16
「五円玉だっけ」
「十円玉だよ……ねぇ、ほんとにやるの?」
ローテーブルの上には、五十音表と零から九までの数字、「はい」「いいえ」「男」「女」の選択肢、そして鳥居のマークが書かれたコピー用紙が置かれている。言うまでもなくコックリさんの準備だ。それを前にして財布の中を探る兄に問いかけると、「何を今さら」という顔をされてしまった。
「やるだろ。だって他にやること思いつかないじゃん。家の中はどうせ父さんが探しただろ? 檀那寺に行ったらちょっとわかんないけど、文坂の当主なんか昔っからしょっちゅう寺に出入りしてるだろ。そしたらあんまり期待できなくないか?」
「そうだけど何かさぁ」
何となく抵抗があるのだ――母の霊とコックリさんを使って対話する、ということに。上手く言えないけど「いいのかなぁ」という気分になる。
「仮に失敗したとしても損するわけじゃないし、やるだろ」
兄は思い切りがいい。ちょっと良すぎると思うこともある。鳥居のマークの上に十円玉を置いて人差し指をのせ、「実花子も」と言う。
「わたしもぉ?」
「なんか二人の方が来そうじゃん! それにもし十円玉が動いたとして、オレの一人芝居だと思われたら嫌だし」
「今更そんな疑ったりしないって……」
と言いつつ、まぁそれもそうかもと右の人差し指を出した。十円玉に載せる。狭い。大人になってからやるものではないのかもしれない、などと思う。
「掛け声なんだっけ?」
「ええと、コックリさんコックリさん……」
左手でスマートフォンを持って読み上げた。
「それ、母さんじゃなくてコックリさんが来ちゃうんじゃない?」
「だからそういうやつなんだって!」
「おーい! 母さん聞こえる!?」
突然兄が天井の方に向かって大声で話し始めた。
「何か言いたいことがあるんだよな!? でも全然わかんないからこれで! 十円玉動かしてお願いします!」
「来るかなそれで!?」
で、十円玉はぴくりとも動かない。そりゃそうだよね、という気持ちと、がっかりした気持ちが一度にやってくる。
「母さん、全然来ないな」
「だって神秘性のかけらもなかったもん」
「そういうの気にしないと思ってたんだけどなー。じゃあええと、おサヨさんの方は?」
「おサヨさん?」
考えていなかった。というのも彼女が現れるのは決まって真夜中だったので、昼日中に呼び出すという発想がなかったのだ。ちらっと窓の外を見るが、当然まだ明るい。今日はいい天気だ。
「どうかなぁ……」
彼女は明るいのが苦手かもしれない、とふと思った。確かアルビノの人は、光がひどく眩しく見えたり、日焼けに弱かったりするのではなかっただろうか。
「でもまぁ、やるだけやってみるべ」
異様な切り替えの速さで、兄は「文坂サヨさん、文坂サヨさん、おいでください」と厳かに唱え始める。
「文坂サヨさん」
わたしもつい、声をそろえてしまう。
二度目の「おいでください」を終えても、十円玉は動かない。落胆とも安堵ともつかないため息が、わたしの口から洩れた。そのとき、
十円玉が動いた。
顔を上げると、口を「う」の形にしたまま固まっている兄と目が合った。兄が動かしているんじゃない、と思った。わたしも指を載せているだけだ。少なくとも意識的には動かしていない。
十円玉はゆっくりと紙の上を一周し、やがて「あ」のところでぴたりと止まった。何か叫びたくなるのを懸命に堪えて、十円玉が緩慢に動くのをひたすら待った。
「そ」まで来て、またぴたりと止まる。ゆっくりと動き出す。今度は「ぼ」で止まった。
(あそぼ)
そのとき、見えない指にピンと弾かれたみたいに、わたしと兄の指の下から十円玉が消えた。
直後、硬質な音が響いた。見ると、掃き出し窓にぶつかったらしい十円玉が床に転がっていた。
ばたばたばたばたばたと廊下から騒がしい足音が聞こえた。ふざけてわざと大きな音をたてているようなそれは、リビングのドアの前から右の方へと走ったように思えた。そこは曲がり角になっているはずだ――と考えた途端、足音はふっと途絶えた。
沈黙が満ちた。
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