第23話
ソラはこれが一連の流れだ、と説明する。
それは違う、と否定する者は居なかった。
何故なら、彼らとて知らないのだ。
長老の中で最年長の彼ですら、禿頭をさする事しかできないほどに昔の話なのだから。
「つまり、ボクは訳も分からず神樹から力を貰って、元々の予定通り逃げただけ。やましいことも無ければ、返せと言われる筋合いもないんだよね」
沈黙が訪れ、長老は長い溜息を吐いた。
「だからどうした?」
彼が放ったのは、対話の拒否ともとれる言葉だった。
アナセマはぎょっとしてソラを見るが、彼女は全く動じずに笑顔を崩さない。
「その研究結果は儂も読んだ。つまり、貴様がおとなしく死んでいなかったから今の森からは豊かさが失われているのだ。それに、貴様が力を得たのであれば、そのままハイエルフとして在位していればよかっただけのことだ」
______こいつ、他人の事情とか感情なんてどうでもいいのか?
エルフ特有の、神樹と同胞の為なら死ぬことが出来る者こそ素晴らしいという考えは、アナセマには全く理解できない。
自分が思っているだけならまだしも、他人に当たり前のように強制しているのだから。
「ボクはそう思わなかった。力の無いボクを殺そうとした同胞と、力を得たからといって共に生きていけないと思ったんだ」
彼らが欲しているのは、ソラではなく彼女が持つ神樹の力だ。
その上、一度殺されかけた相手を豊かにするために奔走するなど、彼女の性に合わなかった。
「ヨイだったら、それでも残っただろうけど。残念ながら力を貰ったのはボクだった」
彼女の飄々とした言い草に、長老はドンと机を叩く。
「会話をしに来たと言った筈だよ。君が何を言おうと、ボクは力を返さない。それをはっきりさせる為に呼んだんだ」
「黙れ。大人しく返していればこうはならなかったものを。連れてこい」
長老は御付の者に命じ、すぐにとある人物を連れてくる。
「んぅ!」
「ファーリ!?」
アナセマが叫ぶ。
長老が連れてきたのは、口に布を噛まされたファーリだった。
乱暴はされていないようだが、連れてくる際の様子を見るに明らかに良い待遇をしているわけではない。
「何のつもりかな?その子は君たちの森の民のはずだけど」
至極当然の質問に、長老は口の端を吊り上げて言った。
「このような者、一人二人減ったところで問題はない。それより、一度人間如きに触れられた身体で森に入られる方が問題だ」
「下衆が」
アナセマが戦闘態勢に入ろうとするも、ソラがそれを制する。
「大丈夫」
彼女のその言葉から、何か策があるように感じたアナセマはおとなしく引き下がる。
長老は笑いながら、言葉を続けた。
「ここは帝国で、貴様らの国の周辺国からの評判は今どん底だ。その中でエルフの森の民が殺されたと報じれば、どうだ?誰がそちらの言葉を信じる?」
「その子を殺して、周辺国に帝国が危険な国だと吹聴するって事ね。それが嫌なら力を返せ、と。考えたね。この前の脅しよりは考えられてる」
未だ余裕そうな彼女に業を煮やしたのか、長老自ら剣を持ち、ファーリの首元に添える。
「儂がやらないと、そう思っているのか?それなら随分お人好しだと思われ......」
長老は、話している途中でソラが人差し指を左右に振っているのに気が付いて言葉を止める。
「でも、まだ甘い。ボクがその程度の脅しでどうにかなる存在だと思っていたのなら、長老をやめた方が良いね。ババ様の方がよっぽど怖かったよ。カゲマル、持って来て」
「御意に」
ソラの影から声が聞こえ、即座に影から三十センチ四方の木製の箱が出てくる。
「な、なんだそれは」
長老は感じる魔力から、何か何となく理解しているのかもしれない。
彼は、他人より魔力を感じるという利点を初めて恨んだ。
ソラは箱に手を入れ、その中からでこぼこの毛の生えた何かを取り出して机にドンと置いた。
「宣戦布告だ、馬鹿な
______おい、それって。その形、その構造、その大きさ。
アナセマは、その形を良く見たことがあった。
戦争で良く使われる戦術として、火災を起こすというものがある。
ただ領土を破壊するだけなら、大した魔力も使わずに出来る広範囲の破壊工作だからだ。
火災が起きれば、焼けて死ぬ人間も必ず出てくる。
足が悪く、逃げ遅れたもの。
真夜中の奇襲だったため、火災に気付くことなく家屋に閉じ込められるもの。
そんな彼らの焼け焦げた頭部に、非常によく似ていたのだ。
しかし、一つだけ違う所がある。
人間であれば耳となる部分が、切り落とされたかのように無くなっていたのだ。
「んーーーーー!!!」
ファーリが口に布を詰められたまま泣き叫ぶ。
彼女には、この頭が誰のものか分かってしまったらしい。
______おい、まさか。始隊長?嘘、だよな?
「貴様、エルフに対して耳を切り落とし、焼けた死体を寄越す事の意味を理解していないとは言うまいな?」
「当然。君たちを蹂躙し、踏みにじってやるから覚悟しておけって事だよ。分かったらさっさと帰ったほうがいいよ」
エルフの集団は、その死体と人質のファーリの事など忘れたように急いで外へ出て行った。
アナセマは急いでファーリに駆け寄り、口の布を取ってやる。
「リゼナ様......リゼナ様ァーーーーーーーーーー!」
焼け焦げた頭部に駆け寄り、ファーリが慟哭する。
アナセマはその横でソラの胸倉を掴む。
その後即座に影から手が伸びるが、ソラの「いいから」という声で影に戻る。
