第15話

 しばらくすると、寝室のドアが静かに開いた。コルネリアが寝ているかもしれない、とヴァルターが起こさないようにゆっくりドアを開けていた。


 まだ考えがまとまっていないコルネリアは、ベッドから起き上がり入室したヴァルターを見つめた。たたむ余裕もなく、ガウンがベッド横に脱ぎ捨てられている。


「起きていたのか?」


 ヴァルターは濡れた髪をタオルでこすりながら、嬉しそうに言った。そして、ベッドに腰掛けてコルネリアを見つめる。


【聞きたいことがあります】


「ん?どうした?なんでも聞いていいぞ」


 午前中のキスに浮かれているのか、ヴァルターが微笑んで言う。


【キァラさんと、どんな話をしたんですか?】


 コルネリアが正面からヴァルターを見つめると、彼はさっと目線を外した。


「いや。……相談だった。仕事についての」


 嘘をつくのが下手なんだろう。ヴァルターは頭を拭いていた手を止め、視線を逸らしたままそう言う。


【なんでそんな、わかりやすい嘘を言うのですか】


 コルネリアは紙にそう書くと、ヴァルターに見せようとして、やめた。くしゃくしゃにして、ゴミ箱へ投げ入れる。


(――ダメだわ。話せば話すほど揉めちゃいそう。そんなの、それこそキァラさんの思うつぼな気がする)


【今日はもう寝ますわ。おやすみなさい】


 そう紙に書き、ヴァルターに見せると布団に潜り込む。できるだけベッドの端で、ヴァルターとは反対側を向いて掛け布団を頭までかぶった。


「コルネリア」


 ヴァルターが名前を呼ぶが、布団に潜ったコルネリアは反応を返さない。


「おやすみ」


 何が悪かったのか分からないのだろう、ヴァルターは困惑した表情でそう呟くと、乾いていない髪の毛をタオルで拭った。










 すうすう。布団の中から吐息が聞こえ、ヴァルターはそっとコルネリアの掛け布団をめくった。


 ぷはっとコルネリアがひとつ息をし、また健やかな寝息をたてる。


(――何が悪かったんだろうか。何も言わずに、寝るのが遅くなったことか?)


 悲しげな表情を浮かべておやすみ、と伝えたコルネリアがヴァルターの脳裏に浮かぶ。悲しみではなく怒りの感情が正しいのだが、ヴァルターは気がついてない。


 頬にそっと口づけをすると、部屋のろうそくを吹き消す。コルネリアを起こさないように横になると、先ほどのキァラとの出来事を思い出した。


「まさか。あんなこと考えていたなんてな」


 ぽつり、と呟いて、ヴァルターは自分の顔を手で覆うと、大きなため息をついた。


 時は、ほんの数時間遡る。


 後で相談をしたい、と言ったキァラを待ちながらヴァルターは仕事をしていたが、中々彼女が現れなかった。そのため、入浴も遅くなったのだ。


 来ないなら仕方がない、と浴室に向かったところで、キァラと会った。彼女は二人で話したい、と言って浴室の中まで入ってきたのだ。


「ヴァル様。私、ヴァル様のことを思うと胸が苦しいんです」


 そう言って胸元のボタンをキァラが外していく。徐々にあらわになるデコルテや胸に、びっくりしてヴァルターは後ろに下がった。


「ヴァル様」


 うるうるとした瞳で、ヴァルターにキァラがくっつく。わざと胸が当たるようにくっついたため、その柔らかさをヴァルターはしっかり感じた。


「待て。俺は既婚者だぞ」


 すぐに我に返り、キァラの肩を掴んで引き離す。キァラは上目遣いのまま、ヴァルターの胸元に手をはわせた。


「分かってます。私、二番目でもいいです。ヴァル様のそばに居られるなら」


 そう言うと、キァラがそっと背伸びをしてヴァルターに口づけを……する寸前で、ヴァルターが手のひらでキァラの唇を受け止めた。


「それは、俺のこと好きという意味だろうか?」


「はい」


 脈あり、と感じたのか、キァラがぱぁっと嬉しそうに笑って、抱きついてくる。


「離れろ。すまないキァラ。俺はお前のことをそういう目では見れないんだ」


 抱きついてきたキァラを離すと、申し訳なさそうにヴァルターが言った。妹のようには思っていたが、恋愛対象として見たことは一度もなかった。


「私のこと好きじゃなくてもいいから、そばに置いてください」


「なぜだ?」


「え?」


「なぜコルネリアが居るのに、好きでもない女をそばに置かないといけないんだ?」


 嫌味でもなく真剣にヴァルターが言うと、キァラの目にじわじわと涙が浮かぶ。幼馴染であり、大切な友の妹でもあるキァラを泣かせてしまい、ヴァルターは慌てたように口を開く。


「どうかしたか?」


 キァラは涙をぽろ、と一筋こぼすと、浴室から出で行った。


 その後、キァラとコルネリアが会ったことは、ヴァルターは気が付いていない。





(――マルコにも未婚女性と親しくしたら嫌われる、と言われたからな。告白されたと知れば、より嫌われる可能性が高かっただろう)


 コルネリアに嘘をつくのは心苦しかったが、中々いい機転だった。とヴァルターは一人で頷いた。


(――明日になったら、少しはコルネリアの機嫌も良くなっているだろう。そうだ。花壇の花を一緒に選んだら喜ぶかも知れない)


 コルネリアがにっこり笑う姿を想像し、ヴァルターの気分が良くなる。コルネリアと過ごす内容を考えながら、ヴァルターは眠りについた。


 この日を境に、夫婦の仲が気まずくなるとは想像もしていないヴァルターは、幸せそうに寝息をたてた。

 

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