第三十一話 分岐
時刻は二十三時。私は今、沢崎さんと共に近隣に位置する桜崎病院へ来ている。
現在は救急対応のみとなっているため、必要箇所以外は照明が落とされていた。殺風景な白を基調とした風景も相まって、不気味さが漂う。
完全に喪失状態の沢崎さんを何とか連れ、私は看護師さんの案内のもと病室へ向かった。
何とも言えない違和感を覚えながらも、若い女性看護師の後を付いて行く。
やがて病室の前に辿り着くと、看護師がノックをした後、静かに扉を開けた。
「沢崎さん、娘さんがいらっしゃいましたよ」
そこには、ベッドの上で上体を起こした状態の女性。看護師さんの様子を見るに、おそらくこの方が沢崎さんのお母さん、ということか。
「あら、真夜? それと……お友達の方かしら?」
くせのない長い黒髪を右肩側に流した、おっとりとした雰囲気の女性。点滴をしているものの、元気そうに窺える。
「か、母さん……? 生き……てる……?」
「あのね、勝手に殺さないでもらえる? ちょっと貧血で倒れただけよ」
「だ、だって電話で……!」
「えっと、その電話をしたのは私ですけど……そんな縁起でもないことは言ってませんよ? お母さんが救急搬送されたので、来てほしいという旨は伝えましたが」
苦笑いを浮かべながら、看護師さんが沢崎さんに答える。
「……何だ、ただの貧血かよ……ビビらせやがってぇ……」
緊張の糸が解けたのか、その場でへたりこむ沢崎さん。
なるほど、違和感の正体はこれだったか。
時間にもよるが、仮にも亡くなってしまったのなら、基本は霊安室に案内されるはずだ。もっとも、ここまで間隔が短い場合はそうではないかもしれないけれど。
「本当に良かったです。私も、気が気ではありませんでしたから」
沢崎さんにそれだけ言って、私は改めて目の前の女性に挨拶をする。
「挨拶が遅くなりすみません。香笛春風と言います。沢——真夜さんのバイト先の、店長です」
「あらあらご丁寧にどうも……って、店長!?」
分かりやすく驚いてくれる沢崎さんのお母さん。隣にいた看護師さんまでも驚いている。
「そんな大層なものではありません。父親が経営してる喫茶店の、あくまで代理店長です」
そう謙遜しつつも、二人のリアクションがちょっと嬉しかったりする私。
「いつも、真夜さんには助けてもらってます」
「こちらこそ、うちの真夜がご迷惑を……」
「別に迷惑なんかかけてねえって! やめろよもう!」
気恥ずかしそうに、自分の母親をたしなめる沢崎さん。
「そうですね、今は何もないです」
「は、春姉も意地悪だぜ……」
「ふふ、もっとお話してみたいけど、今日は遅いし帰りなさい。私は大丈夫だから。明日はお店閉めるから、帰ったら店休の貼り紙だけお願いね」
「チッ。心配して損したぜまったく。わーったよ、店主は死んだって書いとくよ!」
悪態をつきながら、掌をひらひらとさせ病室を後にする沢崎さん。私も一礼だけして、そそくさと沢崎さんについていく。
「それにしても、勘違いで本当に良かったです」
「……まあな。でも、いつかはきっとこうなるって思ってたんだ。なのに……防ぐことが出来なかった」
病院を後にし、深夜の薄暗い道を歩く私たち。沢崎さんが、悔しさを滲ませてそう呟く。
「前に……春姉聞いてきたよな? 俺が何でバイトをしてるかって」
「……はい」
「薄々勘付いてるかもしれないけど、家のためなんだ。俺ん家、親父いなくて」
「なるほど、だから……」
以前の反応を見た時に、何かしら抱えているものがあるんじゃないかと思ってはいた。
しかし片親という話までは、想像していなかった。
「母さん一人で家計を支えていてさ。毎日毎日働きっぱなし。俺と弟の学費もあるから……余裕ないんだ」
「それで、ずっとバイト先を探していたんですね」
「ああ。少しでも家計を助けたくてな。でも、母さんは未だに受け取ってくれないんだけどな。自分で稼いだお金は、自分で使えってさ」
「何ていうか……流石、沢崎さんのお母さんですね。沢崎さんが同じ立場だったら、きっと同じこと言うんじゃないですか?」
「それは……まあ、そうだけどよ」
そう言いつつも、どこか不満げな様子。
「やっぱり、親ですから。娘に家計の心配なんてさせたくないんですよ」
「でも、それで自分がぶっ倒れたら、元も子もねえじゃんか」
「それはそうですけど……。そういえば、お店がどうのって言ってましたけど、お母さんってどんな仕事してるんです?」
「ん? ああ、弁当屋だよ。近所の人たちには安くて旨いって評判らしいぜ」
弁当屋……そう聞いて、私の中の点と点が繋がる。
料理の練習なんてしなさそうな沢崎さんが、どうしてあんなに料理が上手いのか、それがずっと謎だったけれど……これなら納得だ。
「やっとわかりました、沢崎さんの料理の腕の秘密」
「まあ、たまに店を手伝ったりしたこともあったしな。忙しい時とか、よく弟に飯を作ったりもしたし」
「それは、嫌でも上手くなりますね」
「だろ? 特にナポリタンなんて、しょっちゅう作ってたからな」
「悔しいですけど、ミニドリップのナポリタン担当は沢崎さんです」
「……それなんだけど、さ」
ひと息置いて、沢崎さんが言いにくそうに呟く。
「大丈夫ですよ。分かってます、お母さんを手伝いたいんですよね?」
「……ああ」
「こっちは大丈夫ですから。またいつでも、来れる時に来てください」
私は、名残惜しさを感じながらも沢崎さんの背中を押す。
きっと、誰だってこうするだろう。私だって、沢崎さんの立場だったらそうしたいと思う。それなら応援するべきだ。
「敬語、気をつけてくださいね」
「ああ」
「お客様を投げ飛ばしたら駄目ですよ?」
「ああ……」
「ミニドリップは、私に任せてください。元々一人でやっていたことですから」
「悪い……本当に。こんな、いきなり穴をあけるような……」
「良いんですよ、これは仕方ない話です。それに、今生の別れってわけではないんですから。いつでも戻ってきてください」
「そうだよな……」
そう言って、私は沢崎さんと握手を交わす。
「大変だと思いますけど頑張ってくださいね、沢崎さん」
私の言葉に、強く頷く沢崎さん。
バイトに来なくなるだけで、学校に行けば会えるのだ。何も寂しいことはない。
半ばそう自身に言い聞かせながら、私はエールを送る。
――しかし、次の日……沢崎さんが学校に来ることはなかった。
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