罪になることはほとんどない。規律の厳しい修道院に死ぬまで入る、というのが最も重い刑になる。


 だが、修道院という言葉を聞いて、コルネリアが慌てて止めにはいる。


【結婚という形でいいのでは?地下牢で過ごすそうですし】


(――そのパターンの修道女は、女神様が一番嫌いなやつだわ!)


 神殿や修道院での祈りは、直接女神様のもとへ届く。ただ、罪を犯した者の祈りは、聞くに耐えないものらしい。以前満月の夜に女神様が愚痴ってたのを聞いたことがある。


(――あの時期の女神様荒れてたからな。キァラを修道院なんかに入れたら、絶対ダメなタイプの祈りをしてしまいますわ)


 何としても修道院入りを阻止したいコルネリア。その意図を知らない周りの人達は、キァラを除いて感動したように見ている。


「コルネリアがそう言うなら。クルト。次はないぞ」


「ありがとうございます!」


 がばっとクルトがコルネリアとヴァルターへ頭を下げる。ヴァルターはかがみ、クルトの耳元で何かをささやいた。


「……探ってくれ。任せた」


「はい。かしこまりした。おい、行くぞ」


「きゃあ!」


 クルトはキァラをひょいと脇に抱え込むと、キァラが叫び声をあげた。


「あ!ちょっと!治してよ!」


 ジタバタと暴れながら、キァラがコルネリアを睨みつけて言う。クルトがすぐに謝罪をし、口を手で強引におさえた。


(――命には関わらない怪我だし、自業自得なので嫌ですわ)


 コルネリアがにっこりと微笑むと、コルネリアのそばまで行ったヴァルターが首を振る。


「コルネリアさっきもそうだが。心が優しすぎる。キァラが自分でつけた傷だ、コルネリアが治す必要はない。クルト。出発前に簡単に治療はしていって良い。行ってこい」


 全くもって治す気がなかったコルネリアは、目をパチパチと瞬きをする。自分の傷を全く心配しないヴァルターを見て、キァラはがっくりと肩を落とした。


 クルトは一礼をし、キァラを抱えたまま部屋から出て行った。


【さて。ヴァルター様。私たちも話し合いましょうか?】


 コルネリアはその紙をヴァルターに押し付けると、すたすたと自室へと戻った。その後ろ姿を慌ててヴァルターが追いかける。


「マルコ。すまないが後は頼んだ」


 散らかった部屋と動揺する使用人を見てマルコはため息をつき、かしこまりましたと返事をした。

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