都ケリー

絶飩XAYZ

都ケリー

 これから先の空の具合を読み取ると右前足を舐めて、顔から細く伸びたヒゲを拭った。

 一頻り拭うと人間の生やした不自然な光を放つ硝子の入れ物の合間を、黒い石によって出来た絨毯を敷き詰めて出来た境目で街の灯りを見上げた。

 猫は茶と白の尻尾を地面につけ、左右にゆっくり振っていた。

 それを見て猫の近くに立っていた女性は微笑んだと思えば、すぐに口を真一文字に直した。

 女性は真っ直ぐ腰まで伸ばした黒髪を触り空を見上げると右手に持っていた白いカーディガンを羽織った。

 彼女が着ている黒ニットのワンピースの襟の上にある銀のチョーカーは鈍い光を放ち、揺れた。

「ケリー、あの人はまだ来てないのね?」

 女性は声をかけるがケリーと呼ばれた猫は尻尾のリズムを一切変えず、素知らぬ表情をしているように見えた。

 すると、女性に近づく男の姿が見えた。黒いスーツを着た凛々しい顔立ちをした男だった。痩せていたが鍛えられた体付きであった。

「あ……」

 女性は男に声をかけそうになったが踏み留まり、気まずくなった雰囲気を取り繕うと地面を見た。コツコツと乾いた音が自分から遠ざかっていくことを確認して顔を上げた。

 ケリーは目を閉じながら口を大きく開き、その小さな口に納めていたのか疑ってしまう程大きな牙を見せるとまた閉じた。

「そうやね……」

 女性は呟くとケリーの前に座った。カーディガンの右ポケットに入った物の重みを感じた。

「ウチな……どっか行くねん」

 ケリーは女性を見上げた。女性の瞳は黒いダイヤモンドと見間違う程の綺麗なものであったがそのダイヤモンドから明るさは感じられなかった。

「あの人嘘つきやから……色んな人から口だけやとか言うてるとこぎょうさん見た……やけどね……」

 ケリーは口から薄桃色の舌を二回出すと首を右に傾けた。

「あの人をしばかな気が済まへん……」

 女性はそう言ってまた微笑んだ。

「なぁ、ケリー? ウチもアホやな……」

 ケリーは尻尾を振り続けるだけだった。

「その話……聞かせてもらえますか?」

 男の声がした。女性の後ろからだ。女性はその声を聞いて、口角を上げた。

「……その人は凄くアホで弱いんですよ、なのにホンマの男になりたいとか言うて体中傷だらけにする人でした」

「はぁ……」

 男は自分から聞いた割には気のない相槌とも返事とも取れることを言った。

「この子、ケリーって言うんですけど、ウチの猫でもなければ、その人の猫でもないんですけどね……このお茶の街に住むからって理由でケリーって名付けるんですよ」

「はい」

「キザというかそんな恥ずかしいことはいくらでも言うくせに……ウチには……よう言えんのです……」

「キザですね」

「唯一……ウチに言えたのは『これをあなたに預けます』だけでした」

 女性は左ポケットに入った物を取り出した。それは白く光る丸い球が付いた綺麗なピアスであった。

「何を預けられたんですか?」

「ピアスです」

「しないのですか?」

「しないですよ」

「どうして?」

「『預けられた』からです」

「はぁ……」

 二人の間だけ静けさが漂う。しかし、相変わらずケリーは尻尾を振り続けていた。

「……それから都の方から悪い噂が流れてきました、その時のあの人の険しい表情が頭に残ってます。私を見て笑ったり、映画を見て泣いたり、大富豪で負けて怒ったり、都を楽しんだりする顔の中でそれが一際目立つんです……それが一番……」

 女性の声が震えてきたと思えば、鼻を啜る音が聞こえた。それは辺り一面に響くように大きく感じた。

「すみません、辛いことをお聞きしました」

 気遣う男の声色は変わっていなかった。

「いいえ、大丈夫です」

 女性は鼻をまた啜ると立ち上がった。ケリーも起き上がり、女性の後ろを歩いた。男の前で止まると寂しそうに一声鳴き、去っていった。

 風が女性の髪を撫でたと思えば、太陽の光が雲に遮られていく。すると、女性は何も言わず、ピアスを左耳に付けて口を開いた。

「ホンマにアホですよね、どうせウチを泣かせるんなら良い人が出来たとか言われたかった」

 女性の声色は最初に男と話した声色に戻っていた。

「はぁ……」

「ホンマ、嘘つきで口だけや……『じゃあ、また』って最初から言わんといてや」

「でもそれは言わないと……」

「言わないと?」

「どうなるかは分からないじゃないですか」

「そうですね、その『じゃあ、また』を待つ身は疲れましたよ」

「そうですね……」

「あの人のことやからきっとウチのこと忘れて震えながら、泣きながら……やったんちゃうかなって思います。でもウチはその人を思ってやりますね」

 女性は右ポケットから物を取り出すと振り向き、それを男に突きつけた。空から降る轟音と輝きとは異なった音と閃光を放ったが男はそれを認識出来なかった。


 その街のある猫は左耳の輝きを見ると甘い声を出して、着いてくることがある。誰もその猫のことをケリーとは呼ばないが今も尻尾を左右に振り続けている。

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