「手前ェ!どういうつもりだ!!神樹の森と戦争がしたかったのか!?最初から、そういうつもりだったのか!?」
辺りの気温が数度下がり、窓に水滴がつき始める。
「ボクとしては、どっちでも良かったんだ。彼らは他の国を攻める事なんてほとんどない。放っておけば良いだけの存在」
「じゃあなんで、自分達の森を良くしたかっただけの、幼気な少女を殺したんだ!!」
アナセマは感情がむき出しになり、思考がどんどんと浅くなっていく。
「彼女と話し合って決めた事だよ。君に説明する義理は無いな」
ふつふつと、身体中の血液が煮えたぎるような感情が湧きあがる。
「アナ、セマ......様ぁ......」
ファーリのぐしゃぐしゃの顔を見て、アナセマは覚悟する。
「始隊長。俺はこの隊を辞める。ついて行けねェ。ファーリも連れて行く」
「構わないよ。メンバーも全員連れて行ってね。君がいないならあの子達も必要ない」
今まで、何故この女性の言う事が妙に信頼出来ていたのか。
それが分からない程、薄ら気味の悪い雰囲気だ。
「あぁ、君に掛けてた思考誘導の魔道具も今の魔力の衝撃で壊れたみたいだ。凄いね」
______思考誘導の、魔道具。
彼女に『
あの時から、アナセマは騙されていたのだと悟った。
「腐れ外道が。ファーリ、行こう」
アナセマの呼びかけに、ファーリは虚ろな表情で箱を持って立ち上がった。
「また入りたければ、ボク達はいつでも歓迎だよ」
「うるせェ。二度と来るか」
隊長の証であるネームプレートを投げつけ、部屋から出る。
______さっさとこの国から出ないとな。ここはあいつらに近すぎる。
そんな事を考えながら、青空の下を歩いていた。
気持ち悪いくらいに、雲一つない快晴だった。
「ここで待っててくれ。俺は仲間を呼んでくる」
「はい」
帝都の乗合馬車の窓口でファーリを待たせ、全速力で駆ける。
______あいつら、一緒にいないのか。仕方ない、非番だもんな。
この不幸を恨みつつ、まずはマリーの下へ向かおうとする。
しかし、マリーの魔力らしきものがあまりにも弱いのだ。
「んだよ、寝てるのか?呑気な奴だな」
何が起きているかなど知るはずの無い彼女に愚痴りつつ、彼女の魔力を感じる路地裏に到着する。
「こんなとこで寝る、な、よ......」
路地を曲がり、段々と彼女の魔力を感じる何かが見える。
その物体は、まるで人間のようだった。
頭があり、首でつながっている身体。
首には、昔アナセマがマリーにプレゼントした魔証のペンダントがつけられている。
そこから二本の腕と二本の脚とつながっており、アナセマとお揃いの外套から青白い肌が覗いていた。
普段の彼であれば、それを人間と断定するのに一秒もかからなかったであろう。
しかし、今のアナセマには人間の形をした何かにしか見えなかった。
どくどくと鼓動するのが、足の先で分かるほどの騒音が心臓から発せられる。
冷たい汗が頬を伝い、呼吸が浅くなる。
手が震え始め、もたつく足を急かして
「悪趣味な、人形、だよな......魔力まで、マリーに似せ......うッ!?」
眠りについているかのような、穏やかな顔が目に入ってそれが人形ではないと理解させられる。
気分を悪くしたアナセマは、えずきながら頭を膝に乗せる。
「なあ、マリー。冗談だって言ってくれよ。その胸に刺さった剣はなんだよ?」
その悪趣味な人形......マリーの胸からは、飾り気のない無骨な長剣が生えていた。
「俺と、一緒にいてくれるんだろ?」
血が出きっているのか、彼女の身体は冷たく軽い。
「ずっと、一緒にいてくれるんだろ?」
新たな五感の情報が入ってくる度に、その真実が脳をちらつく。
「なあ、答えてくれよ......」
______マリーは、死んだ。
______俺が、守れなかったから。
______おれが、よわかったから。
______おれが、おれが......。
「あぁぁぁぁァァァァァ______」
喉を伝って音が発される。
無意識のその音が、自分から出た事をアナセマは認識した。
自分が、最愛の女性の死を悲しんでいる事を認識した。
「あ」
そして理解した。
______もう、何もいらない。
彼は全てを否定した。
一切合切を消し飛ばし、そのまま闇の中に沈んでいきたかったのだ。
生も、魔法も、
アナセマは彼女の骸を抱き、魔力を込めた。
我は呪われた。
全てを失い、何もかもが些事と化したこの世界に。
欲望の渦巻く、この愚かな日常に。
血で血を洗う、狂った毎日に。
恨みだけをこの手に、我は。
我は呪った。
全てを呪い、全てを
「
その
そのどす黒い魔力に触れた物から、完全に消滅させていたのだ。
......ガシャアン!!
音は、遅れてやってきた。
中途半端に削れてバランスを崩した建物が崩れている。
アナセマを中心とした、半径百メートルほどの全てが無と化していた。
地面より上に存在するのは、彼とその腕に抱かれた骸のみ。
大気は凍り付き、アナセマの目から涙が一筋流れた。
「派手にやったねぇ。でも、
彼の背後から聞こえてきたのは、あの狂った傭兵隊の始隊長だ。
______待て、こいつ今なんて言った?
その瞬間、現状と彼女の言葉が一本の糸でつながる。
「お前が、やったのか」
「ボクたちの仲間じゃない子に、答える事はないよ」
アナセマの答えは、一つだった。
「殺してやる」
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