第二十五話 躊躇




 やがて始業式も終わり、教室へ戻った私は先程の事件を思い出す。どこかざわめいた空気に、多少の居づらさを感じていた。


 悪い意味で目立ってしまったことに後悔しつつも、あれは仕方なかったことだと無理やり自分を納得させる。

 ふとした時に柏木さんが前を通り過ぎることはあったが、目を合わすことも話しかけてくることもなかった。

 嵐の前の静けさなのか、至って平和である。てっきり何かしらの報復を覚悟していた私にとって、これは予想外の展開だ。

「……胃が痛い」


 ――憂鬱だ。でも、学園生活なんて元々こんなものだった、と思うのもまた事実だ。


 お手洗いくらいしか潰し方がわからない、授業の合間にある休み時間。暇を持て余し寝ることしかない昼休み。そして放課後はまっすぐ家に帰る。もちろん部活なんて入っていなければ、放課後に遊ぶ友達もいない。

 だからこそ、今年の夏はどこかおかしかった。もはやそれは、異常であるとさえ。

 伊田さんが私のお店に来て、花火に誘われたことから、大きく変わった気がする。

 あの日、伊田さんから花火に誘われたこと。沢崎さんとの出会いや、白井さんたちとの出会い。海でのバーベキューに、皆との花火。今年の夏は、あまりに充実しすぎていた。

 よく、幸せの後は不幸があると聞く。もしかしたら、そういうことなのかもしれない。だとしたら、幾分か納得できるような気も。


 現実逃避をするように、窓の外を見つめる。伊田さんは何故あの日、私を花火に誘ったのだろう。


 自惚れるつもりはないが、武藤さんの言うように私のことを好きだから……?


 でも、そうなると謎が残る。今まで私と彼に接点なんてあっただろうか。どうして私を好きになったか、その理由が分からない。漫画の世界のような、学園一の美少女でもなければ、接点なくして好かれることなど無いのだから。

 黒板を正面にして、斜め右に位置する席で、真面目に担任の話を聞いている伊田さん。そんな彼の背中を見つめながら、自分の気持ちを省みる。

 私は、伊田さんのことをどう思っているのだろう。好きか嫌いかで言えば、好きの部類には入ると思う。

 しかし、それが恋愛感情かと聞かれれば……どうだろうか。今まで人を好きになったこともなければ、好かれたこともない。経験がなさすぎて、自分自身の気持ちがよく分からない。

 いっそ、伊田さんに直接聞いてみようか……なんて思ったけど、万が一私を好きでいた場合、非常に失礼なのでは? でも、その考えがもはや自惚れのような……。


 ……結局、授業が終わっても答えは出ず、気づけば放課後となっていた。


 現在の時刻は十二時。通学路であるいちょう並木道を一人で歩きながら、私は未だに伊田さんのことを考えていた。

 結局、本人に聞いた方が早いような気もする。武藤さんには怒られそうだけど。


「あ、香笛さん!」


 唐突に背後から話しかけられ、思わず振り返る。そこには、こちらへ走って向かってくる伊田さんの姿。

 あまりのタイミングの良さに、ふと笑ってしまいそうになる。

「やっと追いついた……!」

「どうしたんですか? そんなに走って……」

「さっきはごめんなさい……!! 実はその……さっき、天野から聞いて……」

 先程同じクラスである天野から、私が柏木さんに絡まれているのを聞いたと、伊田さんが息を切らしながら説明する。

 そういえば、天野と谷村は同じクラスだった。今更思い出したことに少しだけ申し訳なさを感じる。

「俺、あの時担任から呼び出されてて……肝心なとこでいなくって……その……!」

「大丈夫ですよ、別に大したことではありませんし。伊田さんは悪くないです」

「……天野が、ちょうど席を立とうとしたタイミングで沢崎さんが来たって言ってました。詳しくは教えてくれなかったんですが、沢崎さんを見直した、みたいなこと言ってて……何があったんですか?」

「ちょっと、私の代わりに言い返してくれただけです」

 淡々と、伊田さんの質問に答える。もちろん嘘は言っていない。


 まあ、あくまでも沢崎さん基準のではあるが。


「そ、そうなんですね……」

「伊田さんは、柏木さんをご存知ですか?」

「たしか、お金持ちのお嬢様……ですよね? 色々と噂ならちらほら……」

「伊田さんは凄いですね、そんなお嬢様に好かれてるなんて」

 思わず、皮肉交じりにそんなことを呟いてしまう。これは、私の悪い癖だ。

「……好かれてるんですかね? あまり柏木さんとは話したことなかったと思うんですけど」


「それを言うなら――」


 そこまで言って、私は言い淀み、ゆっくりと立ち止まる。

「……香笛さん?」

 訝しむ伊田さんをよそに、私は意を決して口を開く。


「教えてください。伊田さんって私のこと――」


 言いかけて、私は硬直する。一気に血流が沸騰し、全身が熱くなったかのような感覚。鏡を見なくても、自身の顔が真っ赤に染まっていることは容易に理解できた。

 私は今、何を聞こうとしていた? いや、違う。平然と聞けると思っていたんだ。さっきまでの私は、間違いなくこれが他愛のない質問だと思っていた。


 私のこと――好きなんですか?


 そんな、単純な質問。好きか嫌いかを聞くだけの簡単な問いだ。

 その……はずだったのに。寸前で正気に戻った、と言えば良いだろうか。何てことを聞こうとしてるんだ、と今では後悔している。

「……馬鹿だと思ってますか?」

 咄嗟ながら、私は苦し紛れに発言を切り替える。

「……へ?」

 案の定と言うべきか、呆気にとられる伊田さん。

「…………どうなんですか?」

 しかし、それでも負けじと強引に推し進めようとする私に、何とか質問に答えようとする伊田さん。

「いや、ええっと……そんなことは思ってないですけど……?」

「……そうですか。それなら良いんですよ、それなら」

 まるで何かに納得したような素振りを見せて、再び歩き始める私。もちろん、納得したものなんて何もない。あるとすれば自分の愚かさ位だろう。

「……あの!」

 ちょうど、三歩目を踏み出そうとした時。伊田さんがまるで異を唱えるように声を発した。


「待ってください香笛さん。今……本当は、何を言おうとしたんですか?」


「……え?」

 振り返り、その言葉に驚きつつも、私はまっすぐに伊田さんの目を見つめる。

 気づけば、伊田さんも顔が真っ赤になっていた。だからなのか、少しだけ冷静を取り戻す私。

「すみません、流石に……あからさま過ぎました。ちゃんと、聞きなおします」

 そう言いながら、私は深呼吸し、息を整える。そして――改めて問いかける。


「教えてください……伊田さんは、私のことが好きですか?」









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